海に沈むジグラート④

七海ポルカ

第1話

 騒がしい足音と共に「お待ちください」とか、「ただいま殿下は」などと聞こえてきた。

「……んー……」

 ラファエルは目を覚まし、大きく伸びをする。

「邪魔すんで!」

 バターン! と無遠慮に入って来た。

「ら、ラファエル様、も、申し訳ございません、スペイン海軍の……」

「いーよいーよ。昔からの顔なじみだし……まあダメっつってももう入って来ちゃってるしねえ……」

 ふわ~~~~~ともう一度欠伸をしてから、適当に手を振る。

「悪いけど、そこのお客さんに紅茶でも出してあげてくれるー?」

「か、かしこまりました。失礼いたします」

 侍従はすぐに出て行った。

「おまえさー……。来るのは別に今俺も暇な時期だからいいけど、時間帯考えてよ。俺、昼を過ぎないと頭が動き始めないからカッコいい決め台詞とか言えないよ?」

「そんなもんいらんからとっとと起きろや」

 すぐにメイドが紅茶を持って来た。

 彼女にだけは「おおきに。忙しなくしてごめんな」と笑顔と優しい声を見せてから、イアン・エルスバトは着てきた上着を脱いで、ソファに腰を下ろした。

「お前なんぞが偉そうに『殿下』とか言われるようになったとは、もう……世も末やな」

 ラファエルはベッドで横になったままの姿で、笑みを浮かべ目を閉じている。

「お前なんぞ、育ちがいいだけの戦場にビビッて馬車から出て来ぃひんハナタレ小僧だったクセに」

「俺士官学校出てないからさー 軍を率いるために一年は戦場経験しなきゃダメとか言われて送り込まれて……ほんとスペイン戦線って野蛮で嫌いだったわ~ 斧とかで人を撲殺しないでくれますかねえ」

 イアンは鼻を鳴らす。

「たった一年戦場に紛れただけのクソガキが。何を全部わかったみたいな顔で指揮官杖握っとんねん。俺はお前のそういう甘ったれたトコが昔から大っ嫌いやわ」

「こーんな朝早く叩き起こされて罵詈雑言浴びるなんて新鮮だなあ~~~~~」

「いい加減起きろラファー!」

「……んん……、なぁにラファエル……どうしたの……? なんの騒ぎ……?」

 ラファエルの隣で彼の身体に腕を絡めて眠っていた金髪碧眼の令嬢が目を覚まし、身を起こす。彼女の細身だが、女の魅力に満ちた優雅な裸体が露わになり、やれやれ、とラファエルも一緒に身を起こすと、毛布を彼女の肩から掛けて、スペイン将校から裸が見えないようにしてやった。

「ごめんね起こしちゃって。うるさい旧友がいきなり訪ねて来てさ。俺も本当はもっと一緒に寝てたいんだけど」

「あらそうなの……いいわ。今日は帰る。奥の浴室使ってもいい?」

「もちろん。何でも使って。メイドに執事もね。王女に尽くすように君に尽くしてねって言っておいたから。また連絡するよ。会えてうれしかった」

 令嬢は微笑む。

「わたしもよ。じゃあねラファエル」

 ラファエルが手の甲にキスをすると、令嬢は美しい手の平で優しく彼の頬に触れてから、ソファに座ってこっちを見るスペイン将校にも手を振り、優雅に部屋を出て行った。

 彼女には立って、にこやかに会釈をしたイアンだが、彼女が奥の部屋に消えると、ソファにもう一度座り、煙草を取り出して、テーブルの上の蝋燭を使って火をつける。

「いい女やな」

「でしょー♡」

「優雅だから性格お高いんかなと思たけど、笑顔が可愛いな。あんな子、お前には絶対勿体ないわ。もっといい男に大切にされなあかんタイプや」

「でしょー♡」

 足を組み、ソファの背もたれに片腕を掛けて、涼しい表情でイアンが尋ねる。

「あれが例のお前の『一番愛するひと』か? 確かに一撃で吹っ飛んで死ぬしかないならあんな女に側にいてほしいわな。どこの誰やねん」

「いや。あれは単なる大好きなお友達♡」

 ガク、と片方の肩を落として、イアンは舌打ちする。

「お前ヴェネトでもそんな生活か? この迎賓館も俺のとこの五倍くらい広いやんけ。腹立つわあ」

「それは、俺様ヴェネト王妃様に気に入られちゃったから♡ 王太子のお友達にもなって下さいとか言われちゃった俺がそんな普通の邸宅みたいなところには暮らせないでしょ。何にも言ってないのにポン! とこんな場所くれちゃって。いやあ~助かるな~」

