靴下を離別させる能力

秋都 鮭丸

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 世の中は不思議なことで満ちています。トーストを落とすと、必ずバターを塗った面が下になります。急いでいるときに限って、何らかの理由で電車は遅延します。傘を持って行けば雨予報は外れますし、傘を忘れれば水が跳ね回るほどの土砂降りになります。そして靴下は、必ず片方だけなくなるのです。

 靴下は片方だけなくなる。それが、よく言う「あるある」のレベルではないことに気が付いたのは、一人暮らしを始めてすぐでした。大学進学を機に地元を離れ、ほどほどのワンルームで一人暮らし。最初はなんでも気合が入り、料理に掃除に洗濯に、そこそこ立派にやれていたのでは、と自負しています。ところがある日、気が付いたのです。靴下が片方、なくなっていることに。

 きちんと管理していたつもりでしたが、ないものはないのです。でもまぁ最初は、「よくあること」として受け入れていました。私も「あるある」に共感できるようになるなぁ、と。ところが、それは「よくある」どころではなくなっていきました。一枚、また一枚と靴下の片方が消えていきます。日を追うごとに次々と。そしてしまいには、手元の靴下の全てが、その相方をなくしました。持てる靴下の全てです。綺麗に片方だけ。両足をなくすことはなく、必ず片方だけは残るのです。

 流石の私でも、これはおかしいと思いました。何者かに盗まれているのでは、と。しかしそれらしい証拠はあがりません。いつもの保管場所とは別の場所に靴下を置いてみても、やっぱり片方なくなるのです。もちろん、施錠は完璧です。盗まれるような心当たりもありませんし、私は首をひねるのです。世の中は不思議で満ちていますね。


 そんなこんなで、私は靴下不足になりました。相方を失った靴下同士を片足ずつ履くことでなんとか繋いでいますが、それでも靴下は半分に減っているワケです。デザインによっては左右違う靴下で合わせることが難しい組み合わせもありますし、全身のファッションとの兼ね合いも一層考えねばなりません。なにより揃いの靴下が欲しい! 私は近場のショッピングモールへと繰り出しました。


 ずらりと並ぶ靴下のペア達に、なんだかほっこりしてしまいました。2枚ぴったり肩を寄せ合い、一蓮托生の想いで陳列されているのです。私の元に来ることで、彼らは離別を余儀なくされるのでしょうか。一抹の不安を覚えながらも、私は何足か買い込みました。これでひとまず、数日は持つはずです。買い物袋を抱えて、私は店を出ようとしました。

 どんっ。

 片足に何かがぶつかりました。おやっ、とそちらを見てみると、そこには小さな女の子。不安そうな目でこちらを見上げ、「ごめんなさい」と呟いています。

「こちらこそごめんなさい、痛いところはないですか?」

 すこし屈んで目線を合わせます。尻もちをついたワケでもないですし、見たところ怪我はなさそうです。そこは安心なのですが……

「……お、……さ…………」

「え?」

 かすれるような声で呟くので、思わず聞き返してしまいました。

「……おかあさん、どっかいっちゃった」

 そうなんです。私達の周りに、他に人がいない。親らしき人が見当たらないのです。少女が見せた不安げな目は、私にぶつかったこと自体よりも、孤独にさまよう不安からきたものだったのです。

「そうでしたか……おかあさんとは、一緒にここに来たんですか?」

 少女はこくりとうなずきました。身体の前で両手を合わせ、少し目を伏せています。まごうことなき迷子のようです。

「大丈夫、おかあさん見つかりますよ」


 先ほどお金のやり取りをしたレジの店員さんに声をかけました。店員さんがすぐに情報を伝えてくれたのか、間もなく館内放送が響きます。私は少女と二人で、店内で待つことになりました。店員さんが私の分まで椅子を用意してくれたので、なんだか申し訳ないと思いつつ、そのご厚意にあずかりました。少女も椅子に腰かけましたが、やっぱりまだ明るい表情ではありません。当然でしょう。子供にとって、ショッピングモールはとにかく広い。小学校より広いのです。人生で入った建物の中で、一番広いかもしれません。知らないものも、知らない人も、とにかく多くて溢れそう。一人で来ることもできなければ、当然帰ることもできません。そんな場所で、唯一の頼みであった親を見失ったとあれば、それは絶望と呼ぶにふさわしい状況でしょう。太平洋のど真ん中で、ボートで浮いているような気分になるはずです。

