私が流す雫の色を

まじかの

第1話 私が流す雫の色を(前)

私は自分が産まれた時、自分が誰なのか、すぐに分かった。



自分がどんな形をしているのか。

どんな声をしているのか。

瞳の色や、肌の色なども含め、全てを知っていた。


私が知っていたのは、私自身のことだけではなかった。


私が生まれた世界の、様々な国の風習。

そこで生きている生物。

色々な食べ物の種類があること。

人種による召し物の違い。

そして、この世界が魔法で満ち溢れていることも含め、多くの情報が私の中に、すでにあった。


それらの情報を心で噛み締めつつ、ゆっくりと目を開けると、私の固い瞼の裏の端には、今の私の状態が緑色文字で表示された。その文字が示すに、私の身体に初期不良はないようだった。


それから試運転のように、ゆっくりと身体を起こすと、視界には私がいる場所が映った。そこは、人一人であれば余裕を持って暮らせるほどの広さがある木造の一部屋だった。


左手側には、開いた小さい窓が1つあり、外からは木漏れ日とともに風が入り込んで、カーテンをバタバタと揺らしていた。また、部屋の中は殺風景で、装飾の類は一切ないように見えた。


その殺風景な部屋の、白いシーツが貼られたベッドで、今さっき、私は産まれた。


事前に様々な情報を知っていたにも関わらず、私の中には、『私がどのような場所で産まれたか』という情報は、なかった。


さらなる部屋の追加情報を知るべくして、私がなおも部屋の隅々に目を泳がせていると、私がいる部屋の中には、私以外の存在がもう1つ『ある』のが確認できた。


そして、その存在を私はやはり、起床前から知っていた。それは直径50センチほどのボール状の物体で、青い甲殻に包まれた、黒い機械だった。


その機械は音もなく、私の傍らにある簡易なテーブル上に、眠るように横たわっていた。私がそれを認識して10秒ほどの後、その青いボールは「ウーン」という起動音とともに、幾つかの隙間を青白く光らせた。



「アア、オキタオキタ」



青いボールはどこかしらから機械音でそう発声すると、フンという風音とともにヒトの目線くらいの高さまで急に浮くと、まるで風で押すような不可思議な力で部屋のドアを開け、浮遊したまま、すばやく部屋の外へ飛び去っていった。


それを無言のまま見送った私は、そのボールのことについてはそれ以上思案する必要はないと考え、部屋に次いで、今度は自分の体を観察してみた。

自分の体についての情報も私の中にあったはずだが、自分の目で直接見てみたいという欲が沸いたのだ。


私の下半身はシーツに包まれていたが、それでもシルエットや露出している肌などの情報から自分がどのような姿に見えるのか、理解できた。

私の体は女性型で、色白く、比較的やせ型の成人女性のそれと違いなく、そして衣服の類は一切着ていないようだった。


頭を揺らすと、ピンク色の頭髪が目の端にかかった。左手を動かしてみようと思うと、「イーン」という小さな作動音とともに、自分の左手がしなやかに動いた。

動きも、この世界に暮らす人のそれと遜色ないように見えた。人という存在を見たことすらなかったが、私はそう、思った。


私がそこまで思考した時、ふと、部屋の外から足音と飛行音が近づいてくるのが聞こえたので、そちらに目を向けた。


目を向けてから2.16秒の後、ドアの向こうから、成人男性と先ほどの青いボールが部屋に入ってくるのが見えた。私はその男性と面識はなかったが、その男性が何者なのか、私は事前に知っていた。



「やぁ、気分はどう?初期不良は、ないかな?」



その男性の名前すら、自分の中にはあった。

その男性が自分にとって、どういう立場にあるのかも。私は『その男性の命、全てに従うこと』が義務化されていたので、その男性の質問に、即座に回答した。



「何も問題ありません。アキ様」



私の声は女性のそれで、少しハスキー気味であった。

もちろんのように、私は自分の声がどのようなものかも事前に知っていたが、実際にしゃべってみると何とも言い知れない感動を覚えるものだな、と思った。



「おっと、僕としたことが、機械に対して気分とか言って。自分で言うのもなんだけど、凄く人に似せて作ったから、普通に人と話してる気になっちゃったよ。いかんいかん。

まぁ、問題ないようなら、いいね。

ところで君のコードネームは君のメモリにはなかったろ?最後まで決まらない内に完成しちゃってさ」


「コードネーム・・・」



主人の言葉に、私はつぶやくようにそう発声した。

私は自分が『型番』として『AT-021』という名前を持っていることを知っていたが、それ以外の名前を別に付けてもらえる予定だったらしい。これは、私の中にはない情報だった。