「お前の乗った戦艦絶対沈没してほしいわ。撃沈とかじゃなくて特に意味もなく戦艦の底に穴開いて沈んでくれへんかな」

「なによ。お前俺のカノジョの裸わざわざ見に来たわけ?」

「誰がやねん」

 イアンが苦い顔をする。

「そこまで暇ちゃう。忙しすぎて今騎士館に帰る途中や。人が寝不足で働いてる間お前が女とイチャイチャしてんのかと思うとメッチャ腹立つわ」

 ラファエルは吹き出す。

「お前が働き過ぎなんだよ。休めばいいじゃん。お前も美人のセニョリータ家に呼んでさ」

「アホか! お前のフランス艦隊がどっかりと正面の港に居座ってるから、うちの艦隊は南の港に肩縮めて食器棚の皿みたいに収まってんのやぞ! あんなもん緊急時に出る時船めり込んで長い一列になるわ! おかげで着任してから城に挨拶にも行けんでいきなり増設作業や! セニョリータと知り合う暇もないわこっちは! どこやねん美しいセニョリータは!」

「ご苦労様あ~ でもまあそこは早い者勝ちだからさ。遅く来たお前らが悪い。まあ夜会にお前も出れば自然と女の子と知り合うでしょ。それまでせいぜい勤勉に働くんだねえ」

 イアンは舌打ちした。

「呼べばすぐ来やがって。プライドとか無いんかお前らのとこは……」

「じゃー 一番プライドねえのは神聖ローマ帝国だな。あいつら一番乗りだもん」

「あいつらは『空路』だから早いんやろ。そら空からなら国からここまで遮るものもなく一直線や。いいなー 楽そうで。俺も乗ってみたいなぁ」

「そうかあ? 俺は竜騎兵団嫌い。空から飛来してあんなバケモンみたいなやつで人間押し潰して殺すなんて野蛮の極みじゃん。竜も嫌いだけど竜騎兵も俺は嫌いだな~。あいつらこそお高く留まってんだもん。わざわざこの俺が面会申し入れてやったのにもう一週間も待たされてる。『忙しいから』とか言ってるらしいけど忙しいわけないじゃんよ。たかが街の守護職なんか」

 イアンは呆れた。

「おまえ……ほんとに何も知らんのやな。街の守護職なんて今とんでもなく忙しいに決まってるやろ?」

「? なんで」

 ラファエルはそこにあった優美な白い薔薇を一本抜いて、花の香りを嗅いだ。

「今城下町で妙な連続殺人事件多発しとるんや。貴族とか、警邏隊とか役人とかがよく死んどって、反乱分子の仕業やないかって話になっとる。おまけに数日後に【夏至祭】があるから、王都守備隊なんぞ今寝る暇もないわ。さすがに同情するわぁ。お前が夜中に女とイチャイチャしてんの想像すると腹立つけど、俺神聖ローマの連中が眠たい目擦ってこれ以上騒ぎ起こしたらあかん思て必死に夜中警備とか見回りの仕事しとるの想像すると俺らもがんばろーって気持ちなるわ。親近感ってやつやなこれ」

「へー。【夏至祭】って何やるの? なんも聞いてないんだけど」

「民衆のお祭りやろ。城下町に花を飾って、三日三晩踊って楽しむ。大体そんな感じやと思うが……お前んとこ無いんか?」

「ナイ」

「うちの国にもあるわ。王宮でも城下町でも夜通し火を焚いて夏の夜を楽しむねん。どっちでも祭りがあるから、こっそり抜け出てよく小さい頃は街の方夜中見に行った。警邏も聖職も貴族も関係なく、みんなで踊って歌って食べて……。俺も好きな祭りの一つやわ。まあここのがどうかは知らんけど」

