(3)

 カイが釘を刺して数日。


 件の新米職員四人のうち、リーダー格だった年嵩の女性職員はギルドを辞めてしまった。


 他の三人は心を入れ替えたのか、単にカイに「お小言」を言われたくないからなのか、今では真面目に働いている姿を見る。


 年嵩の女性職員は《六本指》とも取引のある商会長の姪だとの話であったから、てっきりカイはギルドマスターであるボスからなにかしら今回の一件について「お小言」をちょうだいするはめになるかと思っていた。


 無論、カイが言われっぱなしで終わるつもりもなく、そうなればボス相手だろうと反駁するつもりだった。


 しかしカイの予想に反し、ボスからのお咎めはなかった。


 そもそもボスは、サボっていた新米職員たちにカイが言ったように、このところ忙しいのかギルドホールには不在がちだ。


 実際、カイも新米職員がギルドに入った日の朝礼以降、ボスの姿を直接は見ていない。


 ただカイが見ていないだけでギルドホールに出入りはしているようで、他のギルド職員越しにカイ宛てへメモ書きを寄越してきた。


『新米職員のサボタージュが治らないようであれば今後私が対処します。ソガリさんに対してはなにもしなくてもよろしい』


 前文は理解できる。ギルド内の綱紀粛正に努めるのはギルドマスターの仕事だろう。


 しかし後ろにくっついている文章の必要性はカイにはわからなかった。


 なぜ新米職員四人に仕事を押しつけられていたソガリを名指しし、「なにもしなくてもいい」と書いてあるのだろうか。


 そもそも、ボスにそのようなことをあえて言われずとも、カイは他のギルドメンバーとは積極的にかかわらないスタンスを取っている。


 ボスがそのことをわかっていないわけがない。


 加えて、「なにもしなくて“も”いい」という表現。


 カイに対しては特に明快な物言いをするボスにしては奇妙な文章選択だと言わざるを得ないだろう。


 いずれにせよ、カイはソガリとこれ以上のかかわり合いを持つつもりはなかった。


 カイが「いいように使われてるんじゃねえ」と、突き放すような冷たい物言いをしても、能天気な返事をした女だ。


 仕事を押しつけられている時点で、カイはソガリのことを馬鹿だと思っていたが、思っていた以上に彼女はなにも考えていないらしい。


 ある種、幸福な人間ではあるだろう。しかしカイはソガリのような人間と特別かかわり合いを持ちたいとは到底思えなかった。


 一方ソガリのほうも、カイを単なる先輩ぐらいにしか思っていないようだ。


 顔を合わせれば元気に挨拶をしてくるが、それ以上の接触を持とうとはしてこなかった。


 ただいつもコマネズミのごとく、忙しそうにあっちへ行ったりこっちへ行ったりしている姿だけは見る。


 だから、カイが休憩室に立ち入ったときにソガリがコーヒーを淹れている場面を見て、「珍しいな」という感想を抱いたのだ。


 しかし同時にカイは休憩室でソガリとふたりいる状況に内心で「うげ」と思った。


 ここのところ、浚い屋の仕事よりも迷宮内での救助の仕事ばかりが立て込み、カイの疲労はピークに達しようとしていた。


 それを回復ポーションで誤魔化して今もひと仕事終えてきたところなのだ。


 元来、カイは他人とつるむことが得意ではない。


 だからひとりで仕事に励める浚い屋をしているのだし、嫌でも他人とかかわり合いにならざるをえない救助の仕事は、カイに心的負担を強いる。


 あわよくばギルドの休憩室でひとりきりになりたかったカイであったが、運悪くソガリがいる。


 しかし休憩室は当たり前だがギルド職員共用のものである。文句など言えない。


「あ、お疲れ様ですー」

「……ああ、お疲れ」


 カイが入室してきたことに気づいたソガリが、マグカップから視線を外し、満面の笑みを浮かべてねぎらいの言葉を口にする。


 しかしそれ以上、会話が続くことはない。


 カイがあからさまに疲れた顔をしていても、だ。


 ソガリのことを馬鹿だと思っていたカイだが、彼女は案外と線引きはきっちりとするタイプなのかもしれない、と思った。


 カイは疲労が顔に出ている自覚があったが、それを指摘されたり、ましてや心配などされるのは御免だった。


 カイは休憩室に置かれたクッションの効いたソファに腰を掛ける。


 なにか飲み物などを取ってくる気力も湧かず、背もたれに背中全体を預けて天井を見上げたあと、ふとすぐ前に置かれたローテーブルの上に視線が向かった。


「は?! 『絶海の鍵』……!?」


 カイは己が見たものが信じられず、思わずがばりと身を起こす。


 ローテーブルの上に置かれていたのは、ペーパーバックの書籍一冊。


 他でもない、カイが迷宮都市のどこの書店でも買うことが叶わなかった一冊であった。


 新刊が出ることは知っていたものの、当日にちょうど救助の仕事が入ったこともあり、そもそもの入荷数が少なかったこともあり、買い逃してしまっていたのだ。


 それがなぜか、今カイの目の前にある。


「あ、それ知ってます? もう読みました?」


 そこに能天気な声がかかる。


 手にしたマグカップからコーヒーの香りと湯気を漂わせたソガリが、いつもと変わらぬ笑顔でカイの右向かいのソファに座った。


「この作家さんってよくどんでん返しを仕込んでいますけど今回も――」

「待てそれ以上言うなネタバレすんな!」

「あ、まだ読み終わってませんでしたか」

「まだ、っつーか発売日に買い逃して……手元にない」

「ああー、入荷数少ないらしいですもんね。わたしのときもあと二冊で売り切れるところでしたし。すごく面白い作品を書かれる作家さんなのに」

「このジャンルはまだ発展途上だからな。出版社も本腰入れてないんだろ。つーかお前作家買いしてんのか」

「『絶叫の塔』と『絶世の檻』しか読んでないんですけど、面白かったので新作も買ったんです。過去作も探してるんですけどぜんぜん売ってないんですよねー」

「筆は早いけどまだ駆け出しらしいからな」

「『まだ気づかれてない』ってやつですか」

「出版社や書店がもうちょっと推してくれたらいんだけどな」

「カイさんは結構このジャンル読んでるんですか?」

「まあな。……でもまあ結構買い逃すことはある。勤務時間不規則だし、このジャンルの小説はそもそもの入荷数が少ねえからな……」

「あ、じゃあわたしはもう読み終わったんで貸しますよ、『絶海の鍵』。あの、もしよければなんですけど、代わりに過去作をお持ちでしたら貸して欲しいんですけれど……」


 「あ、ちゃんと綺麗に読みますんで!」と付け加えたソガリに、カイは気がつけば「いいぜ」とふたつ返事で了承していた。

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