ババ抜き雪女

黒澤カヌレ

前編:お前ら、俺を嵌める気か!?

 楽しい旅行になるはずだった。

 二泊三日のスキー旅行。夜は山荘に泊まり込み、昼間はゲレンデでスキー三昧。大学も冬休みに入ったので、この休暇をひたすらエンジョイしてやろうと思っていた。


 だが、まさかこんなトラブルに見舞われるなんて。


「いい? このことを絶対、誰にも言ってはダメよ」


 俺は、『雪女』を見てしまった。

 そいつが目の前で、人を殺すところを。





 コンコン、というノックの音が始まりだった。


 その時の俺たちは、同じ山荘に泊まっていた者同士で仲良くなり、一つの部屋に集まってトランプをしていた。

 ちなみに、やっていたのは『ババ抜き』だ。


 この日、山荘にいたのは全部で五人。

 まずは俺こと、小泉こいずみ雲八くもはち。そして、部屋の主である深谷ふかや。その他に双子の兄弟だという竹次郎たけじろう梅三郎うめさぶろうの四人が部屋にいた。


 山荘は二階建てで、一人につき一部屋ずつ。一階の部屋には六十過ぎと思われる管理人さんがおり、食事の後は管理人室に引っ込んでいた。


 部屋にいたのは、俺を含めて全員が大学生。竹次郎と梅三郎は二人とも丸顔で、お揃いの緑のジャンパーを着ていた。二人は寒がりらしく、「服の下にいっぱいカイロを貼ってるんだよ」と、十個近くのカイロを貼っているのを見せてきた。