「ふーん」

 あまり興味が無いようにラファエルは手にした薔薇の花を揺らしている。

「一生懸命街の人間が飾り付けしてんで。お前も腐ってもこの国の守護職なんだから女とばっか遊んでへんでたまには街でも見回ったれよ」

「暢気でいいねえ。おたくらにぶち込まれて消滅した国の人間なんて、もう【夏至祭】どころかこの世のどんな楽しみも謳歌出来ないっていうのにさ」

 イアンがラファエルを見る。

「へえ。お前はとっくにヴェネト王国に帰順して、そんな吹っ飛ばされた人間達の痛みとか忘れたんかと思ったわ。……そういや一番愛する人間がここにいる、とか言うてたけど。お前ヴェネトに来たことあんのか?」

「なんで俺がこんなとこまで船で揺られながら来なきゃいけないのよ……海なんか大嫌いなこの俺様が」

「お前が言うたやんけ」

「好きなやつがここにいるって言っただけ。出会ったのがこことは限らないでしょー」

「限らねーけど……つーかお前いい加減服着ろや。なに優雅に全裸でビーナスみたいに横たわってんねん腹立つな」

「えーもう起きんの?」

「誰に聞いてんねん」

 叱られて、ラファエルは欠伸をしながらやれやれ……と身を起こす。衝立の向こうでようやく着替え始めた。

「どこで知り合ったんや」

「なに? イアン君が俺の恋愛にそんな興味示すの初めてだね」

「お前の恋愛には興味ねえ。それよりフランス艦隊の敵情視察や」

 ラファエルが繰り出して来た投げキスを忌々しそうに殴り返す仕草で叩き潰し、イアンは立ち上がって窓辺に寄った。窓を開き、少し煙に曇った部屋に風を入れる。

 夏は水上に風が吹き込んで涼しいものだが、冬は相当、凍てつくだろうなと彼は思った。

 港が凍るようなら、大型艦は冬の前に移動させなければならない。艦隊を指揮する指揮官として、変わりゆく季節の先を見越して、そういったことを考えることも、幼い頃から軍人として育てられてきたイアンには容易いことだったが、時々冷静にそういうことを考えている自分に、軍人の自分ではなく、素の自分が唖然とすることがある。

 ……凍てついた雪の時期も、この国で過ごさなければならないのだろうか。

 時々、本当に立ち尽くす。

「その女、フランス王宮で会ったんか?」

「んー、まあそうだねえ」

「お前にそんな女がいるの知らんかったわ。いや。お前の女とかはどうでもいいけど、国としてはお前は有望株だから、結婚相手重要やろ。ヴェネトにいるってことはフランス貴族ちゃうんやないか?」

 ラファエル・イーシャが王弟の息子で、聖十二護国の一つ【フォンテーヌブロー】公爵家を継ぐ公爵だということは知っている。イアン個人としてはラファエルは単なる「昔から知ってるバカ」だったが、フランスにおいて彼は王族に連なる貴族の中では最も格が高い大貴族だ。当然、公爵として、結婚相手にもまた格が求められる。格の高いフランスの大貴族がこの時期にヴェネト王国にいるとは思えなかった。

 ある意味、この時期は緊張状態にあるのだから。ここは戦場なのだ。

「まーね」

「へぇ……」

 こいつは昔から女と見ればどんな年齢の女でも口説いていたが、みんな貴族だった。それ以外に手を出すと、相手に害が及ぶ場合がある。ラファエルは、その一線は守っていた。 イアンもそこは、こいつは何も考えてないわけじゃないんだなと思う部分だ。

 彼自身小さい頃、城に出入りする下働きの少女が素直で優しくて可愛くて、彼女に恋をしたことがある。彼女は城を訪れる貴族令嬢や姫君を見て、きれい、他の世界のひとみたい、と目を輝かせていたが、イアンにはそんな風に憧れる彼女の方が、着飾った令嬢などより百倍も可愛く見えた。

