17話 謎の襲撃者

朝焼けの光が、ガルヴァン砦の石壁を淡く染め上げる中、今日のレース出発が始まっていた。

前日までに“上位合格”した受験生たちはすでにスタートを切り、砦の外へと続くゲート付近にはまばらな人数しか残っていない。


その中には、日没ギリギリでゴールしたハルの姿もあった。


スタート順位が大きく後ろに回っているせいで、イオ、ルーク、ヴェルン、ペネロペもすでに先行出発済み。彼らの背中すら見えない。


「はぁ……分かってはいたけど、やっぱり出遅れ感がすごいな……」


掲示板には前日の到着順位が張り出され、上位の連中はもう遥か先を行っている。


ハルは借り受けたガロカリスの背をなだめながら、小さく息をついた。


(受験生を襲ったっていう"粘土怪人"のことも気になるけど……今はそれよりも、この遅れを少しでも巻き返すことを考えないと……)


今日の行き先は“ルフェリア砦”。勇者アシュレイの仲間の一人、“天空の守護者”の二つ名を持つ「ルフェリア・シルヴァリーフ」の名を冠する砦だ。 昨日の順位表の上位にあったアリア・シルヴァリーフの祖先だ。


(アリア・シルヴァリーフ……たぶん、あの人も相当先を走ってるんだろうな)


「そろそろお前の番だぞ。急げ!」


試験官が声を張り上げる。


「はい、ありがとうございます!」


ハルはガロカリスの鞍を掴み、砦の正門をくぐった。


(大丈夫。焦っても仕方ない。とにかく行くしかない――)


そう自分を鼓舞し、ハルは荒野を踏みしめて出発していく。


***


同じ頃、抜けるような青空の下。

険しくうねった山道を、驚くほどのスピードで疾走するガロカリスがいた。


乗り手は――ヒュレグ・エルヴェイン。

昨日に続き、今日もやはり先頭集団を独走している。


「ククッ、山道だろうと崖道だろうと、俺様を止めることはできん!」


そう言い放つと、ヒュレグはガロカリスをまるで自分の手足のように操る。

道は傾斜が急で、ところどころに浮き石や崩落しそうな岩壁があるが、ヒュレグは迷わず突っ切っていく。


倒木の陰から姿を見せた小型の魔物が襲いかかってきても、光の剣を一閃するだけで塵のように消し飛ばしてしまう。


青髪を後ろに流した彼は自信に満ちた瞳で前方を見つめ、まるで自分の実力を誇示するかのように光の剣を腰に携えている。


「雑魚どもが何匹いようが同じこと。俺様に挑むなんて百年早いわ!」


険しい斜面を強行突破しながら、ヒュレグは己の実力を誇示するかのように眉を釣り上げた。


昨日のレースではアリア・シルヴァリーフと先頭争いを繰り広げていた。

今日も当然、アリアが追ってきていることだろう。


(ふん、あのシルヴァリーフの娘。しぶとく食らいついてくるが、所詮は真の勇者たるこの俺様に敗北する運命だ)


ガロカリスが一段高く嘶き、ヒュレグはさらに加速をかけて林の奥へと消えていった。


***


ヒュレグからわずか数分遅れた位置に、アリア・シルヴァリーフのガロカリスが姿を見せる。


昨日の猛レースを生き抜いたガロカリスをいたわるように、やや抑えめのペースながらも、彼女の乗騎は安定した速度を維持している。


それもそのはず、アリアはわずかに“風魔法”を応用し、ガロカリスの四肢が泥や岩に取られないよう流体の風を纏わせていた。連続使用すると負荷は大きいが、要所だけブーストをかければ充分な効果を得られる。


(ヒュレグ・エルヴェイン……やはり先行しているのね。視界には捉えられないけど、きっともうずっと前方を走っている)


アリアは少し悔しそうに眉をひそめる。


昨日のレースで感じたあの光剣の威力とヒュレグの圧倒的スピード感。それはただの傲慢だけではなく、確かな“実力”に裏打ちされたものだと認めざるを得なかった。


(次のゴールは祖先ルフェリアの名を冠する砦。負けるわけにはいかない……!)


アリアの家系――シルヴァリーフ家は、代々風魔法に秀でた名門貴族として知られている。

勇者アシュレイに同行した“天空の守護者”ルフェリアを先祖に持つ、いわば“高貴なる血筋”だ。


幼い頃から「シルヴァリーフの威光を継ぐ者として、学院入学は当然」「次代を担う優等生であれ」と育てられてきた。 しかし、その重圧はアリア自身にとって喜ばしいばかりではなかった。真面目な性分ゆえ、“ルフェリアの再来”と囃されるたび、心に言いようのない負担が生まれる。


(私は……ただ強くなって、誰にも負けない力を示したい。でも、それが私自身の望みなのか、家の期待に応えたいだけなのか――わからなくなるときがある)


自らへの問いを振り払うように、アリアはギュッと手綱を握る。

ごつごつとした岩の斜面を超え、ブッシュの茂る小道へと入り込む。傾斜はまだキツいが、彼女の操縦と風魔法の補助で乗騎は大きくバランスを崩すことなく前進を続けていく。


***


やがて、山道を回り込み、斜面を器用に下った直後――アリアの背筋にゾクリと寒気が走った。


森の奥、岩場の手前に、じっと佇む“何か”が見えたのだ。


(あれは……モンスター……?)