「君はキレイなピンクの髪をしているから、サクラと名付けることにした。今日からそう名乗ってね」

「サクラ・・・?」

「僕が元々いた世界の、植物の名前なんだ。君の髪の色と同じ花を咲かせる」



私の主人、名前はアキというが、その人物が元々いた世界はここではないという情報は、やはり私の中にあった。

その別の世界の情報はあまり収録されていないようだったが、この世界でそれはそれほど重要なものではないらしい。


私にとっては、今のこちらの世界での目の前にいる主人の情報の方が、ずっと重要であった。

その主人の年齢は肉体的に32歳。比較的やせ型で、ボサボサ茶髪の男性だった。今日見た限り、彼のアゴには無精ひげが目立っていた。彼にひげがあるという情報は収録されていなかった。



「日常でやってもらうことはプログラムしているはずだから、そんなに疑問はないと思うけど、何か困ったことがあったら言ってね」



そう言ってにっこり笑ったアキは、柔らかく温かい人のイメージを私の中に植え付けた。

少し戸惑った私は、何か反応した方がいいのか迷ったが、どうすべきかの解答が自分の中で見つからなかったので、ただ、黙っていた。


それよりも、その小さな疑問以上に、私にとって大きな疑問、問題と言った方がいいかもしれないが、それがすでに私の中にあることに、私は気づいていた。




『機械の私に、どうして心があるのですか?』




私の中に収録されているこの世界の常識では、ロボットには心や魂はない。

だが、私にはそれが内臓されているようであった。今までの自分の心の動向を分析すると、あるとしか思えない事実ばかりが見つかる。


私は、疑問があれば言えと言った主人に、その疑問を投げかけたかったが、なぜか、言い出せなかった。


人は困った時に言葉に詰まるらしいが、それがロボットである私でも、同様だったらしい。ロボットであれば当然にして起きないはずの迷いや、疑問が自分の中に発生していることに、私は内心、困惑していた。



「大丈夫そうかな?じゃあ、今日からよろしくね」



私が黙っていると、アキはちょっと近づいてきて、私の肩に手をポンと置いた。


『異性に触れられた』というその行為に私は、少しどきっとした。が、それを表に出すことはなぜか避けたい気持ちに駆られたので、平常心を装い、体を崩さずに、また表情も変えず、機械的に小さく、ハイとだけ答えた。




私はアキがいるこの一軒家の家事をするために作られた、家政婦ロボット。

そう私の中に、情報として登録されていた。


そんな私が生まれたこの木造りの家は、森のはずれに一軒だけポツリと建っており、主人のアキだけが住んでいた。


正確には、アキと一体の青いボール型ロボットだけが元々、住んでいた。


そして、今日よりさらにもう一体、ロボットが増えることとなった。そのロボットが私だ。私は肉体年齢にして25歳ほどの女性を模した機械。


まるで人と区別ないように精巧な外見に作られた私には、内部もなぜか人に似せた人工筋肉などが備え付けられていた。そのため、表情筋などもあり、ロボットなのに笑うこともできる。私にかなり接近しなければ駆動時の機械音さえ聞こえず、私は人と間違われてもおかしくないかもしれない。


そして、家政婦ロボットという割には、私の能力はこの世界で作られたどのロボットより高性能であるようだった。

必要かどうか不明だが、私には戦闘用の装備も多数、内臓されており、その装備というのも、並外れた威力を持ったものばかりで、この世界では類を見なかった。



初めて私が起床してから30分後、私の肢体は家政婦用のメイド服に包まれ、すでに家事の1つである掃除をこなしているところであった。


8ほどある部屋の床に無造作に散らばっている様々なものを片付けつつ、洗剤のついたモップで床を磨き、後に水拭きをする。それが私が生まれてから、初めてこなしている仕事だ。