 もう一人の深谷という男は、茶髪で派手な外見の男。ノリも良く、女にモテそうな奴だな、と少し話す内に印象を持った。


 楽しかった。気の合う仲間を得られたようで、数時間バカ話で盛り上がっていた。

 だが、ノックの音が全てを壊した。


「はーい」と深谷が扉を開けると、そこに『女』が立っていた。

 途端に、部屋の中が寒くなった。


 女は白い装束を着ていて、肌が異様に色白い。「へ?」と深谷が反応できないでいる内に、女はフッと息を吹きかけた。


 深谷が倒れる。強烈な冷気が室内に広まった。


「あなたたちの命までは、ここで奪うことはしない。その代り、約束して欲しいの」

 残された俺たちを睨み、女は命令を出す。


 絶対に、自分と会ったことを誰にも言うな。その時には命はない。

 俺たちは激しく頷き、一目散に部屋から逃げた。





 これからの人生、俺はずっと秘密を抱えて生きることになる。

 雪女と遭遇したこと。もしも誰かに話せば、きっと命が危ういのだろう。


 恐怖の一夜だった。ひたすら震えながら、部屋で毛布を被っていた。

 今晩だけ我慢する。とにかく、一刻も早くこの山荘から離れたい。


 そう、思っていたのだが。


「この現場は、完全なる『密室』となっているようだね」


 なぜ、こんなことになっているのだろう。





 雪女の奴、何やってんだよ。


 朝になって、管理人に呼び出された。深谷が呼んでも出てこないので、心配だからドアを破るのを手伝ってほしいと。マスターキーは先端が折れていて使えないのだと言われた。


 仕方なく、竹次郎や梅三郎と共に、体当たりでドアを破る。

 その先で、『死体』を発見したのだ。


 部屋の中央には、深谷が倒れている。昨夜の感じだと凍死でもしたのかと思っていたが、胸を何かで貫かれたような痕跡がある。


 おいおい、と思わずにいられなかった。


「周りの物には触らないように」

 管理人。頭頂部がはげていて顔には眼鏡。茶色のチョッキという姿の男。


「やはり、内側から鍵がかかっていたようだね」

 壊れたドアを確認し、管理人が一人で頷く。


 部屋の広さは六畳。奥には窓があり、その手前にはベッド。ただそれだけの空間なのだが、中央には現在、深谷の遺体がある。


「何者かが部屋に侵入し、鋭利な刃物で彼の胸を貫いた。そう考えられるのだが、侵入経路となるドアは内側から閉じられていた、か」

 管理人はしみじみと、ドアの近辺を見る。


「これは、すごい状態だな。ドア全体が凍らされている。もしも鍵がかかっていなかったとしても、これでは開けられなかっただろう」

 話を聞いて、頰が引きつった。


「そして、窓の外は切り立った崖。手すりもないし、別の窓からここに入ることもできない。その上で、窓も凍りついていて、やはり開くことが出来そうにない」


 どうにも、嫌な予感がする。

 言うなよ、と俺は心の中で管理人に祈る。


 だが、その願いは叶わなかった。


「これは間違いなく、『密室殺人』だよ」





 雪女のアホ、と内心で叫んだ。


 なぜ深谷を殺したかは知らない。だが、雪女なら冷気だけで殺せばいい。

 どうして、胸を貫くようなことをしたのか。


 更に、密室状況まで作りやがって。おかげで管理人は変なスイッチが入っている。


 だが、まだ大丈夫だ。今ならまだ引き返せる。

 俺たちは何も知らない。何も喋らない。現場を作ったのが雪女である以上、どんなに考えても科学では解明しきれない。

 俺たちが知らぬ存ぜぬを通せば、管理人もきっと諦める。


 そう、思っていた。


「あ、こんなところに部屋の鍵が!」

 突然甲高い声を上げ、竹次郎が高らかに鍵を示す。


 おい、何やってんだ!

 こんなところで、火に油を注ぐんじゃない。


 ベッドの手前に立ち、竹次郎は頭の上で鍵を振る。


「やはり、部屋の鍵は室内にあった。では、誰も外から施錠はできなかった、か」

 管理人はしみじみと呟き、探偵のような物言いをする。


 ほら、やっぱり。

 良く知らないが、このおっさんは絶対に、その手の話が好きな奴だ。


「あの、とりあえず警察に連絡をすれば」

 俺は流れを食い止めるべく、冷水をかけようとする。


「そうだね。だが、窓の外を見てみるといい。朝からずっと吹雪だ。山を降りるにも車も走らせられないし、警察も中々到着はできないだろう」


 たしかに、窓の外はかなりのものだ。

 いわゆる、『吹雪の山荘』って奴になっている。


「でも、俺たちで考えても仕方ない話じゃないですか? 鍵がかかってたのは不思議ですが、窓もドアも、凍りついてたんですよね。そんなの、常識で答えが出る話じゃ」


「そうだね。いわゆる『目張りの密室』というものだ。通常の密室よりも難易度が高い」


 はい、マニアック。

 その単語、絶対にマニアしか使わないから。


「とりあえず、方法としてありえないですよ。どうやって、人間にそんなことができるんですか。なんか、超常現象でも起きたんじゃ」


「そうだね。何か、方法でもあるのか」

 そうやって、管理人が室内を見回そうとする。


「あ、こんなところに空のペットボトルが!」

 今度は梅三郎が声を上げる。


 バカ、やめろ!


「むう、天然水か!」

 更にまた、変なスイッチが。


「よく見ると、あっちにもこっちにもペットボトルが落ちてますね。どれも天然水だ」


 何言ってんだ、と冷や汗が浮いた。


 そのペットボトルは、昨夜お前が持ってきたものだろうに。四人でトランプをする途中、『飲み物取ってくる』なんて言って、竹次郎か梅三郎かのどっちかが、途中で席を立った。近くに部屋の鍵を置きっぱなしにしていたから、ちゃんと部屋に入れるのかと気にしていた。そういうものを見ていたから、記憶ははっきり定着している。


