10話:プロレストレーニング、本格化!

 走ること数十分、街の中に体育館のような建造物を見つける。


「着きましたよマト様、ここがトレーニング場です」


 でっか。


「へぁぇ~」


「元は街外れに建てたものらしいのですが、人の出入りの激しさから商店が周囲に建てられるようになり、今ではここが商業区の中心地となっているのです」


 本当に人気なんだなあ……よりにもよってプロレスが。


 場内に入ってみると、まず受付の時点でアリーナがあると思しき方向から衝撃音と掛け声が漏れ響く。

 男性の声も聞こえるが圧倒的に女子の声の方が多い。

 ……ん?


「お嬢様以外の貴族もプロレスやってんだね?」


「と言いますか、この施設は貴族も平民も分け隔てなく利用できますので」


「あ、そういうこと」


「平民向けのプロレスを行う愛好団体、健康のためにプロレスのトレーニングを取り入れる方々、そして当家のような個人の練習場を持たない貴族など、様々な人たちが集まるんです」


「なるほどねえ」


 サラッと流したけど個人所有の練習場ってなんだ、持ってる家もわりとあるみたいな言い方してたけど。

 たぶんアレグリッター家は持ってる側なんだろうなあ。



 受付に2人分の利用料を支払って更衣室へ行く。

 通貨が日本円ではないのではっきりとは言えないけど、移動途中で見た食料やドレスの値段から推測するに、(私の世界の)市民プール1回の利用料と同じかそれ以下の料金。

 いやはや……異世界だなあ。



 下半身はレギンスの上からトレーニング用のショーパン。

 上半身はタイト気味なTシャツ。

 着替えて準備完了。


 アリーナ内にはプロレス用のリングがずらっと並び、トレーニング器具も、こっちの世界の物よりかは古い物ながら、揃っている。




 近くのリングで練習していた女子の集団がこちらを見て反応している。

 女子集団の内の1人がこちらに丁寧な挨拶をすると、私の隣にいたユニエが挨拶をし返す。

 どうやらユニエの友達のようだ。

 その友達がこちらに向かおうとする、が、焦ったような顔をした他の女子に引き留められていた。

 友達さんは申し訳なさそうな顔をし、こちらに近づくのをやめて練習を再開した。

 私が、なんなんだろう?という顔をしていると、ユニエが語り始める。


「私の友人です。……おそらく既に彼女たちにも、私がアレグリッター家との因縁を作ってしまった事は知れているのだと思います。今の私と関わってしまえば、彼女たちの家も因縁に巻き込まれる。その可能性がある以上、彼女たちの行動は賢明だと思います」


 冷静な口調で喋っているものの、顔は少し暗い。

 そりゃそうでしょう、要は見限られたってことなんだから。


 しかしそれだけ、アレグリッター家の……お嬢様プロレス覇者の権力は強いという事なんだろう。

 そして更に言えば、覇者の座を簡単に揺るがせないほどの実力だと、貴族全体に広まっているという事でもある。


 私の心にもほんの少し、貴族たちの怯えが伝わってくる。

 い、いやいや!少なくとも末女のアーシには勝ってるんだ!気負うことは無い……はず!!

 とにかく、今は練習に取り組まなくっちゃ!

