第4話 3,仕事熱心
子育てをしている時は、いつも子供の泣き声にはおびやかされていた。
一旦泣き声に注意を持っていかれると心がかき乱される事この上ない。
そのため私は、仕事熱心な子供だ、と感心して尊敬の念を持って泣き声と付き合う事にしていた。
子供は泣くのが仕事。思う存分仕事に精を出した後はケロッとして子供自身で場面転換をしていた。
学童保育の保護者会の時だったか、会合が終わって私がお茶の後片付けを手伝っていたところ、末の子が泣いていたと言われた事があった。
「ママーと言って泣いていたのよ。」と不在を咎められたが、当の末っ子は既に問題解決してケロッと泣き止んだ後だった。
切り替えも鮮やかに、大人たちの不穏な空気をつゆほども感じていない様だった。
詰まるところ、そもそも子供は親に何かしてもらう目的で泣くのではないのではなかろうか。
反面、一体どこにスイッチがあるというのか、一度泣き出したら一時間でも二時間でも泣いている子だったと、よく母に言われた。
狭いアパートの部屋で、めそめそメソメソいつまでも泣き続ける娘と一緒に過ごさなければならないとなると、母も大変だったろうと思う。
五歳違いの妹が産まれれば尚更、上の子をかまってやる余裕はなくなっていただろう。
そんな訳で、妹の出現によって私の泣き虫ぶりは大いに加速した。
それ以前は、泣きに入っても多分頃合いを見て母が部屋の外へ連れ出して気分を変えさせていたりしたのだろうと見られ、泣き止んで不貞腐れた顔で写っている写真がアルバムに貼ってあったりする。
しかし、母は乳児の世話に明け暮れる様になった訳だ。
泣いているうちに、何が悲しいのかわからなくなるのだが、泣いているという行動自体が悲しみを増幅させて、雪だるま式に悲しみだけが大きく膨らんでいった。
困惑した様な呆れた様なあざける様な表情でこちらを見ていた母と目が合う。
無力感に憑かれた様な表情だった。それから母は布団の上で私の手足をさすってくれるのが常であった。
一時間も二時間もしゃくりあげて泣いていると、両手両足の先が痺れて感覚がなくなって来るのだ。
さすって貰いながらも依然として泣いてはいたが、血行が戻って気持ちが良くなって来て、そのうち眠りに就いていたのだろう。
母の魔法の手にかかるまでのメソメソタイムで、一度派手に父に怒られた事があった。
父はお風呂上がりだったか、三面鏡に向かってどっかとあぐらをかいて座り、頭にヘアトニックか何かを撫で付けていた。
「うるさい!黙らせろ!」父の声で飛び上がると、鏡越しに父の険しい顔が見えた。
黙るどころか一層泣き声に火が付いた。見かねた母が手を差し出してくれたのは有難かった。
そんな、非常に仕事熱心な子供であったのだが、勤勉な子供を持った親の苦労は相当な物であった事だろう。
赤ちゃんの妹はすくすく育ち、妹のいる暮らしに慣れて来るに連れ、泣き虫も少しずつ退散して行った。
「あんたは外で遊んで来なさい。」と授乳中の母に言われても、メソメソしないでさっさと遊びに出かける長女くらいには進化していた。
泣くことによる脅しは、もはや通用しないと悲しくも悟った瞬間だったのかも知れない。
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