第2話 片道切符

 健康診断という名の適性検査から2年が経ち、少し離れた町の普通の高校に、1か月後に進学を控えた頃には、プロモーションビデオで見たシールドの精鋭たちには及ばないものの、魔法陣とその魔法を使えるまでに成長していた。


 だが、成長するほどに、天才との差をまざまざと実感させられるようになった。魔法を発動するまでの魔法陣の構成時間、威力に見合う魔力量――そのすべてが圧倒的に足りなかった。


 努力する凡人と天才。どちらが優れているかと問われたなら、僕は迷わずこう答える。優れているのは“努力する天才”だと。この絶望を胸に抱えながらも、僕は訓練をやめなかった。凡人が努力でかなわないのならば、天才以上に努力するしかない。最強に至るには、その壁を乗り越えなければならないのだ。


 魔力を感じてから2年半もの間、僕は訓練に明け暮れた。その時間と努力は、やがて狂気へと姿を変えつつあった。


 積み重ねこそが大切だ。今は負けていても、最後に最強になればそれでいい。


 ……最後に最強になればいいんだ


 森の中で修行を続ける僕は、誰にともなく呟いた。剣を振り、魔法陣を描き続ける日々。そんなある日、森の奥から突如として膨大な魔力の気配を感じ取った。


 今まで感じたことのないほどの強大な魔力だった。


 その感覚に胸が高鳴る。魔力を求める僕は、気がづけば迷うことなくその魔力のもとへと駆け出していた。


 本来、異変を察知できる人間は限られている。そして、もし異変を感じたとしても、決して“ゲート”には近づかず、すぐにシールドに報告する。それがこの世界の共通の常識であり、生存のための鉄則だった。


 だが、その時の僕には、そんな常識は頭の片隅にもなかった。


 力への渇望と狂気。そして、世界が変わってからというもの、最強に至るために思考の大半を費やしてきた僕、そして田舎で得られる乏しい情報。その結果、世界の常識を知らぬまま、僕は危険へとまっすぐ向かっていったのだ。


 森の奥へと足を踏み入れるたびに、肌が刺されるような感覚が増していった。空気が重く、どこか歪んでいる。立ち止まれば恐怖が押し寄せるかもしれない。しかし、僕は走り続けた。


 前方の木々の間から、ちらちらと紫色の光が漏れているのが見えた。その光源を目指して進むと、そこには異様な光景が広がっていた。


 大地にぽっかりと開いた直径5メートルほどの黒い裂け目。その中には星空のように見える無数の光が瞬いていた。裂け目から吹き出す魔力が周囲の草木を枯らし、地面は黒く焦げている。


「……ゲートだ」


 僕は立ち尽くした。これまでニュースでしか見たことがなかった存在。都市部を崩壊させた張本人が、目の前にあった。


 冷たい汗が背中を伝う。ここにいてはいけない。そう理解しているのに、足は動かなかった。視線の端で何かが揺れた。


 黒い霧のようなものが裂け目から漏れ出し、その中に輪郭を持ち始めた。人型に見えるが、顔はなく、全身が黒い布で包まれているようだった。


 「悪魔……?」


 魔力をまとい、剣を握る。けれど、手が震えた。相手の魔力量が圧倒的すぎた。僕がこれまで積み重ねた訓練が、無意味であるかのように感じられた。


 それでも、逃げなかった。いや、逃げたくても、逃がしてくれなかったのだ。悪魔の放つ魔力が、僕の足を縫い止めるように重くのしかかっていた。


「最悪だ……」


 そう呟く声は震えていた。取りあえずのの防衛手段として剣を構える。魔力を流し込むと剣はかすかに赤く光るが、悪魔の圧倒的な魔力の前ではそれすら心許ない。


 黒い存在がゆっくりとこちらに視線を向けたように感じた。その目がない顔にじっと見下ろされるたびに、体の芯が凍るような感覚が広がる。それでも、この状況から抜け出すために覚悟を決め僕は踏み込んだ。


