星に落ちた恋

@amya_nekota

星に落ちた恋

月が綺麗な夜。僕の傍で、彼女ははにかむような微笑を浮かべた。

星々が煌めく夜。僕の傍で、彼女の双眸に映った一等星が揺れた。



とんとん、と肩を叩く雨粒に、僕は空を見上げた。



田舎の山の、森の中。草やら木やらが生い茂るこの場所に、遠い記憶を探しに来た。ある日の晩に経験した、忘れられない記憶。

此処に来るまではずっと晴れていたから、まさか雨に見舞われるとは思っていなかった。歩く度ぐしゃぐしゃと音を鳴らす、ぬかるむ土とひしゃげる小枝。ひらひらと舞い落ちてきて、僕を包んでくれる筈の落ち葉は、すっかりやる気を無くしたようで僕の先に土の上で寝転んでいた。

この道も獣道と一瞬疑う様な廃れ様で、雨も相まって懐かしさもそれ程感じられない。こんな山中に雨を凌ぐ場所など当然ある筈もなく、目的地まで走って行くしかなかった。早足で駆けるからジーンズに撥ねた泥水がついて、それが足の温度を奪って少し不愉快である。


それにしても、こんなに長い道であっただろうか。前来た時よりも随分道のりが長く感じられるのは、月日が経って、身体が幾分衰えたせいなのか(衰えるような年齢ではないのだが)。

そうやって、足元が不愉快だの、雨音がやけに騒騒しいだの考えている内に、いつのまにか森を抜け、崖の上に辿り着いた。まるでフィクションの様に丁度雨が止み、雨雲が消えて美しい星空が目に入る。満月がこの地球を優しく照らして、それをみた別の一等星が、”あのお月様の様に地球を照らしてやるのだ”と言わんばかりに自身を一生懸命に輝かせている。それがなんとも愛おしく感じた。


以前と変わらず美しい光景に見蕩れる。

この雄大な自然の美に感銘を受けたといって、もし「綺麗だな」と呟いたって誰も「そうだね」と頷き返してはくれないのだが、せめて空にはこの思いが伝わって欲しいという思いで、綺麗だと叫んでやった。

だがしかし、数秒後には羞恥心の方が勝ってきて、照れ隠しのつもりで笑いながら、まだ濡れている地面に座り込んだ。そうやって、俯きがちになった顔を上げて、星空を再び眺めようとした。 その瞬間だった。



案外世界とはおかしなことが起こるものだ。返事がきた。


いや、正確には返事は返ってきてはいない。誰も言葉を発してはいない。

だが、微笑んでいたのだ。月の様に優しい、はにかむような微笑を浮かべて、一等星を映す綺麗な瞳を持った、1人の女が。





そうね。とても綺麗ね。




透き通る声で彼女はそう言って、いつの間にか2倍程差がある手を握った儘、星を眺めていた。

あなたは誰?どこから来たの?その問いに答えることもなかった。只ひたすらに星を眺める彼女の横顔を、僕は見つめた。

暫くそんな時間が続いて、急に彼女はこちらに目を向けた。


「どうして、そんな不思議そうなお顔をなさっているの?」


急に問われて、困惑する。そりゃそうだろう。いきなり知らない女が目の前に現れたと思えば、可笑しな事を言い出して、その後はうんともすんとも言わずに星を眺めているのだから。

でも彼女は、本当に何故、僕が困惑しているのかわからないという様にこちらを見つめる。まるで、僕が誰かを知っていて、僕も自分の事を知っているというように。


「貴女が誰か、わからないから。」


僕が眉を一層下げてそう答えると、彼女は一瞬驚いた様な顔をして、それから少し目線を下げて、綻ぶような笑みを浮かべた。

「そうね、そうだわね。

私は、______________。」



ぱっと、手を離される。星空に向かって進み、そのままくるりくるりと回転して、スカートを靡かせながら彼女は軽やかに舞い始めた。バレエという舞踊だろうか。星空に向けて、ステージを披露しているかの様だった。

身体の回転に合わせて綺麗な弧を描く彼女の髪が月光に照らされて、美しい。 足の爪先でステップを踏み、舞い続ける彼女はどんどん崖の端に近付いていった。

そして先端まできて、ステップがぴたりと止まる。足先を揃えて、空全体に向けて優美にお辞儀をし、ちらっとこちらを振り返る。唖然とする僕に向かってまた微笑む。


私も此処でこうして、貴方と同じ様に恋に落ちたの。

この美しい、星空に。


星空に向かって彼女は大きく跳んだ。目を見開く。一瞬身体が動かなかった。

その姿が美しかったのだ。煌めく星に満ちる星空よりも、何よりも。 地平線に向かって堕ちていく流星の様に、彼女はそのまま崖の下へ落ちていった。煌めく一等星を映す、自身の双眸を輝かせながら。





子供だった僕は、名も知らない…只、星によく似た彼女に恋をした。





空に輝く星々が地平線に向かって落ちているように見えるのは、この地球が公転しているからで、時が経てば、星は同じ位置に戻ってくる。






一等星を映した瞳は星空を愛おしそうに見つめ、月光に照らされた長い髪がきらきらと輝く。


そうね。とても綺麗ね。


星によく似たその女は言った。

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