第5話
「あー! ネーリ帰って来たー!」
教会の入り口を花で飾っていた子供たちが気付いて手を振っている。
【夏至祭】の間は子供も夜更かしをしても怒られないから、どの顔も嬉しそうに輝いている。彼らの顔を見て、少しホッとした。
「遅かったね。大丈夫だったかい?」
女性が教会から出て来る。中に入ると、近所の人達が大量の花を色分けしていた。ネーリはすっかり忘れていた。
「わっ、そうだ花……ごめんなさい、もらって来るの忘れちゃった」
「? さっきお花いっぱい届いたよー?」
「え……」
「ネーリ。お帰りなさい。遅かったですが、大丈夫ですか?」
「あ、はい。神父様大丈夫です。ちゃんとお届けして来ました。向こうの街も、綺麗に飾られていました」
少し街を見て来たのだろうと、神父は安心したようだ。
「そうですか、ありがとうございます。貴方に客が」
一人の軍服姿が目に入る。黒いその色に一瞬、ドキ、とした。しかし神聖ローマ帝国の軍服姿の将校は、フェルディナントではなかった。彼はネーリの側にやって来ると、まるで上官にするような敬礼を見せた。
側でそれを見ていた子供たちが目を輝かせて真似をしている。
「ネーリ様ですね。私はフェルディナント将軍の補佐官、トロイ・クエンティンと申します」
「あ、はい……こんにちは……」
「さあ、みなさん。ネーリも戻ってきましたからそろそろ夕食にしましょうか」
神父が気を利かせて、子供たちを連れ出す。今日は向かいの食堂で、近所のみんなで集まって食べるのだ。夜通し湯が沸き、明かりが続き、朝まで準備は続く。そして午前中一度家に帰って眠り、夕方から【夏至祭】が始まる。
子供たちを連れて大人が出て行く。
聖堂は一気に静かになった。
「【夏至祭】の準備に賑わう中、無粋な軍服で訪問して、申し訳ありません」
そんな風に彼は言った。
ネーリは律儀なその言い方に目を丸くしてから、笑った。
「いいえ……」
フェルディナントも相当、生真面目な青年だと思うけど、もしかしたら神聖ローマ帝国の軍人の特徴なのかもしれない。お国柄、とでもいうのだろうか。今日出会ったスペイン将校とのその違いに、思わず笑いが漏れたのだ。彼は「俺の国の赤い軍服や!」と自信満々に、誇らしそうにそう言っていた。
「我々はあまりこの国の【夏至祭】のことは分からないのですが……神聖ローマ帝国でも【夏至祭】に花を飾る風習があります。駐屯地に飾ると、竜が落ち着かなくなりますので、よろしければこちらに飾っていただくようにと。フェルディナント将軍から預かり、お持ちしました」
ネーリは綺麗に黄色と、白、そして淡い紅色に揃えられて、摘まれた花を見遣った。
「この花……」
「竜騎兵団はヴェネト領内での飛行演習を禁じられていますので、週に二度ほど、近隣で飛行演習を行っていますが、今朝の演習で花の多い山を見つけましたので、摘んで戻りました」
驚く。
「竜騎兵の皆さんが……摘んで下さったんですか?」
トロイは穏やかに笑う。
「初めて与えられる任務でしたが。しかし我々も今はヴェネト王国に居住区を頂いて住まわせていただいておりますから。何か【夏至祭】でもお役に立てればと」
「助かります。本当はさっき、街でちょっと花を貰って来ようと思っていたのに、持って来れなかったから」
「それは良かった。では確かにお渡しいたします」
「あの……フレディ……、フェルディナント将軍は」
「昨日から街の守備隊本部にいらっしゃいます。本当はこちらにいらっしゃり、自分の手でお渡ししたかったのですが、時間が取れず。申し訳ありません。私が代わりに参りました」
「あ、いいえ……そんなこと。竜騎兵団の皆さんも今、お忙しいのに……ありがとうございます」
「いえ。飛行演習のついでに持ち帰ったまでですから。どうぞお気遣いなく」
トロイを見送って、ネーリは教会の外まで出てきた。
「あの、ありがとうございます」
トロイは馬に乗ろうとして、振り返る。
「警邏隊の代わりに、竜騎兵団の方が夜警をしてくれてるって、聞いています」
ああ、とトロイは笑った。
「いいえ。その為に我々はこの地に来たのですから」
そうなんだけど……。
