第7話 もうすぐバレンタイン、お兄ちゃんに伸びる魔の手を防ぎたい!





 二人を、出迎えたのは一月程前にシルルの供をしていた中年の執事であった。

「‥‥少々お待ち下さい‥‥」

 丁寧なお辞儀の後、廊下の暗がりの中へと消えていく。再び姿を現すまで暫しの時間があった。依頼を達成したという事で、すぐにも中へ通されると考えていた為、それは意外な事に思われた。

「‥‥こちらです‥‥」

 何体もの甲冑がたてかけてある広い石造りの廊下を案内された。点々と続く明かりは頼りなく、中は薄暗い。

「お嬢様、セントバイヤー相談局の方達をお連れ致しました」

”‥‥どうぞ‥‥”

 ドアの向こうから掠れた様な、か細い声が返ってきた。執事がゆっくりとドアを開ける。部屋は予想以上に広く、白で統一された見るからに高そうな家具で埋められている。開け放たれた窓では風にレースのカーテンがヒラヒラと舞っており、側の天蓋付きのベットの上には、上半身だけを起こしたシルルがじっとこっちを見ている。

「‥‥どもども‥‥」

「こ、こんにちわ‥‥」

 天界に迷い込んだ地上人の様に、ヘコヘコしながら気足の長い絨毯を踏んでシルルの元へと近づく。

「こんな格好で申し訳ありません‥‥」

 せき込みながら、シルルが体を起こす。

「とんでもない‥‥風邪でも引かれたのですか?」

 二人は用意された椅子に座った。

「‥‥ええ‥‥」

 シルルはわずかに微笑む。聞かなくとも具合が良くないのは青白い顔で分かる。

「それはいけないですね。今年の風邪はたちが悪いといいますし‥‥早く治した方がい いですよ」

「そうですね‥‥コホン‥‥」

 口に手を当てて上品に咳をする。

「多分これがお探しの箱だと思うんですけど」

 スーがリュックの中から包みを取り出す。紙を取ると、中から煤けた木箱が出てきた。

「‥‥‥‥‥‥」

 シルルは細い腕を伸ばして箱を受け取る。じっと眺め、それからうつむいた。長い赤毛の髪が前に下がり、表情は見えない。

「確かに‥‥そうです。そうですか‥‥見つかったのですか」

 持つ手が震えている。嬉しい表現には見えなかった。

「まさか‥‥本当に見つけられるなんて‥‥そんな‥‥」

「あの‥‥何か?」

「‥‥いえ‥‥どうもありがとうございました‥‥」

 何か言いたい事を押し殺している様な‥‥そんな重い表情に、近場にいたスーは胸が詰まった。

「何か訳があるなら、私達が相談にのりますが」

「‥‥訳なんて‥‥ありません‥‥この箱は、ずっと探していたものです」

 スーには直感でそれが嘘な事がすぐ分かった。

「それほど大事なものなら、どうして自分で 届けに行かれないのですか?‥‥リールさ んと何かあるのですか?」

「‥‥‥‥」

 シルルはプイと窓の方を向いてしまう。外の庭には初夏の木々が蒼い葉を風に揺らしている。

「届けてもらうついでと言っては何ですが、実はもう一つ‥‥依頼したい事があるんです‥‥引き受けていただけますか?」

 言い出すのを少し躊躇った様であった。

「引き受けましょうとも。それが俺達の仕事ですから」

「‥‥探してほしい人がいるのです‥‥一月以内に見つけて下さい」

 セントバイヤー相談局に依頼された本格的な二つ目の仕事は人探しであった。





「‥‥名前、ラクサンティス・レノス‥‥: 年齢、十八歳‥‥性別、男性‥‥ね、これだけで探すのは無理なんじゃない?」

 ケリガンを収容した後、経費と称して買った黒い特注の幌馬車はティージュンのリールの家を目指し、夕闇の落ちつつある石の街道を走り続ける。その御者席で二頭の馬を操るアルフレッドの脇で、スーはシルルに渡された紙面を読み上げながら、横目でチラチラと兄を見ていた。

