第2話
「ジャック・ニルソン殿。今日も、ご苦労であった」
「ありがとうございます。エリーゼ王女殿下に、よろしくお伝えください」
夢だ。昔の夢。いつまでも覚えている、記憶。
私は、宰相殿の後ろで頭を下げる。石畳を杖で突く音が聞こえてくる。
周りには、数人の使用人。皆、宰相殿と私を見ると頭を下げた。それに対し、会釈を返しながら馬車乗り場へと進む。
「次は、いつに?」
「二週間後を予定しております」
「わかりました。王女にも、そう伝えておきます」
外へ出ると、宰相殿と私の息が真っ白になった。私は、手を温めるため両手をこすり合わせる。
宰相殿の顔を見上げると、少し疲れたような顔をしていた。目の下には薄っすらとクマが浮かんでいる。
「宰相殿」
「何か?」
「手を」
疑い深そうに手を差し出す宰相殿。私は、手を重ね合わせて治癒魔法をかける。
「……なぜ、私に?」
「お疲れのようでしたので」
「……そうですか」
柔らかな光に照らされた宰相殿の顔を見る。眉間のしわはそのままだが、顔色が少しだけよくなっていた。
「魔力は、大丈夫なんですか?」
「えぇ。今日は、休むだけですし」
宰相殿の治療を終え少し待つ。
王家の家紋が入った馬車が、乗り場へとゆっくり進んできた。
先に往診用の鞄を押し込ませ、乗り込み扉を閉めようとする。
「ドアを閉めるなよ!俺が乗るぞ!」
ふいに誰か男性の叫び声がする。私は反射で、取っ手にかけた手を離してしまった。石畳に響く重く硬い靴音が、ファンファーレのようだ。
件の声を出した人物は、ひらりと馬車に乗り込んだ。
私の戸惑いを置き去りに勝手に扉を閉め、流れるように天井を二回鳴らす。
ゆっくりと動き出す馬車。
宰相殿が何かを叫び、馬車に走り寄ろうとするが衛兵が彼を羽交い絞めにしている。
「レ、レドモンド王太子殿下……何をして……」
夕日を映したアーモンド形の瞳。金の糸を紡いでできた長い髪。一流の職人が手ずから作った彫刻のように彫の深い顔。
馬車に乗る前は凛々しい顔つきだったが、私の顔を改めてみると目の前のお方は爽やかに口角を上げた。
臣下の礼をとろうとする私を、手で制し笑い声をあげた。
「いらん、いらん。ジャック」
「……と言われましても……」
窓の外をちらりと見る。騒ぐ宰相殿はもう見えず。すでに王宮に繋がる門を抜け、貴族街へと進んでいた。
無礼だとは思っても、どうしてともに馬車に乗っているのか。私は、恐る恐るレドモンド殿下に尋ねた。
「あ、あの……どうして馬車へ……?」
「あぁ。ニルソン商会に行く用事があるんだ。ジャックを送った後、寄らせてもらう。だから、ついでだ」
ついで。
私を教会へと送った「ついで」とは、用事の重要さが逆ではないだろうか。
といっても、目の前のお方は何を言ってもひらりと流してしまう。私はため息をついて、ニルソン商会に行く理由を聞く。
「商会に行く理由か? エリーゼへのプレゼントだ」
「そ、そうでしたか……」
「私が行こうと話をすると、護衛やら相手の準備やらですぐに向かうことが出来ないだろう? 気を使わせるし、何かと不便だ」
一国の王位継承者が、お忍びはまずいからです。……といった言葉は飲み込んだ。
「……せめて、先ぶれなどは……」
「出した。お忍びだという事も含めてな。そうしないと、宰相はともかくトレヴァーには文句を言われるだろう。お前の兄の説教は、長いからな」
にやり、と笑うレドモンド殿下。私は顔を手で覆い、次の言葉を考える。
「……その……もう少し……」
「最悪、俺が謝ればいい事だ。それに、俺が好きに動けるのはこの国が平和だからだ。今のところ、大きな戦争もないしな」
……反論の言葉が見つからない。私は、レドモンド殿下の言葉に一回、ゆるりと首を縦に振った。
「……とはいっても、問題は山積みだ。貧困、農業、医療にその他もろもろ……。まぁ、うちはまだましだな。魔獣による被害も少ないし、スタンピードも起こったことがない」
「スタンピード……魔獣の暴走ですか……。確かに、聞いたことはありませんね」
「歴史の中でも、1~2回くらいしかないな。……それに、エリーゼの嫁ぎ先も決める必要がある」
緩んでいた口元が、引き締まる。下がっていた眉が、再び吊り上がる。窓の外を見ながらも、その眼はどこか遠い未来を見ているようだった。
「……候補は、あるのでしょうか」
「あぁ。幸いにも、今のエリーゼの状態を理解した上でそれでも、と臨んだ王子が一人いる。俺は、彼が好きだ。……一応政略ではあるが、幸せに暮らしてほしいと考えている。……甘い考えでは、あるがな」
何かを思い出し口元を緩ませるレドモンド殿下。だが、すぐに口元を引き結び眉間にシワを寄せる。
「……西の騎竜舎で、トラブルがあった。数日、留守にする」
王太子が私に予定を伝えてもいいのか。その回答は飲み込む。言ったところで「お前がバラすわけないだろ」と言われるだけだ。
「西の?騎竜に何か?」
他国への遠征に使うための小型の竜。西には巨大な騎竜舎がある。
レドモンド殿下は、首を横にゆるりと振った。
「いや、騎竜の問題じゃない。人間関連だ。どうやら、解雇した人間が面倒なことを起こしているらしい」
「面倒ごとですか……」
「曰く『仕事をしたのに、金を払ってない』だとか……。まぁ、すぐに終わらせるさ。……ところで、ジャックはエリーゼの治療が終わったら、どうするんだ?」
前のめりになり、顔の前で手を組むレドモンド殿下。その眼は、何かを見定めようとしてる目だ。
「特に、何も。ただ、王家の専属治癒師としての業務を果たすだけです」
「まぁ、お前ならそう答えるよな」
はぁ、と深い溜息を吐き眉を下げ仕方ないといった表情をするレドモンド殿下。
幾度となく答えてきた回答だ。エリーゼ王女殿下の治療が終わったところで、私のやることに変わりはない。
「何かあったんですか?」
「トレヴァーから言われてな。エリーゼの治療が終わったら、ジャックを旅に連れていくと」
旅?