 本当に少年時代の、他愛ない初恋だった。

 仕事の手が空いた時に会って、話したり、キスをするくらいの、罪のないものだ。しかしどこかからかそれが密告され、末の王子が最近召使の娘に懸想をしているなどと伝わり、躾けに厳しい太后が激怒し、その少女を捕まえて、手を鞭で血が出るほど叩いて、二度と王家の人間に気安く触るんじゃないと激しく叱責し、母親共々解雇し、城から叩き出したことがあった。

 父も母親も彼女を庇ってくれなくて、イアンも罰を与えられてしばらく塔に幽閉されていたから、彼女に謝ることも、別れを言ってやることも出来なかった。当然それから彼女と会うことは二度となくなった。それからは、イアンは身分違いの恋はしなくなった。彼は城より城下町の雰囲気が好きだったのでよくお忍びで遊びに行った。その時々で彼に憧れたような視線を向けて来る娘たちがいて、その中に彼も惹かれるような人も確かにいたが、決して手は出さないようにしている。

 その点では、自分の軽率さで罪もない一人の少女をあんなにも痛めつけて不幸にしたイアンはラファエルには負けていた。

 ……腹の立つ、思い出だ。

 何年経っても。

 あんな辛い想いはもう二度と、自分のせいで、誰にもさせてはいけない。

「貴族やないなら妾にするのか? まぁ……そんくらいなら許されるのかもな……。正妻次第やけど」

「妾、ねぇ……」

 ラファエルは袖を通したシャツのボタンを留めながら、大鏡に映った自分の青い瞳を見つめる。いつかその瞳に映っていた、あの黄柱石の輝きを。

 確かに大貴族ともなると、個人の欲求とは別に、家系を絶やさない為にも血を求められるから、愛妾の一人や二人いたとしても、糾弾はされない。常識だろう。ラファエルの父にもそういう女はいたし、国王にもいる。彼自身は貴族の自覚として、そういうことは理解している。

 だが、イアンに言われて、彼の人に想いを巡らせていたからか、その言葉を聞いた途端に思ったことは。


 ――妾なんてとんでもない。

 あれは唯一の愛どころか、命さえ捧げられて慈しまれるべき存在だ。


「ラファ!」

 呼ばれて、振り返る。

「貴族じゃないならどういう身分の女や?」

「やけに聞いて来るねー。いつからお前俺のママになったわけ?」

「アホか。共倒れを避けたいだけや。言っとくけど、王妃に気に入られた~なんて浮かれとったら痛い目見んで。フランスには手を出さへんっていう確証をお前が得たわけやないってこと、よぉ覚えとけ。呼んだ守護職が女関係で不手際起こしたなんて責められて、信用出来ひんとかこっちにまで連帯責任求められたら最悪なんや。だから聞いてんねん。揉め事起こすような相手か? お前まだ婚約もしてへんのやろ」

「それってどういう意味?」

「フランス王がお前をここに送り込んだ意味や。ヴェネト王家には王太子一人しかおらんけど、親類にはお前と見合う年頃の女一人くらいおるやろ。お前、件の王妃が『貴方はとても気に入ったから私の親類の娘と結婚しなさい』って今、言われたらどないするつもりや? 嫌ですなんて言える立場じゃあらへんのくらいは分かるよな?」

 衝立に肘を置き、ラファエルは目を丸くする。

「その発想はなかった。」

 イアンは半眼だ。

「おまえ……自分がホントに戦時の指揮官として送り込まれたとでも思っとったんか?

 相変わらず、ほんまに頭がめでたい言うか……」

「いや。陛下はそこまで考えてないよ。俺がここに来るのもすんごい止められたし。『行ってはならぬ愛しい息子よ!』ってすんごい引き留めてくれた。まあ俺は初めて見るクレメンティーヌ・ラティマのことしかあんま見てなかったけども。聞いてくれよ~~~噂通りの美女だったわ~~~さすがロワールの奇蹟とか言われるだけある! あれで未亡人だよ。色香がたまんなかった。お前にも見せてやりたかったな~~~~~。俺も王様だったら絶対彼女滅多に外に出さずに自分だけで可愛がりたい。気持ち分かるわ~~~。ん? ああ、何の話だったっけ? 忘れてもうた。あ、違う。イアン! お前の喋り方移るからやめろよ!」

