煉獄のジャッカルハンティング
塚本正巳
上
この世の罪をすべて焼き尽くそうとでもいうのか。皮膚を突き刺すような真夏の陽射しが、閑散とした裏路地に身を潜めるヒカルを容赦なく照りつける。目に映る人間を片っ端から撃ってしまいたくなるほど、蒸し暑くて気だるくて、底抜けに明るく絶望的な昼下がり。
興奮した蝉の声以外に音はない。住宅街は不気味な静けさに沈んでいて、緊迫した空気が呼吸をすることさえ気まずくさせた。
町外れの林に潜り込んだヒカルは、追随して茂みに身を隠したカイに軽く目配せを送った。近くに敵の気配はない。ここなら一息つけそうだ。
「あいつら全員、地獄に叩き落としてやる」
カイはそううそぶくと、口元に隠しきれない悔恨を滲ませた。彼の憤りは痛いほどわかる。敵の謀略により、あれほどいた仲間をなす術もなく失ってしまったのだ。生き残りはおそらくヒカルとカイだけだろう。
当初、両陣営の戦力はほぼ拮抗していた。にもかかわらず、ヒカルたちがこれほどあっさりと追い詰められてしまった原因は、相手の卑劣極まりない戦術にあった。兵士は非戦闘員と明確に区別されなければならないため、自軍のシンボルカラーの装着が義務付けられている。ヒカルたち小隊のカラーは白で、対する敵小隊のカラーは赤。しかし敵兵はわざとそのカラーを見え辛い位置に装着し、非戦闘員を装って不意打ちを仕掛けてきたのだ。
ヒカルは戦争マニアの兄から聞いた、
突然戦場と化したこの住宅街では、大勢の人々が普段通りの日常を送っている。つまり、住民がいつ物陰や建物から出てきてもおかしくないということだ。この状況を逆手にとった敵の蛮行によって、ヒカルたちの小隊はほぼ壊滅してしまった。
戦闘員が非戦闘員を傷つけることは、たとえどのような理由があろうと絶対に許されない。戦闘は単なる実力行使ではなく、あくまで両者の主張と誇りのぶつかり合い。決して弱肉強食の手段などではなく、厳格なルールに則った究極の外交だからだ。
現に今回の戦闘の発端は、外交問題の定番である領土紛争だった。問題となっている土地はごく小さな平地だが、両者は断固として自身の領有権を譲らない。
当然、ヒカルたちにとって戦闘は本意ではなかった。しかし互いの嚙み合わない主張には相応の決着が必要だ。そういった武力頼みの解決を野蛮と罵る者もいるかもしれない。だがヒカルは、そうは思わなかった。むしろ泣き寝入りせず戦いを選んだ自分や同志たちを、心から誇らしく思った。
「どうする。俺たちも頭のシンボルカラーを外すか?」
呪いの言葉でも唱えたような顔をしているカイに向かって、ヒカルはすぐさまかぶりを振った。
「まさか。僕たちまで汚い真似をしてしまうと、この町には二度とルールが根付かなくなる。僕たちの大事な町を無法地帯にしたくなければ、不利でも何でもこの戦闘に勝利するしかない。それくらいカイだってわかっているだろう?」
「でもな、俺のアサルトは弾切れ寸前。こいつが無くなったらあとはハンドガン一挺だ。勝つには奇跡でも起こすしかないぜ」
ヒカルは会話を続けながらも、迫り来る不気味な足音を聞き逃さなかった。どうやら巡回中の敵兵に見つかってしまったらしい。
顔を見合わせた二人が茂みから駆け出ると、すかさず彼らの目前に無数の物体が投下された。投擲弾。こいつは直撃より地面での炸裂のほうが何倍も厄介だ。
ヒカルはカイに進路変更を告げると、執拗に降り注ぐ投擲弾の雨を軽やかにかいくぐった。遥か後方から敵兵の罵声が聞こえてくる。歯嚙みをする敵兵の顔が目に浮かぶようだ。辛くも包囲網を脱することはできたようだが、この辺りもすでに奴らの手に落ちているようなので油断はできない。
二人は炎天下を逃げ惑った末、小さな教会の裏手に潜り込んで息をひそめた。バケツの水でもかぶったような大量の汗が全身を伝う。
ヒカルはなかなか収まらない息切れにつまずきながら、たどたどしく言葉を押し出した。
「このままだといずれやられる。なあカイ、いっそのこと『ジャッカル狩り』をやらないか?」
ヒカルは要領を得ないカイに向き直り、さらに続けた。
兄の受け売りだが、誇りを失った兵士のことを戦場では『ジャッカル』と呼ぶらしい。獣のジャッカルは死肉を食らうため、死を連想させる不吉な存在だ。故に戦場では、裏切りや非人道的手段を用いる兵士をそう揶揄する。
この戦場でのジャッカルと言えば、敵兵の指揮を執っている小太りの男、オハラだ。奴を仕留めることができれば、オハラの剛腕で束ねられている敵小隊の士気はたちどころに下がるだろう。上手くやれば敵小隊の壊滅まで充分期待できる。
「いい案だとは思うが、そう簡単には……」
ヒカルの眼差しに気づいたカイは、彼の意志を汲み取ったらしくその先の言葉を飲み込んだ。
ヒカルには、早期決着にこだわらなければならない理由があった。想いを寄せている幼馴染のアリサを戦闘に巻き込みたくない。アリサはこの時間、子供向けのピアノレッスンが入っているので必ず外に出る。責任感の強い彼女のことだ。たとえ外でこれほどの戦闘が行われていても、頑なに己の使命を果たそうとするだろう。
カイは目元の汗を何度も拭いながら、いかにも彼らしい皮肉のこもった声で呟いた。
「暑いな。まるで煉獄だ」
「煉獄?」
ヒカルが問うと、カイは珍しく苦笑まじりに自分語りを始めた。彼は幼い頃、カトリックの母の勧めで幼児洗礼を受けたという。敬虔な信徒だった母の話の中に、煉獄は登場した。そこは死と天国の狭間。地獄へ堕ちるほど罪深くはないが、そのまま天国へ昇ることも許されない者たちが、清めの火によって魂の浄化を受ける場所らしい。確かに今日の陽射しは燃え盛る炎のようだ。彼が煉獄を想像するのも頷ける。
カイは澄んだ青空を見上げながら、話の最後にぼそりと独り言ちた。
「俺たちは今、武力という大罪を背負って戦っている。この罪が浄化されるかどうかは、戦闘の結果次第。勝てば俺たちの正義は認められるが、負ければ……」
「あのオハラが正義のヒーローってわけだ。そのときは僕たち全員、浄化されずに地獄行きだね」
カイが隣で不敵な笑みを浮かべている。ヒカルは小さく溜め息をつくと、カイに
オハラとは直接面識はないが、これまで何度か小競り合いを起こしたことがあるので知らない相手ではない。彼は目的達成のためなら手段を選ばないことで有名だ。武力による威嚇や騙し討ちはもちろん、最近では間者を使った敵陣の撹乱や破壊活動にも手を染めている。戦場でフェアネスなどという寝言を振りかざすつもりはないが、彼のルール破りの数々を知って眉をひそめない者はいない。
「仕方ねえ。やるか、ジャッカル狩り」
そう言って思い切り背伸びをしたカイの口調は、まるで次の休暇のバカンス先を決めたかのようだった。やらなくてもいずれ追い詰められてしまう。それならばいっそ、最後になるかもしれない狩りを存分に楽しむべきだと思っているのだろう。いかにも陽気なカイらしい開き直りだ。
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