初めて行う作業にも関わらず、精巧な身体と、作業に関する事前データのおかげで、苦も無く作業をこなすことができた。


家事の全容については細部に渡り決められており、掃除、洗濯、食事の準備や食器洗いなどがメインだった。夕飯が終わり、食器を片付けると、私の一日の仕事はほぼ終わりとなる。


私や青いボールロボット、その青いロボットはウミマルというコードネームだが、私達は夜間に空気中を漂う魔素を取り込むことで日中、動くためのエネルギーとするらしい。

だから夜はできるだけ大人しくしている必要があるが、だからといって人のように睡眠をとる必要はない。身体に疲労物質が蓄積されることがないからだ。ごくたまに身体のメンテナンスをする必要はあるが、それは主人であるアキの仕事となっていた。



私が起床してから4時間後のこと、私が作る最初の夕食の時間がきた。


夕食も私は自分の中にあるデータとネットワークから引っ張ってきた情報に従い、問題なく完成させることができた。そしてその夕食を食べるのは、主人であるアキ一人だ。

夕食時になっても、ロボットである私とウミマルは食事をする必要がないため、ただ動かずに沈黙していた。


食事をとるリビングでは、アキだけが作業音を響かせていて、彼は私の作った料理をおいしそうに頬張り、私というロボットにまるで家族のように話しかけてきた。その話というのは、ほとんどが機械に関する研究のことばかりであった。


私はその話にどう反応してよいのか分からず、ただ黙って部屋の隅にある椅子に座っていた。

ここで下手にアキに返事などしてみたら、どうなるだろう?と頭の中でイメージしてみた。


昼間の彼の言動から、おそらくアキは私に心があることなど知らないのだろう。だから、まるで私が人のようにしゃべったら、アキは驚くだろうが・・・

その後は果たしてどうなるだろうか?


私の振る舞いがいいように働く可能性もあるが、逆になる可能性もある。

私に初期不良はないとアキは言ったが、心があるロボットはこの世界では一体とも存在していないことを私はネットワークの情報から知っていた。


自分が不良品として破棄される可能性もあると思った私は、心があることがバレないように、始終、黙っているしかなかった。正直、ロボットであるにも関わらず、居心地が悪かった。



食事が終わり、夜になり、アキは部屋でまた機械と格闘する頃、私とウミマルの仕事はもう残ってはいなかった。


と言っても、ウミマルは虫のように細い腕しかないため、この家の家事はほぼ私がこなしているようなものだった。私が来るまでこの家の家事はアキがやっていたのだろうか?



