第2話 〜母のふるさと 1,無垢なるドッキリ
子供の頃は、毎年夏休みになると母のお里に帰省した。
父は建設会社でビルを建てる現場の監督をしていたから夏休みなど取れる訳もないので、いつも母と私と妹の三人で出かけ、だいたい一週間かもう少しくらい、母の実家に泊まって過ごしていた。
母のお里は、瀬戸内海に小さな島々が連なって浮かんでいるうちのひとつで、当時は本土の街からフェリー船に乗って小一時間かけて移動していた。
島の小さな桟橋に着岸すると、一緒に乗船していた数台の自動車が勢いよくスロープを渡って次々と下船するのを見ながら、島の独特の空気をおっかなびっくり吸って、母に着いてトコトコ歩いて降りていた。
自動車の進行を妨げない様に、フェリーの乗船客用のスペースは、縦一列に並んで進まないと降りられない程狭くなっていた。
母と手を繋いでいる事が難しく、一人で母の背中を懸命に追いかけて行くのだが、桟橋のたもとにぽっかりと、深い緑色をたたえた海水が見えている所があって、足元の近くでユラユラ波立っていて、何かの拍子に吸い込まれて落ちてしまう様な気がしていた。
私にとっては、島に上陸するための一大関門であった。
妹が産まれる前は、母と私の二人旅だった。
私が3歳か4歳頃だっただろうか、実家の前の道に到着した途端、母がドッキリを仕掛けた事があった。
母の実家は『大田商店』と言って、日用品から駄菓子や花火までなんでも置いてある雑貨屋さんだった。
商店と言っても、商店街の一角とかにあるお店では無く、周辺はみかん畑と民家に囲まれた場所で、店の真ん前には道路一本を隔てて、瀬戸内の海が迫っていた。
商店を営む祖父母も、お店のすぐ後ろの上り坂沿いに、みかん畑を持っていた。
島は山から海辺までの距離が短く、海を背にすると、上のお寺さんの方までずっと、みかん畑の間を縫う様にして坂が続いているのが見て取れた。
さて、母のドッキリである。それはまだいたいけな幼い娘を小道具に使った作戦であるらしかった。
「『くださいな。』って言うんよ。」と母は言った。私を一人で大田商店の店先に向かわせ、買い物客と見せかけて、果たして店番のおばあちゃんが孫と見抜けるだろうか、という内容の物であったのだ。
従順な子供だった私は、言われた通りの行動をした。真夏の道路の照り返しで眩しい世界から、おずおずと薄暗い店内に入った時の心細く謎めいた感覚は、いつでも思い出せる。
「ハイいらっしゃい。」おばあちゃんはいつもの様に歌うように言ったのだろうが、そこは覚えていない。
次になんと言うのか母から教えて貰っていなかった私が押し黙っていると、祖母がハッとした様に私の帽子のつばを持ち上げた。
「珠ちゃん?あんた珠ちゃんやろ。」
気付いてくれて、ホッとしたやら安心したやら。どうして突然こんな理不尽な緊張を強いられなければならなかったんだろうと幼心に思っていたはずだ。
祖母は店の外に目をやり娘を探し、我が母は電柱の陰から飛び出してきた。
華やかな笑いに包まれた二人の顔を見上げて、私も緊張がやっとほぐれて、一緒に嬉しい気持ちになっていた。
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