大和高田 天神社むかし語り

三分堂 旅人(さんぶんどう たびと)

大和高田 天神社むかし語り

むかしむかし、大和の国に小さな村がありました。村には広い田んぼが広がり、そこには水辺を好むたでという草が一面に生えていました。蓼は、口に入れるとピリッと辛い山椒のような味がする草で、虫たちは普通の草を避けてか、この辛い蓼ばかりを好んで食べていました。それを見た村人たちは「蓼食う虫も好き好き」と言って、生き物にはそれぞれ好みがあるものだと笑い話にしていたそうです。


村人たちは「蓼の生える田んぼの村」という意味を込めて、この地を蓼田たでだと呼んでいました。ところが、その蓼が年々増えすぎて、稲を植えても育たないほどになってしまいました。虫たちは蓼を好んで食べましたが、その数があまりに多すぎて、とても追いつきません。村人たちは困り果て、良い収穫が望めない日々を過ごしていました。


村はずれに住む心優しい娘のたかは、毎日、荒れ果てた田んぼのそばにある小さなほこらに水をたむけ、「どうか、村の田んぼが豊かになりますように」と祈り続けていました。


ある夜のこと、高乃の夢に三人の神様が現れました。背の高い神様は「私は高皇産霊たかみむすび」、その横の神様は「私は神皇産霊かみむすび」、もう一人の神様は「私は津速産霊つはやむすび」と名乗りました。


三柱みはしらの神様は高乃に告げました。「お前の清らかな心に感じ入った。明日の夜、月が出たときに祠の前で踊るがよい。そうすれば、きっと良いことがあろう」


翌日、高乃は月の光の下で踊り始めました。すると不思議なことに、祠から光が漏れ出し、田んぼ一面に広がっていきました。その光は月の光のように銀色に輝き、大地を包み込んでいきました。


次の朝、村人たちが驚いたことに、一面に生えていた蓼の草は消え、代わりに稲の緑の芽が生えていたのです。その年から田んぼは豊かな実りをもたらすようになりました。


村人たちは三柱の神様をまつる立派な神社を建て、「天神社」と名付けました。人々は、この奇跡をもたらした高皇産霊神の「高」の字と、もとの地名「蓼田」の「田」の字を取って、村の名前を「高田」と改めました。それは神様の恵みと、この土地の記憶を永遠に残したいという村人たちの願いが込められていたのです。


高乃は村人たちに、夢で見た神様のお告げをすべて話しました。神様は「毎年、春になりましたら、稲の実りを願って田植えの所作をお捧えなさい。この田は神様の田、すなわち御田おんだ。これより、御田おんだでの祭りを行えば、必ずや豊かな実りが約束されましょう」とも告げていたのです。


それからというもの、村人たちは毎年4月17日になると、神様の田を表す「御田おんだ」にちなんで「おんだ祭り」を行うようになりました。豊作を願う人々は、神様の前で田植えの動作を優雅に表現し、五穀豊穣を祈る舞を奉納します。高乃が最初に踊った祈りの舞は、今でも祭りの中で大切に受け継がれているそうです。


秋には感謝の気持ちを込めて、三台の地車だんじりが町を練り歩き、村の繁栄を祝うようになりました。


面白いことに、神社の古い棟札むなふだの裏には、「踊り子の名は高乃」と記されているそうですが、それを見た人は誰もいないとか、いるとか。そして、その棟札には「高田の名は、高き神と豊かな田の祝福の証なり」「御田おんだの祭りは、神様の田を守る誓いの印なり」とも書かれているという話も伝わっています。


今でも春になると、高田の田んぼには青々とした稲が育ちます。そして、たまに田んぼのあぜに小さな蓼を見かけることがあるそうです。それを見た人々は、昔のことを思い出して「蓼食う虫も好き好き」と笑いながら、豊かな実りへの感謝の気持ちを新たにするのだとか。


(おわり)

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大和高田 天神社むかし語り 三分堂 旅人(さんぶんどう たびと) @Sanbundou

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