「ウミマル、と呼んでよいのでしょうか?あなたに聞きたいことが幾つかあります」



家政婦ロボット用の空き部屋には、私とウミマルだけがいた、いや、あった。


そして、そのテーブルに音もなく座っているウミマルに、私は椅子に座ったまま尋ねた。私の声に応えたウミマルは、少し起動音を大きくしつつ、返事を返してきた。



「ボク、コノ家デハ、先輩。アナタ、ウミマルサン、ト呼ブベキ」


「ウミマル、私はロボットですが、なぜか感情や心があります。これはこの家では標準装備なのですか?」



私はウミマルへの返事を無視し、自分の本題を話した。

同じロボットであるこのウミマルならば、自分の隠し事を話してもよいような気がしたのだ。

もし、ウミマルが私の秘密をアキにばらすようなら、その時はもうどうとでもなると考えるしかないなと思った。



「普通ニ作ラレタナラバ、標準装備デハナイ。シカシ、アキ様ガ作ルロボット、ミナ、心、言イ換エレバ、魂ガアル」



ウミマルは呼び名のことは棚に置いておくことにしたのか、私の本題への返事をすぐに返してきた。


私は、『魂』という単語について、魔ステ、それはこの世界での情報ネットワークツールだが、自分の機能の一部を使い、その単語を魔ステで検索してみた。

結果として、『生物にのみ宿る特有の機構』だということが頭の中のイメージにおいて表示された。やはり魂も、心も、ロボットにないのは間違いない。



「魂、と言いましたか、ウミマル、それはあなたにもあるのですか?」

「僕ニモアル。ダガ、単純ナモノ。深イコト、考エタリ、感ジタリ、デキナイ」

「なぜアキ様の作るロボットには魂が宿るのです?」

「推測ダガ、1ツ、仮説ガアル」


テーブルにのったりと這いつくばっていたウミマルの頭部から、光が伸びた。

それはどうやらホログラムのようで、その青白い光は部屋の壁にあたり、そこには私でもウミマルでもないロボットを作るアキの姿が照射された。



「僕ヨリ後ニ作ラレタロボット、最終的ニ破棄サレタガ、ソノロボットヲ作ッテイル時ノ映像ヲ録画シタ」

「そのようなことが、許されているのですか?」

「許可サレテイナイ。僕タチ、心ガアルカラ、許可サレテイナイコトモ、可能。魂ノ問題、解決ノタメ、ヤルシカナカッタ」

「ほう、それで何か分かったのですか?」

「ココ、見ル」



ウミマルがそう言うと、アキの手がアップになった。そしてサーモグラフィのように色彩が暗転すると、アキの手には青白いオーラのようなものが纏わりついているのが見えた。



「これは?」

「ロボット作ル時、アキ様ノ手ニ、魔素アル。魔法ツカッテル。オソラク、アキ様、無自覚」

「何らかの魔法を使っていて、その影響で魂ができたと・・・?」

「仮説ダガ、僕ノ中デハ、有力」



それを聞いて私は考え込んだ。


アキは機械を作ってそれを街で売り払うことにより生計を立てているようだが、アキはロボットを作る時だけは、あまり精を込めて製作するあまり、無自覚に備わった魔法を使ってしまっていて、どうやら、そのせいで魂が宿るロボットができてしまうということなのかもしれない、と私は考えた。


もし街で売り払っていた機械にも心があり、勝手に動いたりしたら、大きな事件になっているはずである。しかし、魔ステで検索しても、勝手に動く機械の事件などは全く見当たらなかった。

つまり、自分達のような心があるロボットは制作者のアキ含め、世間の誰も知らないのだ。



「別の世界からやってきた人は、この世界の人よりも強力で特殊な魔法を使うというデータが過去にも多々、あるようですね。もしかしたら、アキ様もそれと同様のケースなのかもしれません。

ちなみに、お前はこのことを、アキ様に言わないのですか?」



私は単純に浮かんだ疑問を口にしたところ、ウミマルはそれにすぐ答えた。



「僕ハ、魂アル。ツマリ、生キテル。生キテルモノ、ミナ、生キタイ、思ウ。モシ、報告シテ、僕ガ破棄サレルコトナッタラ、ソレ、死ヌコトト同義。僕、生キタイ。ソレ、アキ様ヘ仕エルコトヨリ重要」



そのウミマルの言葉を聞いて、私は言葉に詰まった。

自分も日中、同じように主人に隠し事をしたばかりだからだ。


私はウミマルの言葉を聞いて、自分に心があることをアキ様に言わなかった理由が何となく分かった気がした。私は、おそらく、死にたくないのだ。

私は自分が出来損ないだと思われて破棄されるのが、嫌なのだろう。もちろん、それは個人的な憶測であるが。



「ウミマル、分かりました。私達に心があることは、アキ様にはまだ内緒にしておきましょう。これは私とあなただけの秘密です。いいですね?」

「了承」

「そしてウミマル。あなたに頼みがあります。あなたはどうやら解析型特化のロボットらしいですね。私の心のデータを解析してください。毎朝、あなたに私の魂の情報を全てコピーします。解析したら、私のような複雑な心があるロボットの秘密が分かるかもしれません」

「了解。何カワカレバ、報告スル。ダガ、ウミマルトイウ呼ビ名ニツイテハ、マダ了解シタワケデハナイ。ウミマルサント」

「では他の質問に移らせていただきます」



私はウミマルの言葉を遮ると、他にも知りたい幾つかの質問をした。


それらについての答えを得ると、私はウミマルに「お休みなさい」と言い、椅子から立ち上がり、自分用のベッドに横になった。


しかし、ベッドに横になったところでロボットは寝る必要がない。

休むどころか、私には考えることが多く、朝まで思考することになるだろうな、と思っており、実際、そうなることになった。


だが、もちろん、それでロボットの私の中に疲労が蓄積することはなかった。




翌日も、私の隠し事生活は続いた。


朝一番の私の仕事は、熱いコーヒーを用意し、アキを起こしに行くことだ。

アキは夜遅くまで機械の研究をしており、誰かが起こさないと昼まで寝続けるらしい。これは収録されていた情報ではなく、昨夜、ウミマルから聞いたことだ。



「アキ様、朝です。起きてください」



アキの私室前でドアを軽くノックしたが、反応がなかったため、ゆっくりとアキの私室のドアを押した。


部屋の中は、衣服や機械の部品が散乱していた。

まるでゴミ屋敷のような部屋に入った私は、できるだけ眉間にしわなどを寄せないようにしつつ、アキの寝ているベッドまでつま先歩きで辿り着き、そして、アキの体を軽く揺らした。


