第11話 10,そこつ者
毎年の帰省中には、母の実の姉である、幼稚園の園長先生をしていた桂子おばの家に、数泊滞在するのが常であった。
私は、幼稚園に来ている訳でもないのに幼稚園の先生に見張られている様な気がして、妙に落ち着かない気持ちで過ごしていた。
おばは、周りの人達を上手に動かす事に長けていて、自身では大いに口を使うのみで周囲に指示を出し、環境を思いのままに整えている様な所があった。
別に難しいミッションを投げかけて来るのではなく、例えば、「そこの障子を閉めとってね。」とか、「誰も見とらんけ、テレビ消しとって。」とかいう単純な内容だったが、依頼の内容を言う前の、おばの呼びかけの声が怖くて、いつ何を頼まれる為に名前を呼ばれるだろうかと、常にビクビクしていた。
「珠ちゃん!」
心臓がドキッとする。ものすごく明瞭な発音と発声で呼びかけて来るのである。
私以外の、例えば桂子おばの娘であるいとこ達は、いきなり名前を呼ばれても、身じろぎもせず、「何ねえ?」と返していた。
私には到底真似の出来ない神業だと感心して見ていた。
さて、その夜も、予想も出来ない状況の中でおばにいきなり呼びかけられた。
ミッションは何かと身構える私に、「魚に骨があるけえ、喉に刺さらん様によう気いつけて食べんさいよ。」
夕ご飯のおかずの焼き魚の事であった。
何か仕事を頼まれた訳じゃなかった、と安心してホッとしても、呼ばれて一瞬緊張が走った身体はすぐには緩まず、どこかしゃちほこばったまま、食事を続けた。
ほどなくして、影響が出た。
絵に描いたように、今しがたのおばの注意を無にしてしまったのである。
「ご飯を丸呑みしてみんさい!」
涙目になりながら、ご飯を飲み込んでも、魚の骨が刺さった喉の奥が痛い。全然取れない。
みんな、ご飯を食べるどころではなくなって、目を白黒させている私にかかりっきりになるが、時間ばかりが過ぎ、とうとう耳鼻科に行って助けて貰うことになった。
桂子おばが車を出して、病院まで連れて行ってくれ、やっとの事で苦痛から開放された私であった。
「よいよこの子はどんくさい子じゃのう。」という言葉は、おばの心の中にしまっておいてくれたのか、私の前では言わないでいてくれたのか、どちらかであろう。
注意された事をわざわざやってしまうのは、私にとっては常々だった。
小学校の図工の時間。
彫刻刀の扱い方の説明をしっかと聞いていたにも関わらず、わざとの様に手の甲を彫ってしまう。
はたまた、お習字の時間。
書き終わってすずりを持って洗い場の順番待ちをしながら、すずりが傾いたのに気付かず、母が縫ってくれたおニューのワンピースに墨をダラダラこぼしてしまう。
自分で痛い思いをしないと、物事が分からないというタイプの様だった。
物事が起こってしまってから後になって、理屈が分かって来るのだ。
鎌倉のおばあちゃんの家に行った時もそうだった。
白い秋田犬のユキちゃんがちゃんとケージの中に入っているかどうか、確かめてから遊びなさい、と母に言われていたのに、その日私は、おばあちゃんの家に着くなり一人で幼稚園の先生ごっこを始めた。
エア園児達を並ばせて引率していると、庭の向こうからユキがものすごい勢いで走って来た。そして腰を抜かした私の頭を、大きな口でガップリと噛み付いたのである。
言わずもがな。
母は車の運転免許を当時は持っていなかったので、タクシーで病院に運ばれた。
頭に包帯をグルグル巻にされて帰って来たが、自分の姿を鏡に写して見た時の気持ちも、その包帯巻の姿も、忘れられない。
子供心に、こんな自分とこの先ずっと、付き合って行くしかないのだな。と、悟りを開いていたのではないだろうか。
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