ジャック・ニルソンは、グルになれなかった
ブルマ提督
第1話
「ジャック・ニルソン殿。今日をもって、王家専属治癒師の任を解く」
宰相殿の冷たく硬い声が、応接室に響きわたる。
末端から、血の気がなくなっていく。手や足先が冷たくなっていき、感覚がなくなっていく。
座っているはずなのに、ふらふらと身体が揺れているようだ。
じわり、じわり。視界の端から闇が迫ってくる。ざわざわと心が騒ぎ始め、意識が別の世界に旅立とうとしている。
背もたれに、寄りかかりたい。
だが、この場では許されない。王家との契約を変更する場だ。
自分に言い聞かせ、踏ん張る。
身体とは裏腹に、感情は驚くほど凪いでいた。他人事のように捉えている自分に、混乱している。
……いや、他人事としてとらえようとしているのかもしれない。
ぐっと杖を持つ手に力を入れた。
「……私の後任は……、どなたに……」
カラカラの喉から出た言葉だ。目の前の宰相殿は、眼鏡をあげて不機嫌そうな目で私を突き刺す。
彼は、私の隣にいる彼を手で示す。
「ユウスケだ」
それはそうだ。なぜ、わかっていることを聞いたんだろう。
宰相殿は、ユウスケをほめたたえる。
「彼は、素晴らしい。あれほど治療が難しいとされたエリーゼ王女を完璧に治した。先代治癒師も素晴らしかったが、彼はまさしく天才だ。瞬く間に治した功績は、王家専属治癒師にふさわしい」
熱を帯びながら話す宰相殿。
ふっと息を抜いたかと思うと、私の事を見つめてきた。
氷のように冷たい目だ。
「王家専属治癒師の称号。その重さ。……ジャック殿は、ご存じでしょう」
「……王族の健康。お体の全ての健康状態を引き受けることです」
はっきりと、声を出した。だけど私の口からは、さきほどよりも弱弱しい声しか出なかった。
宰相殿は、うなずく。
「そうです。王家専属治癒師の体は、王族の物。それは、わかりますね?」
以前より長くなった私の髪を見て、口元を覆い眉をひそめた宰相殿。
私は、無言で首を縦に振る。
(反論は……できない……)
「その点、彼……ユウスケは素晴らしい。難病と呼ばれ、完治が難しい”肉枯病”を治してしまった。……それも、たった一回で」
言外に「お前は、なぜそんなにかかったんだ」と責めた雰囲気だ。反論しようにも、その全てが言い訳のように聞こえ口を閉ざす。
ユウスケは、手を胸の前で握りしめ無邪気に喜んでいる。「しゃっー!これで全称号コンプだぜ!!」「さて、あとはあれだけだな」と、また意味が分からないことを口にしている。
司祭様は、何も言わない。ただ、静かに、厳しい顔を崩さずたたずんでいる。
「では、契約書にサインを」
宰相殿は一枚の書類を私の前に取り出した。
書類には『ジャック・ニルソンの王家専属治癒師称号の解任について』と書いてあった。
宰相殿と陛下のサインが入っている。あとは、私が書けばこの書類は受理される。
ペンを走らせ、自分の名前を書く。一枚は解任届。もう一枚は、承認のサインだ。前任の治癒師が、後任の治癒師に変わる際に書く書類。
(エリーゼ王女殿下が元気になられた。それでいい)
自分に言い聞かせつつ、ペンを走らせる。力が入っているのか、所々でペン先が紙に引っかかる。ユウスケは、面倒そうな表情でサインを書いている。何かブツブツ話しているが、聞き取れない。
(私の今までの治療は無駄だったのか)
(この後、私はどうすればいいのか)
私の努力は、虚空へと溶けていく。
考えがまとまらず、同じ場所を回り続ける。震えそうになる手を必死に抑え、サインを書き終えた。
宰相殿は、書類を一瞥しカバンにしまっていく。
「それでは、次に王宮に上がった際、写しを渡します。それで、いいですね?司祭殿」
「ええ。明日、王宮に上がらせて頂きたいと思います」
「わかりました。……ジャック殿」
突然、宰相殿に声をかけられビクッとして彼を見る。その反応が嫌だったのか、眉間にしわを寄せ眉毛を曲げた。
「貴方には、長年の奉仕に対して恩賞が与えられます」
「……はい」
「いいですか?恩賞については、レドモンド殿下が立っての願いです。理解はしていますよね?」
「……もちろんです。レドモンド殿下の温情に感謝いたします。そう、お伝えください」
深く頭を下げる。ふっと息を吐く音が聞こえた。音の方向に視線を向けると、ユウスケが笑いをこらえたような顔をしている。
「……宰相殿」
不意に司祭様が、宰相殿へ声をかける。宰相殿は、少し表情を柔らかくし向き合った。
「なにか?」
「お言葉ですが、ジャックはよくやりました。彼の、10年の功績は考慮されてよろしいのでは?」
宰相殿は私をちらりと見る。その眼には、少しだけ哀しみの色が見て取れた。
「……それでは、私は失礼いたします」
ガタッと椅子を立てて、外へ出て行く宰相殿。司祭様は別の神父に命じて、馬車乗り場まで宰相殿を送るように指示をした。
靴音を高く鳴らし去って行く。司祭様は、ため息を一つ出すとユウスケへ向き直った。
「ユウスケ、お前は部屋に帰りなさい」
「えぇ~、なんで?」
「引き継ぎをするんだ。ジャックの現在の仕事をまとめ、書類にして渡す」
「そんな面倒なこと、しなくてもいいじゃん。明日からは、おれ……僕が王家専属治癒師になるんですから~」
ユウスケが口をとがらせ抗議をする。司祭様はその様子を見て、眉をひそめた。
「……引き継ぎの中には、私が目を通しておく必要がある。それと、今自分で言っただろう。『明日からは』と。つまり。今日まではジャックが専属治癒師だ。まだ、ユウスケには見せられない情報もある。それらを引き継げるようにしておく」
「は~、そんなイベントの流れなんだ。まぁ、従うしかないよな~。あ~スキップしてぇ~!まぁ、いいか!ようやく、フラグ全回収したしな!」
ユウスケはぶつくさ話しながらも、部屋から出て行った。バタバタとうるさく足音を響かせ、走ったようだ。
足音が聞こえなくなった頃、司祭様がぽつりと話した。
「……ジャック、手を」
「……はい」
言われて自分の手に目線を移す。力が入りすぎて真っ白だ。なんとか掌を開ける。
できるだけ笑うようにしながら、机においてあった冷めたお茶を飲む。コップを持つ手が、少し震えた。
私の様子を見た司祭様は、一瞬だけ心配そうな顔をしたが、すぐに表情をただした。
「無理もない。十年も勤め上げ、成果も出ていた。それを他者に取られたと……言っても過言ではない」
「……いえ。私が、王女殿下を治せなかった。……だからこそ、こうなったんです」
自分の力不足をいやでも感じる。
エリーゼ王女殿下を治そうと必死だった。
兄に頼み、知らない国の文献を読み漁った。
他に同じような病気だった人がいないか、歴史書を片っ端から読んだ。
前任のそのまた前任が残した患者の症状をまとめたノートを、隅々まで読み返した。
10年間、必死だった。
「……前任に申し訳が立ちません……」
ふと、先代の顔が浮かんだ。
5歳で教会にやってきたときのことだ。先代の治癒師は、年齢と経験を重ねた顔で、泣いているような笑っているような顔をしていた。
『小さな君に、重荷を背負わせたくはなかった』
私を抱きしめながら、優しく呟いた。しわしわの手で、ゆっくりと私の頭を撫でる。いまだに残っている古く、暖かく、泣きそうになる感触。
5年ほど修行し、ともに王城へと上がった。私の手を取って、ゆっくりと歩く先代。私が治癒魔法の才能に目覚めてなお、彼だけは私を「子供」として扱っていた。
『君には、もっと自由に生きてほしい。子供というのは、そういうものだろう』
先代の治癒師は、エリーゼ王女の御手を取り。
『私では力不足でした。御前に出ることさえ、恥でございます。申し訳ございません。老いぼれに出来る最後の仕事を、しに参りました』
彼女の手を握ったまま、先代は静かに泣き始めた。