粘土か泥のような灰色の物質が、全身にまとわりついている。顔はほぼ覆われていて、人型ではあるが見た目は不気味な塊。風が吹くたびに、ぐちゅり……と嫌な音を立てて表面が波打っている。


「……アリア・シルヴァリーフ……待っていたよ」


低い声がうねり、アリアのガロカリスが警戒の嘶きを上げる。


何故、自分の名を知っている? ただの野生魔物ではあり得ない。

アリアは槍の柄に手をかけ、乗騎を反転させた。


「あなた、何者……? どうして私の名を――」


「名乗るほどの存在ではない。貴様は“粛清対象”だ。それだけ分かれば十分さ」


ねっとりと絡むような声。それと同時に、粘土の表面がうごめき始める。まるで生きている触手めいて、数本の“腕”が蠢きだした。


(乗騎を巻き込めない以上、ここは……)


アリアは決断し、ガロカリスから飛び降りるように地面へ着地。


「ここから先は私がやる。あなたは逃げて、早く――!」


小声で告げると、ガロカリスは恐怖に駆られたように林のほうへ走り去る。

アリアは素早く槍を構え、相手を睨み据えた。


「――風よ、我が槍に集え! 《エア・ランス》!」


ギュオッと空気の流れが集中し、アリアの槍に竜巻のような風をまとわせる。


シュッと鋭い音とともに、アリアは距離を詰めて突きを繰り出す。


だが、粘土人形はまったく怯える素振りもなく、粘土の表面をぐちゅりと波打たせて“腕”のような部分を槍先に絡ませる。

槍が粘土内部にずぶずぶとめり込み、アリアは目を見開いた。


「なっ……離して!」


必死に槍を引き戻そうとするが、粘土がねっとりと絡まり、槍先を飲み込んでしまう。


「シルヴァリーフ……名門の名を誇るようだが、貴様は本当に正義を貫く意志を持つのか? 貴族の矜持に酔い、形だけの力を振りかざす偽物ではないのか」


低く不快な声とともに、粘土表面が泡立ち、十数本の触手が地面を荒らしながら伸びてくる。

アリアは風魔法を足裏に込めて後方へ跳ぶが、粘土の一部がすばやく地面に広がり、彼女の足首を捕捉した。


「っ……! 私は……そんな、ただの飾りじゃない!」


叫びながらアリアは何とか槍を引き抜こうと力を込める。


しかし、粘土がさらに絡みつき、ついに槍は完全に取り落とされてしまう。槍が地面に転がり、カチンと硬い音を立てた。


「ならば証明してみせろ。……いや、やはり貴様は粛清対象か。ここで排除するとしよう」


粘土の触手が一本、また一本とアリアの腰や腕に絡まりつき、にゅるりと持ち上げる。


「ぐっ……離して……!」


アリアは必死に足の魔法を暴発させて吹き飛ばそうとするが、触手に腕も封じられて思うように魔力を練れない。足首もこてんぱんに絡め取られ、体重すら支えられなくなっていく。


「風の槍とやらも大したことないな。貴様のような名ばかりの貴族が、この世界を腐らせる元凶なのだ――」


ねっとりと絡む粘土が、ついに首筋へまで侵入してくる。


アリアは息が詰まり、頭がぐらりと揺れた。


(嫌だ……こんな、こんな形で……! 私はまだやられるわけにはいかないのに……!)


薄れる意識の中で、祖先ルフェリアの名を背負う自分を恨むような感情が混ざり合う。


(私が弱いせいで、シルヴァリーフ家の期待も、私の意志も……すべて裏切ってしまう……)


「……無駄な抵抗だったな。終わりだ」


粘土人形の唇がそう告げ、触手がアリアの体をぐぐっと締め上げ――


アリアの瞼は重く閉じ、力なく地面へ膝をついたまま意識を手放した。


しばらくして、粘土人形は周囲に人の気配がないことを確かめると、山道の脇へ身を隠すように立ち去っていく。


バキリと砕けた粘土の破片や泥沼のような跡が、辺りの地面を覆う。


そこにはアリアの槍が転がり、小さなアクセサリーが鞘から零れ落ちたまま。


アリア本人は粘土に拘束され、微動だにしない。頬には薄い擦り傷ができ、汗と血が入り混じった不穏な気配が漂っているが、周囲を助ける者の姿はない。


木漏れ日がそそぐ静かな山中で、まるで激戦など無かったかのように、鳥のさえずりだけが響いていた。

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