 一閃。


 剣は黒い霧を切り裂いたはずだった。しかし、そこには何の手応えもなかった。悪魔の姿は、いつの間にか背後に移動している。


「速い……」


 焦りが滲んだ。距離を取るべきか、再び攻めるべきか。答えを出せぬまま、悪魔が手を前に伸ばした。紫色の光が、その掌に渦巻き始める。


「やばい……!」


 避けられない状況に、魔力を全身に巡らせて、必死に防御へと回す。だが、次の瞬間、紫の光が咆哮するように放たれ、視界は一瞬で真っ白に染まった。


 意識が薄れる。目を開けると、僕は地面に膝をついていた。危なかった!本当に死ぬかと思った。まだ、一応まだ生きている。でも体のあちこちが焼けるように痛む。防御は辛うじて間に合ったが、全身が悲鳴を上げていた。今までの努力が無かったら、命はなかったはずだ。


「これが……悪魔の力か……」


 悪魔がニヤニヤしてゆっくりと近づいてくるのが見えた。目の前がぼやけ、体が動かない。逃げなければと頭ではわかっているのに、体が言うことを聞かない。


 立て……!


 僕は最後の力を振り絞り、全身に魔力を巡らせた。ぼんやりとした光が体を包み込み、剣にも赤白い光が宿る。次の瞬間、悪魔が爪を振り下ろしてきた。


 ぎりぎりのところで身を翻し、爪を躱す。刹那の隙を突き、剣を振るった。剣先が悪魔の肩をかすめた瞬間、最近成長が停滞していた魔力がするりと流れ出し、剣と体をつなぐ感覚が今までになく鮮明だった。


 なんだ!今の感覚?


 まるで魔力が自分の一部になったかのような錯覚。これまでの魔力の奔流が荒々しいものだったのに対し、今は糸を操るように繊細に扱える気がした。


 悪魔が再び鋭い突きを繰り出してきた。

 だが、修はすでに落ち着きを取り戻していた。


 今まで積み重ねてきた努力が、体の隅々にまで染み渡っているのを感じる。冷静に悪魔の攻撃を見極め、一瞬の隙をついて身をかわした。


 そのまま反撃に転じ、魔力を纏わせた木剣を振り抜く。刃が悪魔の肩をかすめた瞬間、切り口が淡く光り、霧のように魔力が拡散していった。


 手には確かな手応えが残る。


 自分の中で何かが目覚めかけている。形にはまだなっていないが、その片鱗を掴んだ気がした。


「これで終わりじゃない……もっと……」


 立ち上がり、剣を構え直した僕の中には、ささやかながらも確かな魔力の流れが息づいていた。だが、気づけば足元には悪魔が崩れ落ち、残された淡く紫色に光る悪魔の核だけが残っていた。


 肩で息をしながら、僕は剣を握り締めたまま核を見つめる。視界が揺らぎ、全身の力が抜けていくのがわかった。


「……あとちょっとで、何か掴めそうな…のに…?」


 緊張の糸が切れた瞬間、体が急に鉛のように重くなった。重力が倍になったかのように膝が崩れ、そのまま地面に倒れ込む。鼓動が耳の奥で響き、視界がじわりと暗くなる。


 倒れ伏した地面はひんやりとして、わずかに湿っていた。肩で荒く息をしながら、ぼんやりと目を凝らすと、目の前には自分の木剣が転がっていた。握りしめていた感覚がまだ手のひらに残っている。


 視線を少しずらすと、ゲートは静かに閉じかけていた。森はいつもの静けさを取り戻し、悪魔の気配はどこにも感じられない。ただ、淡く光る悪魔の核だけがそこに転がっている。


「……終わったのか……?」


 まぶたが重くなり、意識が遠のいていく。耳元では風が木々を揺らす音がかすかに響いていた。

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