「そうでもないさ、今回だって金は無尽蔵に使える」

 手綱を握るアルフレッドは、真っ直ぐに正面を見据えたままである。何を言っても上の空という感じだった。

「お兄ちゃんたら、さっきから何、考えてるの?」

 靡く髪を手で押さえながら、スーは兄の横顔を見つめた。

「いや、さっきのシルルさんの言い方が ね、ちょっと気になってさ」

 スーの方に顔を向けたアルフレッドは、端正な顔を夕映えに染める。

「き、気になる事って?」

 僅かの間、目の合ったスーはドキっとして顔を逸らした。

「彼女は箱が見つかった事に驚いてた。て、言うより、見つかってほしくなかったみたいだったな」

「だから箱をリールさんにあげちゃうの?」

「さあ、どうなんだろうね」

 アルフレッドは右の馬の手綱を引いた。カラカラと鉄の車輪をきしませて、馬車は角を曲がり、重心が右に傾く。

「こうなると是非とも箱の中身が知りたいもんだ‥‥そうだ! リールさんに直接聞くか」「そんな事していいの?」

「俺達が箱を開けて見るんじゃない。リールさんには箱を探している事を知られるなと言われていただけで、訳を彼女に聞くなとは言われてない。何かまずいか?」

「‥‥それは‥‥そうだけど‥‥」

「よしよし、そうと決まれば、先を急ぐか。勇者の血が騒ぐってもんだ、ワハハ!」

「わっ!」

 速度をあげて馬車はティージュンに入る。

謎の盗賊騒ぎから一段落した町は、意外なほど静かであった。騎士団が巡回している他はすれ違う人もなく、どの家も固く戸を閉ざしていた。

「待て、そこの怪しい馬車!」

 途中、騎士の一隊に呼び止められた。

「はいはい、何でしょうか?」

 アルフレッドが『ニヤ』と、取って付けた様な愛想笑いを浮かべて返事をする。

「うおっ! お前達はさっきの‥‥」

「き、危険だ、行くぞ!」

 騎士達はそそくさと離れていった。人の顔を覚えるのが苦手なアルフレッドは、『?』な顔でスーを見て頭をかく。

「‥‥ま、いいか‥‥」

 パチンと手綱を鳴らして、足を早める。

 急かしたせいで、それから三分後には町外れにあるリールの家にたどり着いた。

 馬車を止めてアルフレッドは、後ろから幌の中に入る。

「おいケリガン、中で物食うなよ‥‥臭いが 篭もるんだって」

 見ればポテトやら何かが辺りに散らばっている。

「まあまあ、腹が減っては戦はでけへん からな‥‥そんでその人探しの依頼なんやけど、ここはストレートに金を使った方がええな‥‥」

「ストレート?、袖の下って奴か?」

「‥‥ま、そやな‥‥」

 二人は話し込む。その間にもスーは家の正面に回っていた。

 アルフレッドはリールに面が割れているので、話しをするのはスーである。

「こんばんわー」

”はい”

 小じんまりした家の戸をノックをすると、すぐに赤毛を三つ編みにした少女が現れた。背は心持ちスーより高い。

「あのー、セントバイヤー相談局の者ですが ‥‥リール・アマセテウスさんですね」

「‥‥そうですが‥‥」

「実はリールさん‥‥あなた当ての荷物があるのですが」

「私に?」

 紙包みを差し出す。リールはガサガサと包みを開けた。

「こ、これは!」

 木箱を見て、ハッとしたリールは、急いで蓋を開けた。スーはそっと中を覗き込む。

「‥‥はぁ?」

 中身は外の箱に引けを取らない程、古ぼけた一冊の本だった。周りを埋める様に様々な色のビー玉や、布切れ、糸車が詰まっている。 リールは本を開く。中は汚い字で埋まっており、ペラペラと先を飛ばし読む。最後のページの辺りでピタリと手を止める。

「シルル‥‥」

 そう呟いてバタンと閉じる。

「何処でこれを?」

「‥‥え‥‥その‥‥シルルさんがあなたに 届けてくれって‥‥」

 スーはついさっき探し出したばかり事は伏せて、説明する。

「そうですか‥‥シルルが」

「あの‥‥それは一体?」

「これは‥‥日記です」

 リールは震える手で日記を抱きしめる。

「彼女‥‥シルルは私の友達でした。それは二人でつけていた秘密の交換日記です」

「‥‥え?‥‥だってシルルは‥‥グラシィール家の跡継ぎで‥‥」

「‥‥‥‥‥‥」

 リールは大きく息を吸い込む。

「三年前‥‥シルルは何処にでもいる身寄りの無い孤児の一人でした。公園の前に捨て られてた孤児‥‥彼女は自分の事をそう言っていました。でもある日、大きな馬車に乗って迎えが、彼女に来ました‥‥そしてその日から彼女はグラシィール家の令嬢に変わりました。私は‥‥いえ、それまで一緒に過ごした孤児院の皆誰もが彼女と縁を切ったのです」

