アリスの翼
モトキトモキ
第1話
結井ありす_プロローグ
うちのパパはバドミントンの選手だった。だから、私も強くないといけない。
大一番、期待に応えられないとどうなるか。
無関心でいてくれるなら、まだいい。
でも、それはないんじゃないかな。
放課後トイレから教室に戻ったら、私のスポーツバッグがなくなっていた。
『キモ』
と書かれた付箋が一枚、私の机に張ってあった。
まぁ、犯人の目処はついている。おそらくは同部員による嫌がらせだ。典型的ないじめというやつ。
心がぐちゅりとする。
わかりやすい悪意に胸が痛む。
「ばかやろう」
悪態がこぼれる。小さすぎる声は誰に拾われることもなかった。
とりあえず、体育館に向かう。
親切な同部員が、持ち主の許可も取らずに、勝手に体育館に運んでくれたということはないだろうけど。誰かしらには遅刻の連絡をすべきだろう。
放課後の生徒の喧噪はにぎやかで、同じ空間にいるはずの私は鬱々で、どうにも惨めだ。
どうしてこんな状況になったのか。
大事な試合に負けたとか、私の部活中の態度がよくなかったとか色々あったのだろうけど。
そもそもの原因は・・・
ずっと昔のことが頭をよぎる。
「うん、バドミントン好きだよ」
小さい頃についた、この嘘なのかなって思う。
当時は子供ながらに空気をよんで合理的に考えたこと。自分の居場所を守るためについた嘘。
でも嘘も言いすぎかも。実際は拒否するほどのことでなくて、好きってわけでもないけど。というのが、間違っていない言い方だと思う。
私が生まれる前から、我が家の中心にバドミントンがあった。
パパはオリンピックに出場したこともある。さらにママのお姉さんも同選手だった。でも若くして死んじゃった。ママはお姉さんのことを今も気にかけている。
そんな環境だから、私に選択肢はあってないようなものだった。
この家族において、バドミントンは必修科目なのだ。
小学校のときは問題なかった。親がこのスポーツを熟知していたから、他の子よりもアドバンテージがあった。このときは身長もぐんぐん伸びてたから、体格的優位もあった。
でも、中学生後半から怪しくなってきた。
私は真剣なつもりだったけど、本気の全力でやってる子たちに勝つのは難しくなっていった。
勝率と身長は同調するように伸び悩んだ。
この頃には「もうやめたい」って言葉が飛び出そうだった。でも、お仏壇に手を合わせるママをみていると、そんな言葉は引っ込んだ。
高校でバド部に入ったのは、パパが監督だったから。もう惰性でやっているようなものだった。そもそも他にやりたいことがなかったというのもある。
そんな心構えが、今の状況をつなげたのか。
これ幸いと部活を休むわけにもいかない。パパへの言い訳が思いつかない。
いや待って。
・・・今日から数日はパパと上位陣がいない。社会人チームとの練習で市外へ遠征しているのだ。
私も犯人の人達も、結構な度量じゃないかと、自嘲する。
さらに間の悪いことに、今日、あのバッグをなくすのはまずい。
よりによってというのは、こういうときのためにある言葉なのだと思った。
ため息をつきつつも、体育館についてしまった。
とりあえず、部員が集まっている更衣室に向かう。
扉に手をかけようとしたところで、中から話し声が聞こえてきた。
「ありす、やる気ないよね」
「わかる。本当にそう」
私の名前に手がとまる。
部活前に、駄弁っている部員がいるのだろう。
「あそこ相手に勝てないのは仕方ないけど。ボロボロだったね」
「団体戦なんだから、やる気みせてほしかったよね」
「・・・でも、1、2戦目の先輩だって完敗だったよ」
6月の高体連。団体の2回戦。全国区の強豪校にあたった。負けるだろうとわかっていて、やっぱり負けた試合。
私は敗戦処理の5番手、のはずだった。
それがまさかのフルセット。3、4戦目はうちが取った。
ざわめく観衆の中、わたしの試合。
期待されるような空気が序盤はあったけど。
やっぱり勝てるわけもなく、完敗した。
「はは、ギャラリーはそんなこと気にしないでしょ。大金星落とした戦犯扱いよ」
「でもさ」
この中に飛び込んで、皆々の苦笑いを受け取る気にはなれなかった。
嘲笑だらけの話し声のなかに、擁護するような声が混じっていた。
あの声は田中さんかな。
相談すべきなのだろうか。「でも」の続きはきっと、私を守ろうとしてくれる発言だったろうから。
私は更衣室の扉をこつんと叩いて、ダッシュで逃げた。
田中さんは手首を痛めて、数週間休んでたんだ。
その怪我がなかったら、出てたのはきっと田中さんだった。彼女だったら、勝ってた? こんな状況を招かなかった?