「……あの、……僕が言うようなことじゃないと思うんですけど……。この前会った時、フレ……フェルディナント将軍も少し疲れていたみたいだから。……身体に気を付けてくださいって、伝えてください……」
一度、解こうとした手綱から手を放して、トロイはネーリに向き直る。彼のことは、あまりフェルディナントとは話していない。とはいえ、ここの教会に足しげく通っていることは知っていた。飾った絵のことも聞いていて、あの教会にこの絵を描く画家がいるのだと、そういうことも、それは聞いた。
トロイはフェルディナントとフランス戦線の時も行動を共にしている。
彼は竜騎兵に憧れて軍人になったが、神聖ローマ帝国において竜騎兵は軍人の中でも特別秀でて、それでいて身分の高い騎士が選ばれるものだった。トロイは平民だった。貴族でない人間は、竜騎兵団の中では非常に珍しい。いざ竜騎兵になれても、全員が常に竜を与えられ、乗れるわけではない。戦場に呼ばれる者だけだ。騎竜はお飾りではないのである。
トロイは立場上は他の竜騎兵と同じだったが、要するに出自を軽視され、同格の竜騎兵から侍従のような仕事をよく押し付けられていた。竜の世話なども仕事の一つで、「片付けておいてくれ」などといつも演習帰りの竜の世話を、本物の侍従に混じってやらされていたのだ。
別に構わなかった。竜騎兵であることには代わりはないし、竜は神聖ローマ帝国では、尊敬される高貴な生き物だった。平民出の自分が、世話を出来ることすら、幸運なのだと思って、嫌だとは思わなかった。
ある時いつものように自分に竜の世話を任せて、夜会に行こう、などとよく話している貴族出身の竜騎兵たちが、「小僧のクセに生意気だ」と話しているのを聞いた。彼らの視線の先にはフェルディナントがいて、スペイン陸軍士官学校出の出自も、スパイなのではないか、と悪意を持って疑われていた。
持たざる者同士の共感と言ったら失礼だとは思うが、トロイは親近感を抱いた。
フェルディナントはいつも竜の宿舎にいるトロイに気付いていたようで、ある時声を掛けてくれたことがある。
「君が一番侍従の中で世話が上手い」と言ってもらい、実は貴方と同じ竜騎兵なんです、と苦笑して白状すると、不思議そうな顔を見せた。しかし「自分は平民出身なので」と言うと、すぐ事情は察したらしかった。勘違いしたことをフェルディナントは謝罪したが、彼は付け加えた。「君が竜騎兵でも、同じことを思った」と。
「では貴方が小隊を持たれることになったら、私を本当に侍従にしてください。
ここでこき使われるより、そっちの方が出世出来そうだ」
他愛無い軽口だった。あまり笑わない性格だったが、その時は小さく、フェルディナントは笑みを見せた。
当時十代前半のフェルディナントは身体も小さく、彼を出自や年齢から軽視する不穏な空気は、日に日に強くなって行った。トロイの危惧通り、ある飛行演習中に悪い予感は的中し、その数人の竜騎兵は竜が暴れたフリをして、空中でフェルディナントに襲い掛かったのである。
神聖ローマ帝国出身の竜騎兵は矜持が高く、他国出身の人間が竜騎兵になるなんて、という反感が強い。竜騎兵の恐ろしさを教えてやろう、その程度の思いだったのだろうが、厳しい規律で飛行演習を行うはずの味方が突如裏切っても、フェルディナントも、彼の騎竜も狼狽えたりしなかった。あいつら一体何をしてるんだ、と地上から見上げて、仲間たちは戦闘の様子を見ていた。三人がかりでフェルディナントを追い回していた竜が、いつの間にか一人の竜騎兵に追い詰められていく様を。
二人は逃げ回る途上で竜の操縦を誤り二頭が激突すると、もつれあうようにして演習場の森に墜落して行った。
残る一人が、竜の首を返す。
竜騎兵団の鉄の掟がある。それは竜が撃ち落とされるか、死なない限り、降伏は許されないということだった。竜は神聖ローマ帝国にしか、所有を許されない。彼らは戦時において、一騎当千の働きをする。竜騎兵が己の意志で降伏し、虜囚の身になると、竜が敵国の手に渡ることになる。だからそれを避けるためにも、竜騎兵は戦場でどのような苦境に立たされようと、自らの意志で降伏することは許されていなかった。一度戦いを始めたら、相手を打ち倒し、もしくは例え自分がどのような死傷を負っても、竜は国に帰さなければならない。
