第26話 雲雀ヶ丘家毒ガス籠城事件 前編(Sisters' Howl Ⅳ)


 奈央ちゃんのお姉さんが現れた日以来。隣の学区の奈央ちゃんと訪れたどこの公園に行っても、奈央ちゃんの姿は見当たらなかった。


 恐らくあの頭のおかしいお姉さんに禁じられて、わたしと遊ぶどころか公園で遊ぶことすら許されなくなっちゃったんだろうな。そしてわたしはまた、ひとりぼっちに逆戻りしちゃった。


 そうわかっていながらも、わたしはもしかしたら奈央ちゃんに出会えるかもしれない、というありもしない希望に縋って、奈央ちゃんが来なくなってからも毎日、毎日、奈央ちゃんと最初に出会った児童公園に通い詰めた。友達のいないわたしに、放課後に他に行き場所なんてなかったし。



 そして通い詰め始めてから1ヶ月後のことだった。わたしが最初にこの公園に来た時に腰掛けていたブランコの下に1枚の便箋がテープで貼り付けられているのに気づいた。その宛名が自分の名前で差出人が奈央ちゃんであることを確認した時。わたしは取りつかれたようにその便箋に目を走らせた。


 それは、男の子口調を真似ることすらも忘れた奈央ちゃんからの事実上のSOS要請だった。そこに書かれて内容を、後で雛菜ちゃんや警察から聞いた内容を基に補足すると次のようになる。



 あの後。奈央ちゃんは勇気を出して『姉妹同士で結婚するなんておかしい、あたしにはあたしに自由に生きさせてほしい』と言ったらしい。それに案の定、雲雀ヶ丘茉奈は激高した。そして毎日1時間以上、『調教』と称して奈央ちゃんを自室に監禁し、虐待し、あろうことか実の妹に非合法の薬品を投与し、無理やり自分との結婚に同意させようとしたらしい。


 雲雀ヶ丘茉奈は飛び級で某有名国立大学の薬学部に進学しており、薬学界の将来を渇望されるほどの天才で、人の精神をぐちゃぐちゃにする違法な薬物にも研究の名目でアクセスできる立場にいた。


 その、雲雀ヶ丘茉奈が『調教』と称していたものは、最初の方は両親に見つからないように行われていた。奈央は姉の蛮行を両親に訴えることはできなかった。両親は優秀すぎる姉のことを誇りに思って雲雀ヶ丘茉奈のしでかす大抵のことは許してしまうような人間だったし、奈央は精神に作用する薬でコントロールされ、また薬が抜けていても、すぐ近くに姉がいる状況で親に助けを求めるのは、その後の姉からの『お仕置き』を恐れてできなかった。



 もともと、この手紙はそこまで読みやすかったわけではなかった。当時の奈央ちゃんは小学校に上がったばかりだったから、文字を書くことにまだそこまで慣れていなかっただろうし、恐らく姉に無理やり投薬された薬の影響もあって、筆跡もかなり震えていた。


 そして雛菜ちゃんから後から聞いた話だと雲雀ヶ丘茉奈に半監禁状態にあった奈央ちゃんは1週間に1回ほどは、それこそペットを散歩させるみたいに散歩に連れ出されたみたい。そのことを考えるとこの手紙はそんな『散歩』のタイミングでなんとか姉の目を盗んでわたしに届くよう、張り付けたものだったんだと思う。


 それらの情報のうちどれだけを、当時小学校2年生だったわたしが把握できていたかはよく覚えていない。ただ、今でも確実に言えるのは、奈央ちゃんが書いた手紙の中でもはっきりと「たすけて」と書かれていたこと、そしてそれを見たわたしは、何としてもあの狂った雲雀ヶ丘茉奈から奈央ちゃんを救い出さなくちゃ、と思ったってこと。拙い字ながらも一縷の希望を込めて確かに書き込まれた「たすけて」という文字は、いまでもはっきりと脳裏に焼き付いている。



 手紙を読み終えた瞬間。わたしはいてもたってもいられなくなって、奈央ちゃんの家を探して隣の学区を走り回った。その当時のわたしは雲雀ヶ丘家がどこにあるのかすらわからなかったし、小学校2年生だったわたしが行ったところで何ができていたわけでもなかったと思うから、はっきり言ってあの時のわたしはバカだったと思う。けれど、駆け回っているうちにわたしは雲雀ヶ丘家を呆気なく見つけてしまった。


 なぜわたしが行ったこともないはずの雲雀ヶ丘家を見つけられたのか。その理由はいたってシンプルだった。その日、その学区には1軒だけ、何人もの重武装した警官や自衛官、そして警察車両や自衛隊車両に囲まれた、明らかに物々しい雰囲気のマンションがあったから。その場に居合わせた警察官や自衛官たちは皆、重々しい雰囲気のガスマスクを装着している。そして彼らからかなり距離を取ったうえで数人の野次馬は恐る恐る、といった調子で見守っていた。


「こ、これは一体、なんの騒ぎなんですか」


 その場に居合わせた人にわたしが尋ねる。


「知らないのかい? 雲雀ヶ丘のところの長女が、妹との結婚を認めないなら家族を皆殺しにしてガス心中してやる、ってヒステリーを起こして、両親と妹の家族3人を人質に立てこもっちゃってさ。なんでも父親が長女のことを怒らせちゃったみたいで」


「ほら、彼女ってT大学の薬学部じゃん? だから、ガス心中も冗談に聞こえないんだよね。しかもどこから取りよせたのか拳銃も武装しているみたいだし、うかつに警察や自衛隊も突入できなくてさ」


 野次馬のお兄さんたちの解説に、わたしは頭がくらくらしてきた。


 ——奈央ちゃんは無事なの? また奈央ちゃんに会える……よね?


 わたしが不安に思った時だった。


 家の中から銃声が聞こえてきたかと思うと、周辺の電波がジャックされたのか、勝手に携帯電話から配信が流される。わたしの持たされていた形態も、野次馬のお兄さんたちの携帯も、そして警察や自衛隊の携帯端末も。そしてそこから聞こえてきた声は――————。


「はーい、姉妹の麗しき愛を認められない愚民の皆さん、見てますぅ?」


 身の毛もよだつ雲雀ヶ丘茉奈の狂った声が聞こえてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る