 結局、普通に部屋には入れたらしく、その後は五本くらい天然水を持ってきた。


 梅三郎はどんどん、散らかったペットボトルの数々を拾っていく。「あ、現場保全」と管理人は言うが、竹次郎も素早く回収していく。


「だが、これは怪しいな」

 管理人は口にし、大きく体を震わせる。


「この水を窓やドアの枠にかけることで、周辺を凍らしたか?」

 またしても、管理人は分析モードに入っていく。


「そしてこの部屋、暖房が壊されている。他の部屋と違って、さっきから酷く寒い」


「じゃあ、場所を変えませんか?」

 竹次郎が言うが、管理人は首を振った。


「いや、そういうわけにはいかない。君たちには悪いけれど、この山荘にいるのは私と君たちで全部だ。そして、外は吹雪。誰も外へと出入りできない」


 うああ、と心の中で呻いた。

 完全に、まずい方向に。


「つまり、深谷くんを殺した犯人は、『この中』にいることになる」


 ああ、やっぱり。


 雪女の馬鹿野郎。

 このままでは俺たちは、無言を通すことも難しくなる。


「そうですね。この中に、犯人がいるのかも」

 梅三郎が言い、竹次郎も頷いた。


 おいおい、と俺は苦笑しようとした。

 だが、空気がおかしかった。


 竹次郎も梅三郎も、揃って俺に視線を送ってくる。どこか暗く、その上で妙な鋭さがある。どんな感情が籠っているのか、表情だけでは窺い知れない。


 こいつら、と俺は愕然とした。

 俺たちの運命は、昨夜に決まったのではなかったのか。

 雪女を見たことを、これから一生誰にも話さずに生きていく。そうでなければ、命が危ういことが決定された。


「それじゃあ、検証しましょうか」

 深谷の遺体の前に立ち、竹次郎が音頭を取る。「そうですね」と梅三郎も言い、管理人と頷き合っていた。


「おい、お前ら」

 絶対に、何かがおかしい。


「俺、そう言えば気になることがあったんだ」

「そう言えば俺も、なんか気になることがあったっていうか」

 竹次郎と梅三郎が、次々と言葉を発する。


「小泉って、なんのためにこの山荘に泊まってるの?」


「は?」と、竹次郎の問いに眉根を寄せる。

 理由なんて、そんなもの決まってる。


「もちろん、スキーをやるためだ。俺は、一人で楽しみに来たんだよ」

 道具だって、一式部屋に揃えてある。


「でも、昼間にお前が滑るところを見たけれど、正直ものすごく下手だったよな。こういうところに一人で滑りに来る人って、もっと上級者とかそんなんじゃないの?」


 ジト、と一斉に三人の目が向く。


「いや、別におかしくはねえよ」


 たしかに、普通ではないかもしれない。

 俺はスキーが下手だ。でも、二週間したら大学の皆とスキーに行くことが決まっている。中には俺の好きな子もいる。その子の前で少しでもカッコよく見せられるよう、事前に練習に来ただけのことだ。


「別に下手でも、滑りに来たっていいだろ」

 俺は溜め息をつき、大仰に頭を振ってみせた。


「本当か? なんか、怪しいな」

 竹次郎が言い、「ああ」と梅三郎も同意する。


 これは、勘違いではないかもしれない。

 こいつらは今、俺を嵌めようとしているのか。





 昨晩、考えてしまったことがある。


『雪女』の話と言えば、そいつに遭遇して見逃された後、主人公には可愛い彼女ができるのが定番だ。そうして幸せになったと思ったところで、『前に雪女と会ったんだ』と口走ってしまう。その場で相手が雪女だったことが判明し、幸せな生活が終わりを告げる。


 これからの俺の人生には、そういう宿命が待っているのではないか。

 ずっと、この胸の中に仕舞っておくしかない。雪女が実在したという話を、俺は一生誰にも話せず、悶々と過ごしていくしかない。


 それは結構、苦しいことなんじゃないか。





 つまり、これが奴らの狙いか。

 竹次郎たちもきっと、『秘密』を抱え続けるのが嫌なのだ。


 そして今、千載一遇のチャンスが訪れた。

 もしもここで、誰かに罪を着せることができたなら。この管理人をうまく持ち上げ、『あらぬ殺人事件』の推理をさせる。


 その犯人になってしまった人間は、一体どうなってしまうのか。

 犯罪者として、刑務所に送られるか。

 それが嫌なら、『本当のこと』を喋るしかない。


 きっと、こいつらはそれを狙っている。

 俺をまんまと犯人に仕立て上げ、『雪女』のことを口にさせる。


 そうやって俺だけが殺される状況を作り、自分たちは以後、雪女を秘密にしないでいられる境遇となる。


 なんていう、汚い奴らだろう。

 心の底から、見損なったぜ。

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