 私と同じように不安を跳ねのけようとしたのか、ユニエが短くフッと息を吐き、こっちを向く。


「さ、練習しましょう!」


「うん!」


「器具を運んできますので、少々お待ちを」


「オッケー」


 ユニエが離れ、しばし1人になる。


 周囲には、トレーニングする人々。

 やかましいくらいの掛け声、マットを叩く受け身の音、靴が滑る時のキュッキュッという音。

 親の顔と同じくらい慣れた環境だ。


 不本意ながら、本当に不本意ながら、こういう場所に来ると、

 気が引き締まる。


 ……背筋を整え、目を閉じ、腹に手を当て、ゆっっっくりと時間をかけて息を吸い、吐く。

 余計な事を考えず、空気が喉を通る感覚と、肺と腹が膨らむ感覚に意識を置き、空気が溜まれば腹に力を込めて吐く。


 息を長く吐く瞑想は心身をリラックスさせ、寝る前の準備になる。

 息を長く吸う瞑想は血に酸素を巡らせ、運動前の準備になる。

 父さんはそう言っていた。



「マトさ……」


 トレーニング器具を持ってきたユニエが何か言おうとして止まった。

 瞑想中なのに気づいたようだ。

 ユニエの声を無視して(ごめん)瞑想を続けて3分ほど。


 スッと目を開けてユニエの方を見る。


「どしたの?」


「いえ……なんというか、お顔が……」


「顔?」


 パッと近くにあったフォームチェック用の鏡を見るけど、特に異常は無さそう。

 どうしたんだろう、ユニエ。


「トレーニングメニューは…………要りますか?」


「ん?まあ、だいたい覚えてるから、要らないっちゃ要らない、かな?」


「はい……」



 ストレッチをもう一度、入念に、丁寧に。

 そこからスクワット、ジャンプスクワットと続いていく。

 プロレスは他の格闘技と比べても『跳ねる』回数が多い(と思う)ので、そういう筋力もしっかり鍛えておかないとだ。


 次にプッシュアップバー(腕立て伏せ棒)を使った腕メインのトレーニング。

 通常の腕立てから片脚上げてのものに変え、さらにレスラープッシュアップへと続く。

 次はバランスボール渡し。

 床に手をつけて、脚で隣に受け渡しを行う。

 この時、足は地面につかないようにする。

 遊びみたいに見えるけどやってみると案外きついんだコレが。

 そこから腹筋、背筋ときて、首の筋肉を鍛えるネックエクステンション。

 これらを合間に短い休憩をこまめに挟みつつやっていく。



 その間にも、私は自分の『新しい体』に慣れる意識を持っていた。

 身体の『射程距離』を確認する必要があった。

 魂と体の嚙み合わせを矯正する。

 脳が不安に似たモヤモヤとした気分を吐き出すけど、それを振り切ってなんとか身体を動かし続けていく。

 リハビリってこんなカンジなんだろうかな。

 おかげで前みたいに足が地面につっかかることは無くなった。

 そして、慣れていく毎に、この身体の良さを理解していく。


 まず、重さ。

 お嬢様プロレスは重量による細かい階級分けを行っていないようなので、基本的に重い方が有利だ。

 とはいえ脚に負担をかけるほどの重さはダメだけど。

 そこで言えばこの身体は、まさにちょうどいい重さ。

 一見すればお嬢様然とした、筋肉のアウトラインを感じさせにくい見た目なのだけど、『密度』が高い。

 肉の密度、骨の密度。

 これが重さに直結しているんだと思う。


 さらにその肉も『筋繊維』の密度の高さを感じる。

 いわゆる『引き締まった筋肉』ってやつ。


 特に首。

 頭から投げられる事の多いプロレスラーにとって、首の筋肉の強さは『防御力』。

 鍛えていないと頭が揺れやすくなって、脳震盪などのリスクが高まる。


 そして、体温。

 単純に高い。

 体温が高いという事はそれだけ時間あたりに使える肉体のエネルギー量が多いという事でもある。

 その分補給しなければならないエネルギーの量も高くなっちゃうわけだけど。

 要は『肉体の爆発力』が高いっていう話。

 また、体温の高さは血の巡りの良さも表している。

 巡りがいいってことは肉体の回復も早いってこと。

 怪我のリスクが常につきまとうレスラーにとって回復力は超大事。



 長々となってしまったけど、つまり、この身体はまるでプロレスラーになる為に誂えたような身体だってこと。

 誰に向かって解説していたんだろう私は?


 しかし、本当に誰がこの身体を用意したのか。

 なぜ私に身体を渡したのか。

 何をやらせようとしているのか。


 疑問は尽きないけど、今はそこを考えてる場合じゃないし、考えても仕方ない。


 今はただ、やらなくちゃならない事を消化するだけだ。


 改めて不本意ながらも、トレーニングは、まだ続く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る