7話:トレーニングに行こう!
よく伸びて丈夫な生地。
ゆったりとしつつも激しい動きを阻害しない、ほどよいフィット感。
ファスナー付きで着脱の楽なデザイン。
ゴムで止められた
地味な淡い小豆色に、白い2本線の入った模様。
「……ねえユニエ、これってジャージじゃ……」
「??じゃあじ、とは?」
「あ、いや、なんでも」
どうやらこの世界ではこれが『お嬢様専用トレーニングウェア』らしい。
プロレスの事といい、なんでこの世界には『私の日常』がちょくちょく混ざってくるのだろうか。
せっかく貴族の世界に入り込めたのに。
ハア~、とため息が出る。
まずは屋敷の中庭で『柔軟』。
これは筋肉そのものや、
レスラーにとって可動域の狭さはイコール脆さに直結すると言っていい、はず。
プロレスは関節を捻ったり捩ったりといった攻撃。いわゆる「
関節が傷つけば動きが鈍くなり、その状態での戦闘が長くなればその不利は広がっていく一方となる。
また、頭から床へ叩きつけられるような投げ技を喰らうことも少なくないので、首の関節も強く柔らかくないといけない。
さらにさらに、関節の柔らかさは練習中の怪我の予防にもなる。
父さんも「筋トレと同じ時間をかけて柔軟をしろ、特に若い内に関節を怪我すると変なクセがつくこともある」と繰り返し繰り返し言っていた。
私や兄の関節の具合を父はいつも気にかけていた。
今ここにいないはずの父と兄の姿が今になって鮮明に思い出される。
……心の中を、すきま風が通ったような気分になってしまう。
いやいや!なにをセンチメンタルしてるんだ!
私は貴族 (たぶん)!私は貴族(予定)!私は貴族(希望)!
家族がいないのは寂しくはあるけど、ここでならプロレスから離れた生活ができるはずなんだ!
今プロレスのトレーニングをしてるのは、その、なんだ、プロレスとのお別れ会みたいなものだ!
自分でも何を言ってるのか分からなくなってきた思考を、首を大きく左右に振ってちぎる。
「マト様、首関節の柔軟にしては激しいのでは……」
柔軟の次は、ユニエの案内に従って少し走る。
単純にランニングというだけではなく、公共のプロレストレーニング施設まで少し距離があるらしい。
『公共のプロレストレーニング施設』という単語には驚いたけど、それだけ国がお嬢様プロレス、ひいてはプロレスという競技に力を注いでいるのが分かる。
となると、現在そのお嬢様プロレスの頂点にいるというアレグリッター家の権力、影響力は凄まじいんだろうな。
ユニエの屋敷からトレーニング場までの道。
それはまさにファンタジー世界のような街並みだった。
舞踏会の会場からユニエの屋敷までの道は既に通っているけど、その時は夜だったので、あまりしっかりと見渡してはいなかった。
活気よく声をあげる商人、荷車をひく馬、巡回する鎧をまとった衛兵、はしゃぐ子供の声、やけに元気そうな浮浪者らしき人。
日中に見る街並みは、決してすべてが綺麗とは言えないけれど、それでもあこがれの西洋貴族世界にふさわしい庶民の生活がそこに息づいていた。
……!
ついつい走る脚が速度を落としてしまう。
「マト様!」
目についたのは屋台。
嗅いだことの無い、しかし食欲をそそる匂いが漂ってくる。
見ると、木製の串にと野菜と肉が刺さっており、それが網の上で焼かれている。
焼き鳥……いや、バーベキューみたいなものだろうか。
肉はやや厚めに切った豚肉のようで、焼く前に粉末の香辛料を丁寧に塗り込んでいるようだ。
この世界ではスパイスは貴重品ではないのかな?
「マト様!!」
異国、いや異世界の料理。
ユニエの家でご馳走になった料理も美味しかったけど、それとは違う粗っぽさに惹かれてしまう。
できれば買って食べたいところだけど、そういえば今の私には所持金がない。
プロレスのファイトマネーとか貰えないものかなあ。
いやそもそも前回の試合は決闘であって興行ではないからお金が動いてないのだろうか?
