権威なき選別者
朽木 堕葉
人間でも化け物でも、ましてや神様でもなくて。
神様がいるなんて嘘だ。
いたとしても、ろくなもんじゃない――青年は、ソイツの手であったものからロザリオを無理やり引きちぎった。それは造作もないことだった。なにより特別、意味がある行為ではない。
そうしてしまったあとで、僕は苛立っているのか? と
カラン。
ロザリオから離れて床に転がった十字架が、乾いた音を響かせる。回転して靴先にぶつかったそれを青年は
童顔には似つかわしくない
短く整えた
戦闘服に包まれているのは
青年が笑いをこぼした。単なる思い出し笑いだった。
この戦闘服に袖を通して、今日で丸一年だということ。今日で十七歳を迎えたということ。やつれたはずなのに、今の方が多少は屈強に見えたことが、
そして、
青年は十字架により目を凝らした。疑問を込めた目つきで。
これが
「わた……私は神にエラばれたのダ!」
廃教会の奥でソイツが叫んだ。
ソイツは見るからに、重傷だった。そしてどう見ても、人間ではなかった。
援軍のご到着か、と思いながら撃ち尽くした
全身の
上半身は
今はもう、“化物”やら“異形”やら――“人でなし”とも、時久は呼ばなくなっていた。口は冷淡にソイツの正式名称を呼んでいる。
「
右耳内部に埋め込まれた複合型電子機器である
実のところ、先ほどからずっと、ひっきりなしに基地司令のガミガミ声は聞こえていたのだが、無視していた。率いる小隊をバックアップにして、無理やり単独突入したことについてのお𠮟りも、時久がようやく応答したことで静かになった。
時久は基地司令から撃滅の命令を受信する前から、腰のホルスターから取り出した拳銃の銃口をB2型の顔面に寄せていった。もはや両目くらいしか人間らしい名残りが見出だせないB2型が、叫んだ。確信めいた響きを伴い。
「滅びルのはおまエたちダ! 神に選ばれもしなかったおまエ――」
時久が口内にねじ込んだ銃口が、その言葉を遮った。
五十口径の回転式拳銃。確実に仕留めるため、決まって最後に使うと決めてきたもの。
「
常套句をつぶやき、時久は撃鉄を上げた。
重々しい銃声は一発だけしか鳴らなかった。毎度ながら、破裂した敵の返り血を浴びることになったが。
何年も放置した水槽のほうがマシと思えるくらいの汚臭に顔を
「……
事後処理に駆け回る隊員たちを横目に、自分はもう、お役御免と判断する。帰り際、奥の台座から、こちらを見下ろす神の彫像を見上げた。
その厳めしい神の顔に、時久は銃口を向けていた。先ほど
「ばーん」
彼らへ愛嬌たっぷりに時久はおどけてみせた。拳銃を仕舞い、
「あとはよろしくー」
と今度こそ、その場をあとにした。
化け物が神様気取りをしているだけじゃないか。
時久はシャワーを浴びながら、毒づいていた。
どうしてこうなってしまった? と疑問が頭をもたげることもある。けれどもそれは時久の生まれる前の話であって、考えるだけ野暮なものだ。
人類がただただ愚かだったのか。
寄生生物がずる
いずれにしても、人類が後手に回ったのは事実で、人に寄生して素知らぬ顔で歩き回る寄生生物が、
各国の政府要人や軍上層部を寄生された状態では、さもありなんというところだろうか。
もっとも解せないのは、寄生された者が神に選ばれたと自負する傾向にあることだ。宗教的価値観で正当性を流布しようというのは、昔からよくあると、時久は聞いていた。
――神様が憎いの?
不意に囁くような女性の声がした。その宗教的価値観について、語ってくれた人のものだった。時久は眉を寄せた。
シャワールーム
警戒の眼差しを保ったまま、時久はシャワーを止めた。手短に体を拭いて着替え、そこから立ち去る前に、こう応じていた。
「神様なんて、いないよ」
自室に戻ると、ベッドに腰掛けた人影があった。赤い長髪の後ろ姿が。また、声が聞こえた。
――人類に進化を促す偉大なことなのよ。
「呪いの間違いだよ」
時久は手を腰のホルスターに当てながら応じた。
――どうして?
「勝手な都合や理由で、醜い化け物にされたメデューサ姉妹の話……それもあなたが聞かせてくれたんじゃないか」
――そうだったかしら?
とぼけるような笑い声がクスクス響く。
「それを打倒したのが、半神であるペルセウスだ。そして、メドゥーサ姉妹も元々は神の血筋だった。……馬鹿馬鹿しいって思ったよ」
――時には試練もお与えになるわ。だって、神様ですもの。
「試練のために神様が化け物を創造するって?」
――ええ、そうとも言えるわ。
時久は
「救済は、いつになったらしてくれるのさ」
彼女は答えない。鼻歌なんぞ歌っている。かと思えば、
――神のみぞ知るかしらね。
急に振り返って言った。異形の顔で。表情などもはや読み取れないが、鼻歌を楽しそうにつづけている。
時久はたまらず発砲した。大口径によって、一度ならず三度も弾丸を叩き込まれたベッドは、かろうじて枕元の周囲だけが取り残されたように傾いでいる。
そこからキラキラしたものが、床に滑り落ちていった。金色の十字架が、窓辺から差し入る月明かりに
「僕が殺したあなたは、そんなことばかり言っていた……」
時久の視界が涙で乱れた。眼前を
「だけど……」涙を拭わずに、彼女の言葉を諳んじた。
「“人はそれ以上になれない――もしそうでなくなったのなら、もうそれは人と呼べなくなるわ”と、僕がよく知る
時久は力が抜けたようになって、両膝を床につけた。
「噓っぱちだよ、なにもかも……」
『噓っぱち⁉ なにを言っている! なにがあった?』
右耳の
「うるさいな……僕は僕の役目を果たしただけだよ」
直属の上官である基地司令は、時久の礼儀知らずの物言いは気にしたふうでもなく、
『……オーライ。
安堵の色を帯びた声を寄こした。やや遅れていつの間にか
それから時久は室内を見回した。肉親の姿は影も形もなかった。
「当たり前だ……僕が殺したんだから」
苦笑していた。そしてそれが、
「神様なんていやしない。いるのは化け物か人間だけ」
自らに言い聞かせるようにつぶやき、時久は頭を抱えた。
「そして――殺すか殺されるかだけ。これまでも、これからも、ね」
※
「
時久との通信を切った直後、副官が冗談めかした発言をし、
「化け物には化け物を……」副官はさらにボソッと言った。
皮肉屋の副官は司令の視線を受けているのに気づくと、ヘラヘラ笑いを引っ込め、ぎょっとなる。
「
如何にも取り繕った言葉だ。しかし間違ったことは言っていないことから、基地司令は相手にせずお調子者から視線を外した。
遺伝子操作。
後天的な肉体改造の施術。
急遽、合法とされた薬物の継続投与。
倫理・論理はもはや議論するに値せず、人類は平然と
基地司令はしばしの物思いのあと、司令室にいくつか設置されたモニターのひとつを見つめた。筒抜けである
泣きじゃくる彼の様子は、少なくとも人間的に見えていた。
権威なき選別者 朽木 堕葉 @koedanohappa
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