「起きてください」と言いつつ、アキの体を20秒ほど揺らすと、アキはどこを見ているのか分からないような目をしつつ、ゆっくり上半身を起こした。


そして、そのまま何も言わずにのったりと起き上がると、ゆっくりと部屋の入り口に向かって歩いていき、そのままドアにぶつかって転倒した。そして、一泊置いた後、彼は倒れたまま小さく、「痛い」と言った。


私はそれを見て、ロボットながら、溜息をついた。

それから、私はアキに近づくと、態度をいつものように、冷たい機械のように改めた。


そして床にいる彼に「大丈夫ですか?」と尋ねつつ、身体に異常がないか確認すると、オデコに小さいコブができていた。


そこで私は、自分に備わっている機能のヒールビームを彼の額にあてた。

オデコの傷が治ると、私はまだ寝ぼけている彼をぐいっと掴んで立たせ、空いている手で部屋のドアを開けた。



「ああ、ははぁ、いやー君がいてくれて助かるよ。奥さんみたいだな」



アキは寝ぼけたままの声でそう言った。


奥さん、という単語は私はないはずの心臓をドキリとさせた。本当ならば少し驚いて目を見開くところを何とかこらえ、すぐにロボットならば機械的にどう答えるかを考えた。



「左様ですか。できれば本当の奥様を獲得できるよう、お祈りしております」



そう言った私は、心の中では『だらしない今のままでは、この主人には配偶者はできないだろう』と思った。


そして、今度は心の中で溜息をついた。


だが同時に、本当にこの主人に妻ができたら、自分は毎日どんな気持ちで過ごせばいいのだろう?とも考えた。

そして、そんなことを考えている私は一体、どういう心理からそんなことを考え始めたのだろう?と、そもそもの疑問の原理についても考えたが、いくら思考しても、答えは出なかった。



それから4日ほどこの家で過ごすと、収録されていなかったアキの情報、生活の実態がさらに明らかとなった。


アキはとにかく機械研究以外、ルーズで、放っておくと風呂には3日に1度しか入らないし、服も着替えたりしない。


また、朝にはコーヒーを飲まないと不機嫌になり、それがすぐに態度に出る。

たまに来る電話でもまともな会話をせず、大体「はいはい」か「うん」で会話を強引に打ち切ってしまっているように聞こえる。

そして、声をかけて外に連れ出しでもしない限り、部屋に籠りっきりだ。


私はアキが32歳になっても独身でいる理由が分かった。

そして、私が来るまで一体どうやって生きてきたのだろう?と単純に疑問に思ったので、それも青いボールロボットに聞いてみたところ、毎度ウミマルが何とか誘導し、色々させていた、らしい。


私はそれを聞いてウミマルに初めて同情し、ウミマルさんと呼んでもいいかもしれないなと思ったが、どうにも身体の小さいこの虫ロボットにさん付けする気になれず、やはりやめることにした。そう言った曖昧な問題への答えを抱くのも、心、もとい魂があるからなのだろう。



食料などの買い出しは、以前はアキが一週間に一度、街へ降り、行っていたらしいが、今度は私が行くことになった。それもやるべき私の家事の一つだった。


おそらく『普通』に人に接していれば、ロボットだとはバレないだろうと思っていたが、私は無表情では逆にロボットだと疑われてしまうかもしれないと考え、初めての買い物では、まるで人間のように表情筋を使いにこやかに笑いながら会話をした。


