短編小説 流転の楠(大和高田 長谷本寺のお話)

三分堂 旅人(さんぶんどう たびと)

短編小説 流転の楠(大和高田 長谷本寺のお話)

□□□ 川の旅立ち □□□


あらしの夜、滋賀県大津おおつの里で神木しんぼくあがめられていた巨大なくすが、豪雨ごううとともに川へ押し流された。光を放ち、かぐわしい香りを漂わせるその木は、村人たちにとって特別な存在だった。


「神様がこの木をどこかへつかわせたのだろうか…」

老女ろうじょ川面かわもを見つめながらつぶやいた。


楠は大津から奈良の大和やまと新庄しんじょうへと流れ着く。その不思議な光景を見た村人たちは口々にささやいた。「この木には神様の意志いしが宿っているに違いない」と。


□□□ 天皇の夢 □□□


その頃、聖武天皇しょうむてんのうは不思議な夢を見た。夢の中で輝く木が現れ、その中から十一面観音じゅういちめんかんのんが姿を現す。


「この木をり上げてほとけを宿し、この地を守りなさい。」


目覚めた天皇は名僧めいそう道慈どうじに命じて霊木れいぼくを探し出させた。そして、新庄の地に辿り着いた道慈が目にしたのは、夢と同じ輝きを放つ楠だった。


□□□ 観音像の誕生と長谷本寺 □□□


楠はただちに都へ運ばれ、名匠めいしょう稽文会主勲けいぶんかいしゅくんによって十一面観音像へと彫刻ちょうこくされた。その過程では奇跡的な出来事が幾度いくども起こったという。刀を入れるたび、木は柔らかな光を放ち、仏師ぶっしさえも驚嘆きょうたんするほどの神秘性を見せた。


完成した観音像は、本木ほんぼく中木ちゅうぼく末木まつぼくの三体に分けられた。本木は現在の奈良県大和高田市南本町にある「長谷本寺はせほんじ」に、中木は新庄の観音寺かんのんじに、末木は初瀬はせの長谷寺や鎌倉かまくらの長谷寺へと安置あんちされた。


「この木が私たちを守ってくれる仏様になるんだね…!」

村人たちは感動し、長谷本寺の建立を心から喜んだという。


□□□ 大和高田に伝わる楠の記憶 □□□


観音像がまつられた後、大和高田の地では不思議な平穏へいおんが訪れた。作物さくもつ豊作ほうさくとなり、村々には争いがなくなったと言われる。


長谷本寺では今でも十一面観音像が祀られ、参拝者さんぱいしゃが絶えない。その歴史の中で人々はこう語り継いだ。

「この観音様は、あの輝く楠から生まれた。神仏が宿る木が、この地を守っているのだ。」


□□□ 終わらない物語 □□□


輝く楠がきざんだ物語は、大和高田の地に深く根付き、現在でも語り継がれている。観音像を訪れる人々は、その優しい眼差まなざしに心をいやされるという。


「この像を見ていると、どこかであの木の力を感じるんです。」

そう語る参拝者の声は、まるで楠のたましいが今も生き続けているかのようだった。

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