バカだな、私。そんな問答は無意味だ。
「怪我治ったの?」って声くらいかけたかったし、かけるべきだった。
扉を開けられない。黙って逃げたくもない。中に入るなんて無理。なんて中途半端な私の反抗。強く踏み込むくらいなら、あいまいに笑ってとぼけて過ごしてきた。
そんな逃げ腰はいつまで続ける気なのか。
そんなだから私のシャトルは、ネットをこえてくれないことが多くなった。
152センチ。中学でぴたりと止まった身長。この数字は、バドミントン公式のネットの高さと同じ。ポールが155センチ。ネット真ん中を152センチにするように、少したるませて張るんだ。
わずか5gのシャトルは、私の心境をそのままに、あのネットをこえてくれない。
私は空を見上げながら、大きく深呼吸した。
7月初旬の空気はぬるくて、今ひとつしゃっきりしないけど。
心が障子紙みたいにもろくても、頭は考えるだけ考えないといけない。
意外かもしれないが、バドミントンは考えるスポーツだ。身体の反射だけで勝てるスポーツではない。
とにもかくにも頭をまわそう。何か指針がほしい。
バッグはどこにいく?
パパが監督をしている部活だ。急にさぼったら追求されるのは目に見えている。
パパはオリンピック出場を果たした元選手。私は娘。
そんなバッグをもって、校舎をのんきに歩いたりする?見る人がみればわかりそうなものだ。同じく、それをもって部室にいくのも、ちょっと意味がわからない。
より大きな包みにいれて隠す?
それとも人の寄りつかないところに、さっさとぶん投げる?
目立ちたくないよね?
この学校で人目につかなくて、なんとなく近づきたくない場所。
そこまで至れば、この校舎にあるとするならば、行き先の候補がでてくる。
そんな特異な場所。該当するとこ・・・ある。
思い至ってみれば、本当に小馬鹿にされてるのがわかる。
場所は最初から教えてくれていた。
キモ花壇だ。
凄い名前だけど、これで通る。
あぁ、行ったことないけどあそこねって、なる。
ボランティア部さんが管理している校舎内花壇の一つ。
キモい男子が管理してるから、キモ花壇。
普通に悪口だね。
制服の下に着込んだフードをかぶりながら、ブツブツと独り言を唱え続けているらしい。
私は詳しくは知らない。
自分から男子に話しかけるなんて選択肢はないし。友達もたくさんいないから、それくらいしか知らない。
ただ、私よりも小さな背丈だから、なんとはなしに認識していた。
花壇自体は、結構見事なものらしいらしい。
けど、あそこは場所がわるい。
正門とは真逆にあるし。その花壇は、理科室やら調理実習室などの実習教室が集まっている棟の裏手に位置する。そこから先は隣の敷地の田んぼ。どん詰まりだ。
そもそも観賞してもらう位置にないということだ。
はじめていくけど、実習棟伝いにまわるだけだから、迷うことはない。
それにしても、この時期は鬱陶しい暑さのはずだけど、このあたりは涼しげな感じがする。上を見上げると、木々の梢が日差しを適度に遮っているのがわかる。意外とじめじめもしていない。ベンチがあれば、朗らかな木漏れ日ともにお弁当を食べるにはよい場所のように思う。
それでも人がよりつかないのは、キモ花壇故なのか。
棟を回った先は、少し開けていた。
それっぽい推理は正解をひいたようだった。バッグはみつかったんだけど・・・。
「・・・うん?」
何か結構ややこしいことになっていた。
花壇?というか家庭菜園をなぎ倒したど真ん中に、私のバッグはある。
そこにバッグの中身がぶちまかれている。それはまだいい。みつかってよかった。
よくないけど、よかったとして。
そこに人がしゃがみこんでいる。
小柄で白髪な後ろ姿。
用務員のおじいさん? いやでも上はパーカーだけど、下は学校のジャージだよね。白髪だけど、この学校の生徒? でもそんな物珍しい人はみたことない。
その子から唸るような声がきこえる。
しゃくり上げて、押し殺すように泣いているようだった。
あ、一番探していたもの。
ラケット。
それごと抱えてられてる。
あれはママのお姉さんの形見なのだ。飾るよりは使ってくれっていうから、おうちの練習で使っていたもの。なぜか、今日はこっちのバックに紛れていた。
正直これさえみつかれば大丈夫だと、頭の片隅をよぎる。目の前の人よりも、保身がついてでる思考回路にうんざりしつつ、この子に向き直る。
どういう状況?