それにしたって何か褒美の一つくらいあってもよさそうだけどあ~とにかく肉食べたい肉肉肉肉肉
「マト様!!!!!!」
「えっ!ああ!?なに!?どしたの!?」
「『どしたの?』ではありません!今は
「ま、まあ気持ちは分かるけどさ、その、この国の文化に触れるのも今後この世界で生きていく上では大切な事だと思うしさ、まずは食文化を学ぼうかと……」
「トレーニングの合間に食事だなんて非効率的ですよ!」
「いやでも空腹なままのトレーニングも非効率的だし、食べたいものを我慢するストレスも考えたら軽く一本だけで済ませるのが一番……」
「ダメです!!」
うう……、私が自由に使える金を持ってない以上、ユニエにダメと言われたらもうどうしようもない。
「アーシ様に勝利して安心しているのかもしれませんが、ご自分の命の危機は続いているのですよ?」
分かってる、分かってるけどさあ。
人間、そんなすぐにやる気のある子に変われるものじゃないよ、人がすぐに変わる時ってのは大抵……
「どうか宿の恩とも思って、頑張ってくださいませ!」
うっ、
屋台の料理に引かれる後ろ髪を引きちぎってまた走り始める。
「ああ、ユニエ様、おはようございます」
「おはようございます!」
「ユニエ様!おはようございますッス!」
「おはようございます!」
「ユニエさまー、おはよー!」
「あらすみませんウチの子が……『おはようございます』でしょ!」
「ふふっ、はい、おはよう」
道すがら、老若男女の一般市民がユニエに元気よく挨拶をして、ユニエは1人1人にきっちり返事をする。
ユニエは街の人からの信頼が厚いんだろう。
若いのに私なんかよりすごくしっかりしてるし正義感もあるし優しいし、慕われて当然と言えば当然。
しかしこの、住民に慕われる様子、いいなあ。
まさしく私の思う貴族の理想像ってカンジ。
たぶん。
「そういやあユニエ様、なんでも『あの』アレグリッター家とひと悶着あったとかで、大丈夫でしたか?」
「ええ?もう皆さんのお耳に萌、入っていたのですか?」
「もちろんです!フォスタ家のウワサであり、アレグリッター家のウワサでもあるとあっては風が吹くように広まるってものですよ!そんで、よくご無事でおられました、心配しましたよ!」
「ええ、こちらにおられるマト様のお陰で収まりました」
「『マト様』…?ああ!こちらの方が『麗しき謎の助っ人令嬢レスラー』!」
なんだその通り名!?
「ユニエ様を庇って、アーシの奴……いやいや、アーシ様とプロレス対決を行って勝利したとウワサの方がそちらの!」
「はい!」
ユニエがこちらにチラッと目くばせをする。
「あっ、あっ、中田山マトと言います。よろしくお願いいたしますわです」
貴族らしいご挨拶をしようとして失敗してしまった、恥ずい。
「いやあ、貴方がアーシの奴に勝ってくれて本当に感謝していますよ!なんせアレグリッター家の奴らはどいつもこいつも横柄で横暴で!特に次女三女ときたらそれはもう!この前も向かいの家の飼い犬を足蹴にしたとかでみんな腹を立てて!」
どうやらアレグリッター家は誰に対してもああいう態度だったらしい。
それほどに、この世界、この国では『プロレスの強さ』が全てなのだろうか。
そう思うと、なんだか腹の底が熱くなってくる。
「あの、ご不満はお察し致しますが、そのあたりで……」
ユニエが
「ああすみません、とにかく私ら、マト様には感謝してるんです!今後も頑張ってくださいね!」
『がんばれ』か……。
その言葉に、私の腹の熱が引き、肩に重荷がのしかかったような気分になる。
「ああそういや、メイヤ様が『助っ人令嬢レスラー』をお探しだったっけ!ちょっとココでお待ちください!今お呼びしますので!」
メイヤ様?誰だろう?
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