そこだけ復唱した。
トレヴァー兄さんが私を?
彼からの手紙の内容が頭の中で思い出される。機械都市、海上に浮いている街。
なぜ?
「ねぎらいだ、と。俺もエリーゼもいいと言ってるから。行ってこい」
「で、ですが……」
現状、私の次に専属治癒師になる人間はいない。前任も長かったし、私もまだ10代だからだ。
どうしていいか分からず、口を手で覆う。
手首からは小さな金属音が鳴った。
王家の家紋が入った、専属治癒師である証。
(そんなこと……考えたことがなかった……)
「後任を作る……じゃなくてもいいから、少しずつ別の人間に頼ることも覚えろ」
「……わかりました」
「不服そうだな。ま、あとは父上に言っておく。くだらない用事で、ジャックを呼びつけるなって」
「くだらないとは……。陛下の御髪を守るためです」
「いいんだよ。いっそ、剃ったほうがいい。いっそ、潔い。失われるものに、縋っても意味がないだろうに」
談笑していると、急に馬車が止まった。普段よりも乱雑なノックが聞こえる。
許可を出すと同時に扉が開くと、御者が焦った顔をしていた。
「どうした。何かあったか」
「も、申し訳ございません。殿下、治癒師殿。いつもの馬車止めに、何か置いてありまして……」
「わかった。見てくる」
言うな否や、レドモンド殿下は剣をとり慌てた御者を押しのけて馬車を降りた。私も、慌てて往診カバンを持ち転げ落ちるように馬車を降りる。
ヒヤリとした風が頬を撫でる。殿下は、ずんずんと夜道を進んでいく。
「お、お待ちください!殿下!」
「大丈夫だ。俺は強いからな!」
「知っておりますが、危険です!暗いですし」
ばたばたと彼のあとを追う。街灯に照らされた馬車止めには、黒い塊が転がっていた。
警戒したのか、段々とスピードを落とすレドモンド殿下。ようやく追いつき、息を整わせつつ話しかける。
「ど、どうしました?」
「……動いていないか?アレ」
殿下の指さす先、塊がかすかに右左と揺れている。
魔獣だったら。血の気が引く。とっさに、レドモンド殿下の前に身体を滑り込ませた。
いくら強いと言っても、レドモンド殿下は次期国王だ。何かあったら、私と御者、下手をすれば司祭様の首が飛ぶ。
「……私が、見に行きます」
「お、おい」
意を決して、私は一歩ずつ、ゆっくりと足を踏み出した。
ゆっくりと動いている塊。近づくごとに、鉄の匂いが漂ってきた。
塊の足跡のように、黒い液体が地面に伸びている。
一瞬、街灯に照らされた塊が鈍く光る。
(……鉄の匂いじゃない。これは……)
うずくまっている塊に、見覚えがある。
(人だ……!?)
背筋に冷たい汗が流れ、全身から血の気が引く。
理解する前に、往診カバンを放り投げて塊……もとい怪我人のもとに座り込む。後ろでレドモンド殿下の慌てたように私を呼ぶ声が聞こえたが、今はそれどころじゃない。
闇の中でぼんやりとしていた塊が、段々とはっきり見えてくる。
「大丈夫ですか!?」
「う……」
ローブから手袋をだし、裾を引きちぎる。怪我人の顔を拭いつつ、声をかけ続けた。
意識は何とかあるようだが、出血量が酷い。肩に手を当てると、白い手袋がジワリと赤くなった。
かつかつと音がする。顔を上げると、鞄を持ったレドモンド殿下が走り寄ってきた。
「お、おい!ジャック!」
「レドモンド殿下!申し訳ないのですが、司祭様を呼んでください!」
「お、おう!わかった」
使用人のように使って申し訳ないが、今は一刻を争う。
元王家専属治癒師は治癒能力チート追放者に仕事を取られたので、兄と一緒に出奔します~追放者が失踪したから国に戻ってきてくれと言われても、もう遅いんです~ ブルマ提督 @adburuma
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