「なんやお前引き留められたんか。期待を込めて送り出されたのかと思ってフランス王頭狂ったんかと思てもうた。んじゃお前志願して来たのか?」

「志願してないのに海渡って来るバカがどこにいるって何度言ったらわかるのよ」

「……ホンマに彼女に会う為やないやろな?」

 ラファエルは微笑んでいる。

 イアンは顔色を変えた。

「おまえ……嘘やろ⁉ フランス艦隊お前の私物ちゃうぞ!」

「まー。でも誰も志願者いなかったんだから。俺は感謝されてるし」

「ここに来なくてすんだ貴族にやろ! お前なんぞに実際指揮執られる兵士の身になれ! 無能な指揮官なんか可哀想やろ!」

「あー。その発想はなかった~~~」

「おまえほんまにぶん殴りたいわ‼」

 煙草を窓枠で潰して捨てると、イアンは自分の髪をぐしゃしゃー! と苛立ち紛れに掻き回した。

「んでどうすんねん。私の親類と結婚してくれ言われたら」

「まあそれはするしかないだろうねえ」

「へぇ。その覚悟はあるんか」

「いや。そうするしかないでしょ。俺は自分で手を上げてここに来たんだし。そんなことで王妃の機嫌を損なったらさすがに陛下に申し訳が無い。それとも断わるいい方法があるならお前が俺に教えてよ」

「まあ無いわなあ」

「お前だってそんな無理難題言われる可能性あるんじゃないの? 未婚でしょ」

 イアンはハッとした。

「その発想はなかった……」

 ラファエルが吹き出している。

「なんでよ。お前が言ったんじゃねーか」

「どないしよ……俺愛のない結婚だけはしたない……。兄貴や姉貴みんな言うねん王族なら愛ある結婚は諦めろとか……絶対嫌や。王位なんてどうでもいいから愛ある結婚がしたい」

「まぁ気持ちは分かるけどな……」

 上着の襟元を整えながらラファエルは言った。

 絶望していたスペイン将校はしばらくして、深く溜息をつく。

「……まあけど……ほんまにそんなこと命じられたら、俺だって頷くしかないんやろな」

 窓の外を見遣る。

 ここからはヴェネツィア王宮が目の前に見える。ごく側だ。

「最愛の人間が同じ国にいてくれるなんて羨ましいわ。……一生この国から出れなくて、ここで結婚して、ここで死んで行くなんて可能性、本当にあんのかな……」

 ラファエルが側に来て、古い友人の肩を叩いた。彼の方を見てからイアンが額を押さえる。

「……最悪や……お前が『羨ましい』とか有り得んこと言ったな今……おれ」

「落ち込むな。聞かなかったことにしてやるよ。だから俺の最愛の人間のことも秘密にしてよね」

「どこの誰や?」

「実はこの国にいることは知ってるけど、まだ見つかってない」

「見つかってないって……」

「小さい頃、パリの王宮とかで会ったことがあるんだ。ほんと小さい頃だけど。お互いの素性も、分かんないくらい小さかった。でもある日会えなくなって、ヴェネト王国の出身だったとこまでは突き止めたんだけど。まあ、自由にここに来ることも出来る立場じゃなかったから」

 そんな昔からの知り合いなのか。イアンは少し驚いた。

「そんなもん……お前自身じゃなくても誰か人をやって探せばよかったのに」

「まあそうなんだけど。……なんというか、ちょっと複雑なんだ。その辺」

「お前の話聞いてると、彼女もなんか、普通の令嬢って感じせぇへんな。パリの王宮で会ったなら一般人でもないっぽいけど」

「その辺はノーコメント」

「んでもそんなガキの頃から好きなやつがいたとは知らんかった。つーかだったら何であんな他の女と遊べるねん」

「だって他の女と付き合わないと親とかが五月蝿い。僕には心を決めた人がいるって言っても寝ぼけたことを言うなって叱られて。分かった分かった付き合いますよって方向転換したら今じゃお母様もぐぅの音も出なくなっちゃって。そりゃそうだよねえ。自分たちがたくさんの女と付き合ってその中から最高の相手を選べとか言ったんだから」

