(13)
ソガリが元同級生だとかいう冒険者パーティに絡まれた一件で、あのあと特に落ち込んだ様子は見られなかった。
ソガリの言っていたことはやはり強がりなどではなく、本当に、本人にとってはどうでもいい、過ぎ去ったことなのだろう。
だから、「これ」は励ましでもなんでもなく、ただの日常の一部――。
カイは己にそう言い聞かせるようにして、ソガリと休憩室でふたりきりになった瞬間に袋を手渡す。
袋とひとくちに言っても、貨幣を入れておくような丈夫で武骨なものではなく、素朴な紙袋であった。
「やる」
とだけ言って、カイはソガリの顔も見ずに押しつけるようにして紙袋を渡した。
「開けてもいいの?」
「……お前に渡したんだから、好きにしろ」
「じゃあ開けるね!」
カイはソガリが紙袋を開ける、ガサガサという物音から逃げるようにして休憩室のドアノブに手をかける。
しかし、ソガリが
「あ、待って!」
と制止の声を上げたので、カイは律儀に動きを止めた。
けれどもやはり、カイはソガリのいるほうを振り返らなかった。というか、振り返れなかった。
それでもソガリの至極うれしそうな声を、カイは背中で聞いた。
「これあそこの! 最近できたパティスリーのハーブクッキー! えー、これ並んだでしょ?」
ソガリの言ったことは半分当たっていて、半分はハズレていた。
「たまたま、だ。たまたま空いてたときだったんだよ」
実際に偶然、客数が少ないタイミングにカイは居合わせて、そして偶然、近ごろ評判のハーブクッキーがまだ売れ残っていただけだった。
それでも自分の言葉が言い訳じみて聞こえることに、カイは小恥ずかしい思いをした。
パティスリーが空いていたのは偶然だったが、そこのハーブクッキーにソガリが興味を抱いていたことを思い出したのは偶然とは言い難いことを、カイ自身がだれよりも理解していたからだ。
「気になってたんだー。ありがとね! カイはもう食べた?」
「……食べてねえよ」
「えー、そうなの?」
「普通、渡すのに食べ残しはやらねえだろ」
「でもでも、この機会に食べないのはもったいなくない? このクッキー、すぐに売れちゃうって聞いたよ」
ぱっと渡してさっと離れるつもりだったというのに、なぜだかソガリとの会話が長引いてしまい、カイは羞恥という真綿で首を締められるような思いをする。
そしてそれに追い打ちをかけるようにソガリが「いいことを思いついた」とばかりに言う。
「はい、あーん」
「…………は?」
「今ここで食べればいいんだよ! あーん」
「ハアア?!」
カイは思わずソガリを振り返った。
ソガリの右手の人差し指と親指は、ほかでもないカイが買ったクッキー一枚をつまんでいる。
そしてソガリは、カイに向かってそれを差し出している。
カイの羞恥の感情は、頂点に達そうとしていた。
「いらねえ!」
「なんで? 『おいしい』って評判なんだよ!」
「それは……」
カイは知っている。
ソガリがこのクッキーに興味を抱いていたことを知っているのだから、そのクッキーを売っているパティスリーについての評判も当然聞き及んでいる。
……おとぎ話のような世界観で統一された店内。店員たちのアットホームな雰囲気。親切丁寧な接客。手ごろな値段で素朴だが美味と評判の品の数々――。
それらはカイの心になにひとつ響きはしないどころか、常ならば「しゃらくせえ」と切って捨てていただろう。
だが、ソガリが気にしていたから――。
ソガリが気にしていたから、大通りから一本離れた道筋にあるパティスリーの外観だけでも見て行くかと思ったのだし、思ったよりも空いていたから店内に入ったのだ。
けれどもそんな事実は口が裂けても言いたくはない。
「しゃあねーな……一枚だけ食ったら戻るからな」
カイは、いかにも渋々といった態度でソガリの望みに応える。
実際、渋々ではあった。どうやったってソガリが引きそうにないからだ。
ソガリの手ずから、ハーブクッキーを口にする。
すぐにソガリの手指は離れたが、彼女の手から直接クッキーを口にしたのだという事実は、カイの心の中から容易に消えそうにはなかった。
口の中にハーブの爽やかな香りが広がる。
味はよくわからなかった。
ソガリはいつものにこにこ笑顔で、満足そうにカイを見ていた。
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