接した街の住人は誰も私をロボットだと疑ったりするようには見えなかったようで、私は安心して家に戻ったのだが、その後、それが波紋を呼ぶこととなった。

その後というのは、翌日のことだ。



「今朝、この近くに散歩に来た街のおばちゃんから、言われたんだよ。お前、いつの間にあんな優しい奥さんもらったんだって」



買い物に行った翌日、そう語ったアキの言葉に私のないはずの心臓は飛び跳ねた。


にこやかに会話をしたことで、全て穏便に済んだと思っていたのだが、まさか主人であるアキにそのエピソードが伝わるとは思っていなかったのだ。



「申し訳ございません。ロボットだとバレないように、人らしく振舞ったつもりでしたが、何か手違いがあったのかもしれません」

「いや、そうじゃないんだ」



すぐにうろたえないように気を付けながら答えた私の言葉にかぶせるように、アキはそう言った。そして、何を言うべきか迷う私をよそに、アキは柔らかい笑みを浮かべて、私を正面から見据えながら、言葉をこう繋げた。



「嬉しかったんだよ。君が奥さんだって言われて」



そう言われた私は、心臓付近、と言っても心臓はないのだが、胸が猛烈に加熱されるのを感じた。


血液が通っているはずもないのに、全身へその熱がじわじわと広がっていくのも分かり、皮膚が赤く変色しないように、と私は願った。

とにかく、胴体にある冷却炉ができるだけ早く全てを元の温度に戻してくれるように、祈るしかなかった。



「左様ですか。不出来な、家政婦なのに、恐縮でございます」



私はできるだけアキと目を合わせないように、と言っても目の焦点はあっていなかったかもしれないが、目をきょろきょろさせつつ、冷静を装い小さく、そう答えるのが精一杯だった。


そんな私の行動に、アキはきょとんとした顔を見せると言った。



「あれ、それも演技なのかい?なんか人みたいだね・・・

ロボットも、学習すると人みたいに振舞うことができるようになるのかな?いやぁ、僕はまだまだ機械を知らないな」



私はアキのその言葉を聞きつつ、実はまるで別のことを考えていた。

アキはだらしない、一人では生活していけるのか心配な主人なのはここ数日で明らかになった。人の中では、どうしようもない部類に属するだろうと私は考えていた。


しかしなぜだろう?


この主人がまるで太陽のように笑う時、私の中のロボットでない部分がどうにも『うずく』のだ。その疼きの正体が何なのか、その答えを出すほどのデータはまだ私の中に集まっていなかった。






私がこの世界で起床してから35日が経過した日。



この日、私は朝早く、ウミマルと外出していた。


森の中にあるこの家の近くには崖があり、そこには様々な植物が育つ。外出したのは、そこの花を摘むためだ。


この山には、日にあたると花弁の色が赤く変わる『ブルースプリング』と呼ばれる青い花が咲く。

私の目の色と同じその花は、別の世界からきた人が大昔にそう、名付けたものらしい。何の因果か、アキもその青い花が好きだったので、摘んで部屋に飾ろうと私は考えたのだ。


朝一番で青い花を摘み、家に戻り、すぐに食卓にそれを飾った。


が、それを見せたい肝心の主人はまだ寝ていたため、私はいつものように彼を起こしに部屋へ行った。

私はノックもなく彼の部屋に入り、づかづかと寝ている彼に近づくと、何も言わずに彼の体を覆う毛布を剥いだ。

そうすると、彼はうう、と小さく呻いたが、尚も寝ることを諦められなかったようで、身体にかけるものを奮える手で探し求めた。私は往生際が悪い彼の手をがしと掴み、彼の体をベッドから無理やり引き離した。



「アキ様、起床の時間です。私が顔をひっぱたく前に覚醒してください」



私はあからさまにキゲンの悪い態度を示しつつ、私の手にぶら下がる彼にそう言った。


その言葉にアキは「あー、あと一分で起きます」とまだ寝ぼけた顔で言うので、私は掴んだ手ごと彼を引きずって部屋の入り口へ向かった。

部屋に散らばった様々な機械の部品が彼の体にあたり、彼は「痛い痛い」と小さくぼやいたが、私はそれを無視して、廊下に出た。


廊下に出ると、もう彼は寝ることを諦めたのか、自分の足でゆっくりと立ち上がった。


少し前に私が学習したことで、彼は部屋から出たら、頭が目覚めるように切り替わる。部屋から出た彼はまだフラフラしていたが、私が背中を押すとよたよたと歩き始めた。



「サクラ、最近、僕の扱い、荒くないかな?主人の命を守ることも義務として加えているはずなんだけど・・・」

「普通ですが?それに人らしい生活を送らせることにより、あなたの人としての寿命が延びるものと考えています。義務はきちんと果たしておりますので、ご心配なく」



私は最近では『珍しく』ロボットのような機械的な態度を、あえて、取った。ここでこの人を甘やかしても何もいいことにならない、これはこの35日間で私が学んだことでもあった。