「そんで?」

「そんでって?」

「そんでその子のこと探しとるんか?」

「まあまずはここでの自分の立場を確立させて、任務は果たさなきゃ。けど、もうほぼ仕事は終わったね。会った時から王妃様は俺を気に入ったみたいだし。先に会った神聖ローマ帝国の将軍が気に入らなかったみたいだよ。王宮に直接竜で来たみたいで無礼だって怒ってた。お前も王宮に行く時は軍馬で庭とか占領しないように気を付けなね。ヴェネトの方々は平和を愛する民だから、無粋なことすると嫌われちゃうよー?」

 イアンは忌々しそうに鼻を鳴らした。

「なにが平和を愛する民や」

「竜騎兵なんて嫌いって話題で盛り上がっちゃって。貴方ならいつでも気軽に城に訪ねて来て下さいって言われちゃったからほぼ任務完了だよね。少し自分の時間が出来たから。これからは少し探したい」

「……意外やわ。お前がそんな何十年もの恋を引きずるとか。そんなタイプちゃうと思ってた」

「俺はこう見えてすげー一途な性分よ?」

「どこがやねん」

「一目見て分かんない?」

「まったく」

「喋り過ぎちゃったよ。お前ってミョーにこういうの話をさせるトコがあんだよな」

「なに人のせいにしてんねん。お前が勝手に喋り出したんやろ」

「お前が言え言えって五月蝿いんじゃん」

「あー。お前のアホみたいな恋愛に付き合わされて王妃に睨まれたくないからな」

「そーいうこと言うとあのスペイン将校意地悪いんですって王妃様に言いつけちゃおうかな~」

「いいんやでラファ。お前がその気なら【シビュラの塔】にやられる前にスペインとフランスで決着つけても。国にはこの俺を平気でこき使う豪気な兄貴と姉貴らがそれぞれに軍隊持って牙磨いとる。うちのアラゴン家は長男から末弟まで皆軍系の戦闘民族やぞ」

「まあ素敵な野蛮♡」

「うっさいわ。けどお前そんな長く会ってないなら相手のこともあんま分からんのやろ。

 相手もう結婚してたらどないすんねん」

 ラファエルは数秒待って蟀谷を人差し指で掻いた。

「……その発想はなかった」

 イアンは口許を引きつらせる。

「なんで無いねん……お前ホンマ……暢気なやっちゃな……。相手が子供の頃から十年もお前のこと一途に想てくれてるとでも思ってたんか?」

「思ってた。だって愛情深くて一途で誠実で優しい人だから」

「アホか! そんな魅力的な女、もうとっくにもらわれてるに決まってるやろ!」

「ええええっ⁉ ナニそれ……そんなことになってたら悲しくて俺死んじゃう……」

「お前がどこまで本気なのか全然分からんわ……」

 イアンは溜息をつく。

「もーええわ。お前と話してても実りのある話に全然ならんし……家帰って寝るわ」

 彼は上着を脇に抱えて歩き出す。ラファエルも何故かついて来た。

「折角来たんだしデートしない?」

「せえへん。」

「楽しいと思うよ~~~~。」

「せえへん。眠い。」

「オルレアン公のご子息にしてフランス海軍最強の【オルレアンローズ】の総指揮官にしてフランス聖十二護国の一つ【フォンテーヌブロー】家公爵であるこのラファエル・イーシャ様を一週間も待たせてる奴の顔拝みに行かない?」

「すまん。『オルレアン……』っていう所までしか聞いてなかった」

 欠伸をしながらイアンは歩き続ける。

「五文字⁉ もうちょい聞いてよ。今折角噛まずに綺麗に全部言えたのに」

「お前の肩書きになんぞ今日の夜ご飯より興味ないわ」

「なによぉ~相手は戦歴十分の生粋の軍人フェルディナント将軍だよ? 俺一人で行ったら戦歴鼻で笑われちゃうじゃん。その点野蛮なイアン君の元気いっぱいな戦歴があれば……」