つまり、彼らが剣を抜く時は、それほど重い使命を負っている。
その時には恐らく、仕掛けた竜騎兵は自分の軽率さと愚かさを恥じて後悔していただろうが、先に剣を抜かれ、それに対して剣を抜いて迎え撃ったフェルディナントは、相手が動けなくなるまで戦いを終える気は無かった。例えそれが同じ部隊の人間であって、これが演習に過ぎなくてもだ。裏切者などは竜騎兵団において、決して許されない。
相手の上を取り、体当たりさせ、敵を撃墜させるのは、竜騎兵同士の戦いの定石である。
神聖ローマ帝国外に竜はいないが、内紛の際、竜騎兵同士が戦うことがある。
フェルディナントは敵の高度を奪ったが、彼はそこから竜を突撃させず、まだ地上から高度のある竜の背から飛んで、敵の身体を竜の背から叩き落したのだ。あとで聞いた所によると、竜を突撃させることは有効だが、場合によっては自分の竜にも深手を負わす危険性もあるため、演習中の騒ぎで国の宝である竜を負傷させるわけにはいかないと考え、突撃を回避したのだという。
しかし、この時はそんなことは気づかなかったので、二人の身体が空中に投げ出されたのを見た時、地上から見上げていたトロイも、他の仲間たちも思わず驚き、口々に叫んでいた。渾身の蹴りを叩き込まれて振り落とされた竜騎兵はそのまま地上に落下して来た。
凄まじい衝撃が地面に走る。
フェルディナントも足場のない宙に投げ出されたが、飛び降りた彼の竜が命令もなく翼を折りたたんで急下降すると、地に近い空中で彼の身体に巨体を寄せた。手綱を手に掴み、足を竜の身体に掛けると、くるり、と竜が身体を回し、フェルディナントの身体と上下を入れ替えた。ふわ、と難なく竜の背に戻ると、フェルディナントはすぐに竜の首を引き上げ、地面すれすれのところから急上昇させた。一気に高度を上げた竜に、フェルディナントは足で首の付け根を蹴り、号令を上げさせた。
竜が大きな咆哮を上げる。
彷徨っていた三頭の竜がその号令を聞いた途端、新しい序列を決め、一瞬にして隊列を組んでフェルディナントの竜の後ろに付いた。
あれほど素晴らしい竜の操縦術は見たことがない、と、竜騎兵の飛行演習を好んでよく見に来ていた、当時はまだ皇帝ではなかった皇太子が拍手を送り、それがきっかけでフェルディナントは神聖ローマ帝国において初めて、その出身ではなく竜騎兵団の一軍を率いる将軍職に着くことになったのである。
将軍になったフェルディナントが自分の竜を連れてやって来た。
「こいつはなかなか気難しい性格をしてるから、竜の扱いが上手い副官が欲しいんだが」
彼はそう言って、トロイを取り立ててくれたのだ。
トロイは以後、フランス戦線も副官としてフェルディナントに仕え、共に各地を転戦した。
……フェルディナントが、絵に興味を持つのも、
何者かに興味を持つのも、長い間彼と時間を共にしてきたトロイにとって、初めてのことだった。
【エルスタル】を失ってからは一層、周囲のことに興味を失って行くのを感じたし、陰に籠って行く気配をトロイは感じていた。軍人としての使命に徹する事でしか、今、フェルディナントは自分を生き永らえさせられないことも、よく理解している。退屈などより、多忙の方がずっと気は、彼は楽なはずだ。
でも……。
不思議な色の瞳で見つめられ、トロイは目の前の青年を穏やかな眼差しで見返した。
「ネーリ・バルネチア様。
我が国では、軍人は、『任を果たして当然だ』という見方をされます。一切の言い訳も、認められません。……でもだからこそ、気遣っていただいたことを、将軍は喜ばれるでしょう」
手綱を解き、トロイは馬に跨る。
「気を休めるということを、あまり知らない方なので。……感謝します」
ゆっくりと馬が走り出す。
トロイの姿が街角に消えるまで見送ると、ネーリは教会の中に戻った。
花籠に入った、白い花をそっと一輪手にする。
「……フレディ」
どうして美しい花を見て、彼を思い出すのだろう。
干潟の家に置いて来た、フェルディナントの絵の続きを、無性に描きたくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます