海に沈むジグラート②

七海ポルカ

第1話



 子供の泣き声がする。

 周囲に自分は泣いているんだと訴えるようなものではなく、

 泣いていることを知られたくない、と必死に堪えて、けれどひっく、と泣きじゃくる音が隠しきれていない、そんな泣き声だ。


『どうしたの?』


 薔薇の樹の裏を覗き込むと、しゃがみ込んでる姿を見つけたから、声を掛けた。

 びく、と身体が震えて、振り返ると、大粒の涙が零れていた。

「だいじょうぶ?」

 少年は俯いた。

「どこか痛いの? お医者さん呼んで来てあげるよ」

 首を振る。

 痛くはない。

「……こんな夜会、嫌いだ」

 華やかな王宮。

 煌びやかな宝石、美しい衣装、夜通し、旋律は歌う。

 声を掛けた少年は、夜会は好きだった。

 この日は遅くまで起きていても怒られない。朝方まで大人たちが踊ったり、笑ったり。

 わくわくする。

「ぼくは好きだよ。

 綺麗なものや、美味しいものがたくさんあるもの」

 そんなもの、どうでもいい。

「こういう夜会だと、僕のこと、みんな無視するんだ。

 お母様も、お父様も、兄弟も。

 僕は勉強も楽器も馬にも乗れないから、……役立たずだから、要らないんだって。

 他の兄弟のことは、お母様は他の人たちにいっぱい誉めてくれるのに、僕のことは無視するんだ。

『この子はのろまで、要領が悪いから、一番見込みがない』って言ってた」

「そんなことないよ」

「いいよ。わかってる。本当のことだもん。

 ぼくはバカだし、勉強も剣も下手だし、何の取り柄も無いよ。

 自分でも分かってるけど、他の人の前で悪く言うなんてひどいよ」

 少年は近づいて来て、泣いてる少年の背を撫でた。

「そんなことないよ。これから頑張れば大丈夫だよ」

「頑張ろうとしたけど、駄目だったんだ。結局、お兄様やお姉様の方がすごいから、やってもお母様やお父様をがっかりさせるんだ。こんなに何やっても出来ない子は初めてだって。見たこと無いって言われた……。僕は役立たずだから、誰にも好きになってもらえないんだ……」

 大粒の涙が零れている。

「そんなことないよ」

「いいんだよ! ほっといて! こんな所で泣いてたらまた兄弟に馬鹿にされる!

 泣き虫だって! 女みたいだってバカにされるんだ。だからあっち、行ってよ!」

 少年が癇癪を起こすと、掛ける言葉も無くなったのか、遠ざかる気配がした。

 折角慰めてくれた人にも悪態を付いて。

 こうやってどんどん、人に嫌われて一人になっていくんだ。

 少年が泣きじゃくっていると、十分ほどして。


「ねえ」


 また声がした。

 振り返ると、さっきの少年がまた立っていて、何かを差し出して来た。

 一枚の紙だ。

 青色に塗られている。

 青一色じゃない。

 絵に描いてあるのに、宝石みたいだ。

 海のように暗い青でもない、

 晴れた空のように白くもなく、

 澄み切った湖のようだけど、でももっと、輝いている。

 何色なんだろう。

 青だけど、青じゃない。

 もっと光り輝くもの。

 美しいと思ったけど、差し出された意味が分からなくて、彼は差し出した少年の顔を見る。

 月明かりの下で、彼は微笑んでいた。

「あの……これ……」

「ぼくが描いたの。きみにあげるよ」

「えっ」

 僕が描いた?

 驚く。

 目の前の少年は自分と同じくらいだ。背はなんだったら、彼の方が少し小さいくらいだ。


「きみの瞳の色だよ」


「え……」

 優しく、瞳を覗き込んで来た。

「こんなに綺麗な青い瞳、見たことないよ。

 きみはこんなに素敵な瞳を持ってるんだもの。

 役立たずなんかじゃないよ。

 きっと多くの人が君のことを大好きになるよ」

 手元の紙を、もう一度見下ろした。

「……これ、僕の瞳の色?」

「うん。光を吸い込んだ時の君の瞳の色だよ。

 さっき振り返った時そこのランプに照らされて、こんな色に見えた」

 こっちだよ。

 少年が手を取って、数歩、動いた。

 頭上に掲げられた、庭園を照らすランプ。

 少年が目を輝かせて微笑む。

「ほら。この色だ。

 こんなに綺麗な青色見たこと無いよ。

 すごいよ」

 自分の瞳の色なんて、自分で見たことが無かった。

 それに誰も、自分の顔をそこまで見てくれる人はいないから。

 たくさんいる兄弟の、末っ子。

 多忙な両親は下の子供にあまり興味は持ってくれない。

 世話係はたくさんいたけれど、他の兄弟ばかり誉める。

 自分がこんな綺麗な瞳を持ってるなんて、信じられないけど。

 でも、きっと落ち込んでた自分を励ましてくれたんだろうなと思う。

「ありがとう……」

 少年は首を振って、服から美麗なレースのハンカチを取り出すと、優しく濡れた頬を拭いてくれた。

「これで大丈夫だよ。

 でも君の瞳なら、泣いてもキラキラして綺麗だね」

 そんな風に言われて赤面する。

 自分が泣くと、いつも周囲は迷惑そうな顔をするのに。

「ねえ、一緒に夜会を見て回らない?」

「見て回る?」

「ぼく、ここの王宮はちょっと詳しいんだ。

 綺麗な部屋とか庭を案内してあげるよ。

 ダンスホールで踊ってる人の服装を見るんだ。ここは王宮だから、招かれた人も身分の高い人が多いでしょ。つけてる装飾品もほんと素敵なんだよ」

 夜会なんて、両親は知り合いに挨拶して回るし、兄弟たちはいつも誰かに声を掛けられて踊りに行ったりする。踊りも下手な自分とは、誰も踊ってくれないし、踊ってもつまんなそうな顔するから、嫌だった。壁に背を預けて、何時間も、自分を無視する世界の中で、ジッとしてなければいけなくて。

 夜会なんか、大嫌いだった。

「美味しいケーキもいっぱいあったよ。お菓子も。甘いもの嫌い?」

 首を振る。

 よかった、と彼は明るい表情になる。

「行こ!」

 彼は自分の手を握って、歩き出してくれた。

「……あの…………きみは……」

 彼は振り返った。


「ぼくはジィナイース。

 ジィナイース・テラだよ。きみの名前は?」


 手を握って、

 微笑みかけて、

 優しく、自分にそんなことを聞いてくれた人は初めてだった。

「ら、ラファエル」

 ヘリオドールの瞳が明るく輝く。

「ラファエル・イーシャ……」



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