大人が、恥も外聞もなく泣く姿を始めてみた。困ったように眉根を下げ、それでも微笑みを崩さないエリーゼ王女殿下。彼女は私を見て。
『貴方が、新しい治癒師ね。期待しているわ』
と、美しく笑った。そして、先代に対して。
『貴方にも感謝しているの。貴方のお話は、いつも楽しかった。貴方の話を聞いている時、夢を……そうね。美しい、楽しい夢を見ているようだったわ。また、顔を見せにいらして』
と優しく微笑んだ。
先代は、すぐに王都から去っていった。一緒に住んでいた部屋が、とたんに広く寒く感じた。
そこから、10年間。ひたすら、エリーゼ王女殿下の病気を治すことを考えていた。
ようやく、ここまで来た。
なのに。
それが全部無駄だったのかもしれない。
ぽん、と司祭様が私の肩を叩く。
「気に病むな。……今は休みなさい」
「……わかりました。」
「ジャック。部屋についてだが、まだあのままでいい」
「……いいのでしょうか?」
「あぁ。……ただ、軽くでいいから荷物をまとめておいてくれると助かる」
「……わかりました」
私は、力なく話し一礼して退室した。
部屋に戻り、杖とローブを入り口近くの壁に掛ける。
風呂場で体と髪を洗い流し、ふっと鏡を見た。
重く、濁った目。
空虚、という言葉を凝縮した目。
緑の髪は、水気をまとい重たく顔に垂れ下がっている。不快感で、眉間に力が入る。
光なく、生気を失った顔が鏡の中で私を見つめている。
「どうして」
こうなったんだろう。その言葉は、お湯と共に私の身体を伝い、流れていった。
風呂から上がり、風魔法で髪を乾かしながら、部屋を見る。
使い続けて角が丸くなった机。
がたついた椅子。
立て付けが少し悪いクローゼット。
前任は『若い子には、ちょっと質素すぎるだろう?』と困ったように笑っていた部屋だ。
共に暮らした。5年と短い期間ではあったが、彼は私を本当の子供のように扱った。
『前の人生でも、子どもを育てたことはなかった』彼は、笑っていた。どうやら、前世を覚えている御仁だ。
クローゼットを開けると、数着の服と往診用のバッグ。そして「いつか必要だろ!」と兄から送られたトランク。
それと、ユウスケから感謝の印にと貰った、冒険者用の万能収納袋。
荷物を片付けておこう。クローゼットからトランクを取り出し、開く。
トランク自体は、そこまで大きくはない。兄曰く、「3日分の荷物を詰め込める奴」らしい。
往診用バッグは必要だからそれ以外を、全てトランクに収めていく。服は、洗っている物がある。乾かすときには風魔法を使えば良い。そう判断し、私は服を詰め込んだ。
トランクには、まだまだ空きがある。私の荷物はこれだけなのだ、と気づいてはっと笑った。
「……空っぽだ」
次に、机の引き出しを開ける。
今まで看た患者の情報が書いてある紙の束。
兄やレドモンド殿下からの手紙。
エリーゼ王女からの感謝状。
患者たちからの感謝の手紙。
自分でまとめた、知見レポート。
少し迷い、レポートと手紙と感謝状を取り出してトランクに入れる。
患者の情報は、置いていこう。もしかしたら、ユウスケが使うかもしれない。
紙束を丁寧に布に包み詰め込む。それでも、トランクには、まだ、隙間がある。
一度、トランクを閉じて、ベッドに倒れ込んだ。
10年間。
長かった。
実家の部屋よりも長い。
この部屋が私にとっての本当の家だ。
そんな10年間は、トランク一つに収まってしまう。それすら、埋められない。
それが、なくなってしまう。
『私』というものは、こんなに薄いものだっただろうか。
私の存在が薄くなっていく気がする。
「なぜ」
なぜ、こうなったんだろう。
一度、仮眠を取ろう。疲れているんだ。
そう判断し、私はゆっくりと目を閉じた。
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