私はとにもかくにも隣に一緒にしゃがんで、できるだけ優しい声で話しかけた。
「大丈夫ですか?」
「「っつ!」」
互いにびっくりする。
人の泣き顔って、久しぶりにみた気がする。
ぱっと顔をあげたその人をみて、少なくともご年輩の方ではなかったとわかる。
同年代だと思う。
髪もだけど肌も白い。でも、白人さんの顔つきでもなさそう。
向こうもまん丸と目を開いて驚いている理由はわかんないけど。
でもその顔は、胸にきた。
効果音をつけるなら、『ズキュンッ』という感じだ。何かわからないけど、何か感じる。
でも、いうべきこともいわないといけない。
「それ、大切なラケットで・・・えと、大丈夫ですか?」
何をいいたいのかわからない私の言動が悪かったのか。彼女?はこちらを凝視して数秒くらい固まっていた。それから、ぶるぶるとかぶりをふって、ふぅふぅと、二呼吸分の間をおいた。
なんか驚いてフリーズした猫が再起動したみたいな仕草。うちに猫いないけど。
「ありがとうございます・・・・ すみません、えっとあの・・・」
ドキドキしながら、言葉を待つ。
「佐藤さんの・・・ご親戚ですか?」
「・・・・いえ、ちがいます」
ずるっ
肩すかし。何をいうかと思えば。佐藤だったことも鈴木だったこともないな。
あ、でも佐藤?
「ごめんなさい、そうですか」
そういってうつむいてしまった。
悲しそうな顔をみて、思考が中断してしまう。
しかし、かなり雰囲気のある人だ。なんか女優さんとかに遭遇したみたいな心境。
その顔をみるに、自分の意志とは関係なく頬が赤くなっていくのを感じた。
シミやくすみもない白い肌。髪は純白。銀色っぽくもなく、生え際が黒いこともない。眉もまつげも白いから、染めたものではないのだろう。そのシルクのようにさらさらしてそうな前髪からでてくるのは、鼻梁のすっきりした顔立ち。男性っぽくもあるような女の子のような中性的な感じ。髪型もベリーショートだし。
そんな子の無防備な泣き顔。何かしてあげなきゃって気持ちになってくる。
酔いしれるような心地で、この人の声をきいた。
「このラケットは、あなたのなんですよね?」
「うぅん、いえ、はい、そうです」
私はどもりながらも、なんとか返答する。気後れしまくりである。ただでさえ、人見知りなのに。
でも人見知りは、おしゃべりが苦手な分、観察力はあるのだ。
早速気付いたこと。
ラケットのにぎり方が、バドやってる人のそれだ。グリップの握り方でわかる。バドミントンは小指と薬指に力をいれて、人差し指はゆるく添えるように握る。そうするとにぎり拳が変形したグーの形になるのだ。
あと目が赤い。泣いてたから赤いのではなくて、眼球が赤い。なんならうっすら発光していないか。
こんな目立つ生徒いないよね?
「すごい不躾なんだけど、お願いをしてもいいですか?」
「え、はい、どうぞ」
精神的弱者は他人のお願いは無条件で聞き入れるようにできていますので、大丈夫です。なんなら、毎日だって教室掃除でもゴミ箱運搬でもしますよ。
「一球だけでいいから・・・・バドミントン、したいです」
こちらをまっすぐにみつめて、すごく真剣な顔で、そんなお願いをするのだった。
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