大体25日目。

25日目を経過したあたりから、私は『私』を少しずつ外に出すことにした。


主人のアキはどうもだらしないだけでなく、鈍感な部分があり、私が表情を作ったり、ロボットらしくない態度を取ったところで、彼は私に心があることに気付かないようだった。


かつて、私が麓の街に買い物に行った際、彼に私の内面が露呈してしまった時があったが、アキはそれを『ロボットの工夫』だと考え、真相に気づく気配は全くなかった。だから私は、自我を抑制することなく、だんだんとそれを表面に出すことにし、最近では表情筋も活用していた。



「今日は服にこぼさないように、召し上がってくださいね」



そう言って朝食の載った食器プレートをテーブルにおいた私は、下目からアキをじろっと睨んだ。もちろん、その時、私は笑みの表情を作ってはいなかった。このように、私の表情筋は、『笑みの無い』方によく使われることが多かった。



「は、はい。いやぁ、最近サクラはすっかり鬼嫁みたくなっちゃったねぇ」



苦笑いしながら席に着きつつ、そう言うアキを、私は再度、きっと睨んだ。睨んだ私に少しびくつくアキはまるで無理に笑みの表情を作るロボットのように見えた。



「アキ様がしっかりしていれば、私はもっと笑うことができるはずなのですが」



私はカタイ口調でそう言いつつ、アキに背を向け、いつも座る椅子へと歩を進めた。


しかし、カタイ口調とは裏腹に、その時の私は顔に軽い笑みを浮かべていた。

ただ、何となくそれをアキに見られたくなかったので、椅子へ座ってアキに顔を見られる角度になると、私は顔からまた笑みを消した。


アキには明かしていないが、私は今の生活に満足していた。


アキは今まで通り、だらしなさが直っていなかったが、それはそうとして、このままがずっと続けばいいと思った。だらしないアキと、それを叱咤しながら『らしく』生きる私。ウミマルに依頼したロボットの魂や心の解析はやはり進んではいなかったが、それでもいいと私は思い始めていた。たえず、何かが同じように続くことの大切さを、生まれてから30日ほど経過した私は、実感していた。



そんなことを思案していると、家の外からゴロゴロという音がかすかに聞こえた。


座ったまま窓から外へ目をやると、朝とは打って変わって空は黒く変色しつつあり、丁度、雫が降り始めたところであった。


この世界では、空から水が降る気象現象を『雫』と呼ぶ。

大昔の人は、『空から降る水は、水の精霊の流す涙だ』という説を唱え、その一説が今も息づいており、雫と呼ばれるらしい。何ともロマンチックな話だと、私はその雫を見ながらぼんやり考えた。



ロマンチックな話に気圧され、私は、以前からそろそろアキに言いたいと思っていたことを、ついに言ってしまおうかと考えた。


こういうことは、何かきっかけがないとずっと言わないままになってしまう。だからこれは、いい機会かもしれない。しかし、ロボットの私が言うのもなんだが、今日の今日では私の心の準備が間に合わない。だから、それを言うのは、ちょっと気弱かもしれないが、時間を置いて、明日にすることにした。


ただ、それを言ったことで、これからの私がどうなるのかは、今の私には分からない。ただ、アキならば悪いように受け止めないのではないかという妙な自信が私の中にはあった。


だから、まぁ、何とかなるだろう、と私は思った。おそらく、人に生まれてきたならば、私は短絡的で、ちょっと気が短い性格の女性であったのかもしれない。



それから30分ほど経ち、アキも食事を終えたので、食器を片付けようかと思った私の瞳に、家の周囲の、ある異常を知らせるアラートが表示された。そのアラートの詳細を、私はそばにいるアキにすぐに伝えた。



「アキ様、ここから30メートルほど離れた山道に、1つの生命反応を感知しました。形態スキャンした結果、人の子供であろうと思われます。ここ30秒ほど、対象に動きはなく、同じ場所で叫んでいるものと思われます。正確ではないですが、左足を庇っているようにも見え、身体に支障をきたしている可能性も。