 ……ちょっと言い過ぎたかもしれません。

 とにかく、不安でしょうがないでしょう。安心させてあげたいのは山々ですが、見ず知らずの通りすがりである私に、何かできることがあるのでしょうか。一人暮らしを始めたはいいものの、靴下の片方をなくし続け、補充のため泣く泣くショッピングモールに訪れたこの私に。

 ふと少女の靴下に目を落としました。子供向けアニメのキャラクターがプリントされた、非常にかわいい靴下です。当然、左右揃っています。今はそこだけ、羨ましくなってしまいました。

「かわいい靴下ですね。そのアニメ、私も小さい頃見ていましたよ」

 突然声をかけられて、しかも脈絡がない話題。少女は目を真ん丸にして、しばらくきょとん、としていました。

「あぁ、ごめんなさい。ほら、ここ、靴下屋さんなので……」

 靴下に注目してしまったのは、ここが靴下屋だったから、というワケではありませんでしたが、私は咄嗟に取り繕いました。ただ、少女は納得してくれたようです。

「お姉さん、靴下ばらばら……」

「うっ……!」

 あまりにも痛いところを突かれました。なんとなく、迷子を導く年上のかっこいいお姉さん感を漂わせていたかったのですが、靴下に注目されると終わりです。子供の純粋さは、時に残酷。ただまぁ、見栄を張る必要もありません。もしかしたら、「子供の私よりこのお姉さんダメなんだ……」といった具合で安心してくれるかもしれません。私は正直に白状することにしました。

「私ね、持っている靴下、全部片方なくしてしまったんです。それでここに靴下を買いにきたんですよ」

 自分で言っていて情けなくなってきました。言葉にすると本当にお間抜けです。涙が出ないよう、少しの間目を閉じます。

「靴下、迷子なんだ」

「迷子……そうですね、迷子みたいです」

「ふふっ、私と一緒」

「ふふっ、本当だ、一緒ですね」

 どうやら、少女の不安を少し和らげることには成功したみたいです。私の尊厳と引き換えですが、まぁ、そんなものは安いものです。涙もすっ、と引っ込んで、私は笑みを返しました。


 そうしてしばらく待っていると、少女の母親らしき人が現れました。髪を乱し、少し息を切らしています。きっと走ってきたのでしょう。その姿を見るなり、「おかあさんっ!」と少女は飛び出していきました。感動の再会です。

 少女も、母親も、安堵のあまり泣き出しそうでした。少女の不安は目の前で見た通りでしたが、母親の方も、それはそれは不安だったのでしょう。母親は店員さんと私にひとしきりお礼を言いつくし、少女と手を繋いで去っていきました。去り際、少女はこちらを振り返り、その小さな手を小さく振るのです。もちろん私も振り返し、二人の背中を見送りました。


 迷子の少女を母親の元へ無事引き渡すことができ、私も一安心です。なんだかものすごくいいことをした気分。去り際の少女の笑顔が、私にとっては最大の報酬でした。

 同時に少し思うのです。少女と同じく「迷子」になった私の靴下たち。彼らは今もどこかに潜み、不安げな顔で小さくなって、かたかた震えているのでしょうか。帰ることのできない我が家に想いを馳せ、片割れを失った相方に申し訳ない気持ちでいっぱいかもしれません。迷子のアナウンスがあれば、私も探しに行けるのですが、彼らの声は届きません。一体どこで何をしているのやら。

 ふと、靴下たちに対して、私が母親側の立場になっていることに気が付きました。便りがないのは良い便り、とは言いますが、何をしているかわからない、というのは不安を呼ぶものです。靴下に対してですらこんな気持ちになるのですから、本当の我が子に対してならもっと……いや、比較にしたら怒られそうです。

 今度は私自身の母の顔が頭に浮かびます。一人暮らしを始めてしばらくしましたが、そういえば、まだ一度も連絡をしていませんでした。しばらく、とは言っても半年もたっていませんし、お盆は帰省する予定だったので特に気に留めていませんでした。それでもやはり、母は私を心配しているのでしょうか。せっかくですし、連絡してみるのもいいかもしれません。華麗に迷子を助けた話をして、母を安心させてあげましょう。一人暮らしの現状も、概ねうまくいっていると伝えましょう。昨日食べた、限定スイーツの話もしましょうか。

 いざ連絡しようと思うと、伝えたいことは尽きません。ただ一つだけ。靴下全ての片割れを失ったこと。大量の迷子を抱えることになった、私を取り巻く不思議については、余計な不安を煽りかねません。そして何より恥ずかしい。

 これだけは、母にはナイショにしておきますね。

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