「誰が野蛮人だ腰抜け舞踏会。――つーかフェルディナント? 神聖ローマ帝国軍のフェルディナントってもしかしてフェルディナント・アークか?」

 ラファエルの引き留めに一切興味を示さず、館の外で待ってる馬車のところまで来て、乗り込んだイアンが初めて振り返った。馬車に肘を預け頬杖をつき、頭を支えた姿でラファエルが目を瞬かせる。

「なによ。もしかしておたくら知り合い?」

「なんや。神聖ローマ帝国の使節団、あいつが率いてんのか。相変わらず働き者やなあ~~! あいつ元々スペインの陸軍士官学校出身やねん。一緒に学んだわ。懐かしなあ~~」

 途端に明るい表情になったイアンとは逆に、今度はラファエルが半眼になる。

「ご学友? あー。お前らさては今例の『スペインと神聖ローマ帝国で結託してフランスを窮地に追いやる作戦』が発動してるだろ」

「なんやねんそれは……お前なんぞ結託せえへんでも片手一本で俺は片付けられるわ!」

「そんなことしたら俺ホントに王妃に『あいつら二国、王太子がバカで扱いやすくて助かったとか言ってましたよ』とか悪口言いつけちゃうからねイアン君覚悟しような」

「しっかしフェルディナントが派遣されるとはなあ……」

 イアンは馬車の窓枠に頬杖をつく。

「? 戦功十分なんだろ?」

「戦功はな。けどあいつ【エルスタル】出身やろ。それがよりよって【シビュラの塔】を操るヴェネトに派遣されるとは……。あそこの皇帝も無茶苦茶しよんな」

「なんだ。神聖ローマ帝国出身の奴じゃないんだ?」

「フェルディナントは【エルスタル】出身や。なんや両親が不仲だったらしくてなあ。そんで母方の母国になるスペインで学んで、武人として頭角を顕わして、王である父親に【エルスタル】に呼び戻されて、神聖ローマ帝国に着任したんや。【エルスタル】は小さい国やけど、今の神聖ローマ帝国とは同盟関係にあったから、皇帝の軍の増援として派遣された。【エルスタル】には兄貴とかがいっぱいいて、あいつも俺と同じように王位継承権からは遠い子供やったはずやわ。父親に期待されてへん分、戦場で戦功稼がんと、一切見てもらえないから大変やってよく士官学校時代一緒に愚痴った。俺と違って生真面目で勤勉やけど、頑張り屋でええ奴やったわ。

  ……【エルスタル】が消滅した時、あいつ神聖ローマ帝国で着任中やったから国を離れてて、難を逃れたんや。その後皇帝の計らいで【エルスタル】の王位を継いだって聞いたで。……もうこの世に土地も存在しない国の王位を。そんなもん自分には手に入らんから、欲しいものは自分の力で手に入れないとって早いうちから軍人の道目指しとった。それが、まさか生き残りが自分しかいないから、自分が継ぐしかないなんてことになるとはなあ……。大変やな……あいつ王妃とかに挨拶しよったんやろか?」

「したって聞いたよ。会ったって言ってたもん。印象悪かったらしいけど」

 イアンが舌打ちする。

「当たり前や。家族を皆殺しにしやがった女やぞ。にこやかに握手出来る方が頭どうかしとるわ。けど……大事になってないってことは殴りかかったりせぇへんで挨拶自体は無難にこなしたんやろな。えらいわなあ……。……アカン……三国競合では神聖ローマ帝国もライバルやけど、フェルディナントが来てるとは知らんかったからなんや同情して来てもうたわ……」

「それが神聖ローマ帝国の狙いじゃねーかってうちの血気盛んな補佐官が言ってたよ? なーに敵の策略にカルガモみたいに簡単にはまってんのよイアン」

「アホか。あいつはそういう同情に付け込んでどうこうするとか、そういうタイプの奴や無いねん」

 わしわし、と癖のある黒髪を掻いてから、「よし」、とイアンは決めたらしい。

「悪いけど、騎士館に戻る前に神聖ローマ帝国の駐屯地に言ってくれるか」

 御者に命じる。

「お。会う気になった?」

「旧友に挨拶や」

「俺もついて行っていーい?」

「ええけど大人しくしとけよ」

 ラファエルが華麗にウィンクをしてからバサリ、と上着の裾を捌いて馬車に乗り込んだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る