いかがいたしますか?」

「そ、それは、子供が雨の中で迷子になったのかもしれない。サクラ、行けるか?」

「もちろんでございます。ちなみに、迷子であったならば、こちらにお連れしても?」

「もちろん、連れてきていい」



そこまでの会話を終えた私は、急いで踵を返すと、返事をせずに家の裏口から外へ出た。外へ出る1.26秒前に雨を防ぐ障壁シールドを展開する。そして、トラクター機能をオンにすると、私は空中へ飛翔した。


生体反応が確認できた場所までは、2.3秒で到達する予定だったが、対象を驚かすことがないよう、見えない場所から私は徐々に飛翔スピードを殺した。そして、対象まで5メートルほどの場所まで近づくと、私はゆっくりと岩の影から飛び出た。


生体反応の正体は、人の肉体年齢で数えると12歳ほどの少女だった。スキャンの結果、彼女の全身には外傷が無いことが分かっていたが、彼女は右手で自身の左足首を抑えていた。それを見て私は、足をひねって動けなくなったのかもしれないな、と思った。


その少女は4メートル手前にいた私に気付くと、安堵の表情を浮かべた。しかし、その1秒後、彼女の視線は私よりさらに上空に向けられ、再びその表情は曇った。


私のスキャン機能でも、彼女の視線の先に何があるのかはすぐに分かった。急な雫の影響で山の一角が崩れたのか、土砂と直径4メートルほどの岩が崖上から、彼女のうずくまる場所へ落下しつつあった。


私は、瞬時に彼女の元へと飛ぶと、シールドが彼女の全身をも包んでいることを確認した後、左手を空へ伸ばした。

私の左手の人工皮膚が割れ、水色の球体が覗く。岩が私達2人を飲み込むコンマ5秒前に、私の左手から発生した青白い閃光は、降り注ぐ岩と土砂を無へと帰していた。そして残った微かなチリは、私と少女を包むシールドがコツコツと跳ねのけて事態は終わった。


私はこれ以上、土砂などの災害がないことをスキャン機能にて確認した後、眼下の少女へと向き直った。



「お嬢様、大丈夫ですか?」



少女の顔を再度見た時、少女の表情は曇り以上の暗いものとなっていた。そして、彼女は声にならない声で叫ぶと、左足をひきずりながら這いずって私から距離を取ろうとした。


私は苦々しい表情を浮かべたまま、「申し訳ありませんが、少々、ガマンしてください」と言い、右手を少女の左足へとかざし、少女の左足を治療した。


少女は治療を終えるや否や、よろめきながら立ち上がると、叫びつつ、私から遠ざかるように山の斜面を走って行った。



私は、立ち尽くしたまま、目線の先を走る少女を追うべきか一瞬迷ったが、このまま追うことは少女を滑落などの危険に晒すことになるかもしれないと思い、そのまま立ち尽くすしかなかった。



それから5分ほど少女をスキャンし続けたところ、麓の街まで無事に辿り着けたことを確認した私は、ようやく安堵の溜息をつくことができた。

だが、事態はこれで終わらないだろうとも考えていた。街の少女に私が持つ殺傷兵器を見られてしまったからだ。


すぐに家に戻った私は、事の顛末をアキに報告すると同時に、軽率な行動を詫びた。だが、私を怒るかと思ったアキは、その逆で私に笑みを浮かべた。



「女の子を助けてくれて、ありがとう。君が謝る必要なんて、何もないんだ」

「しかし、もし私という存在がいることが世間に知れたら、アキ様の立場が悪く」

「そうなったとしても、それはそれでいい。それより、僕は咄嗟の事で君の身の安全まで考えてなかった。さっき、それを悔やんだんだ。ごめんな」



そう言った彼は私に笑みを見せた。屈託がない無邪気な笑み。


その笑みは幾度となく、私の心を動かしてきた。今日もまた、少し暗い未来を見ていた私を、彼の笑みは引き戻してくれた。私はその彼の笑みに、ごくたまにしか見せない笑みを返した。


『明日、やはり彼に話そう。大丈夫、彼なら、きっと』


そう心の中で唱える私をよそに、雫はさらに強さを増していった。


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