「縁を切った?‥‥どうして?」

「私達は親に捨てられ、身寄りの無い者ばかりです。今でこそ国は豊かになりましたが、その当時、欲しいものは何も買えず、一日、何も食べれない日もありました。貧乏と金持ちを恨んで育つのは当然の事でしょう‥‥この日記は孤児院から支給される少ない小遣いを二人で貯めて買ったものです‥‥私は‥‥あの日の後、町外れの空き家の軒下に埋めて隠しました。もう二度と使う事はあるまいと」

「‥‥‥‥」

 リールの毅然とした態度に、スーは言葉に詰まった。しばらくの間、二人は無言であった。先にスーが口を開く。

「‥‥あのどうして今、その日記を‥‥あなたに?」

「さあ、今のシルルの事は私には何も分かりません。私も‥‥昔の私ではありませんから」

 夜の帷が静かに降り、冷たい風が二人を取り囲む。

「それでは‥‥」

 リールは一礼して戸を閉ざそうとした。

「待って下さい!」

 スーは押し止めた。

「リールさん‥‥あなたは‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥‥」

「あなたは日記を隠した理由を、シルルさん にどう言ったのですか?」

「探せるものなら、探してみなさいと」

「‥‥それで‥‥シルルさんは何て‥‥」

 リールは口では答えずに、黙って首を横に振った。そして音も立てずに静かに扉が閉まる。

「‥‥‥‥」

 スーは暫く彼女が語った出来事に思いを馳せ、その時自分であればどうしたであろうかと考えていた。

「‥‥人って‥‥そんな理由で‥‥大事な人と別れられるものなのかな」

 小貧乏なスーには分からなかった。





 その日からセントバイヤー相談局の周囲では何事も無く平穏な日々が続いていた。ケリガンは可能な限り国の役人に金をばらまき、件のラクサンティスという人物を探している。今はその情報待ちの時期である。

 土曜の午後三時、庭に出したテーブルの上には、紅茶とクッキーが並んでいる。初夏の乾いた風がレースのテーブルクロスの端を静かにはためかせる。

「‥‥リールは、シルルと決別する為に、二人の友情の証である日記を捨てた‥‥そし てシルルはそれを探させた‥‥事実だけ抜き出せばこんなものか‥‥なんでシルルは 日記を探させた? うーむ‥‥」

「何をなやんでるの?‥‥シルルはリールと 仲直りしたいのよ。考えるまでもなく日記 は無言のアピールじゃない」

「だったら‥‥」

 アルフレッドはスー手製のクッキーを口に放り込む。市販のものより遥かに出来が良く、口の中で蜂蜜の甘さがとけ込む。が、ケリガンは甘いものが苦手だった。

「だったら何で何年もたった今ごろ、探させる? しかも一か月以内という期限まで付け てさ?‥‥それに、そんな事をしたってリールは心を開いてはくれないのも分かって たのにさ」

「うん、そうだね‥‥」

「‥‥俺が思うに、何かがシルル‥‥彼女に 起こった‥‥駄目で元々、それでも日記を 渡さなければならない何かが‥‥」

「な、何が起こったの?」

「駄目だと分かってやるからには、リールは関係ないって事だ‥‥それはシルル自身の 問題なんだよな‥‥それは恐らく‥‥」

 スーはゴクンと息を飲んで、兄の言葉の続きを待った。アルフレッドはくわっ!と、眉間にシワを寄せる。樅の木の上に止まったカラスが気迫に押されて『アホー』と鳴いて飛び去った。

「さっぱり分からん」

「‥‥‥‥‥‥」

 『ナハハ』と笑って、アルフレッドはズズと、音を立てて紅茶をすする。

「そう言えば、いつの間にかお兄ちゃんも、シルルの件に興味を持ち始めてるね」

「フフ、当然だ」

「‥‥‥‥‥‥」

「とにかく、人探しを片づけてしまおう‥‥これはシルルの俺達に対する挑戦なんだ。 やり遂げて後、何らかのリアクションがある‥‥多分、そこで事態の全貌が見えてくるさ」

「‥‥そんなものかな‥‥」

 分かった様な、分からない様な‥‥スーは何となくうなずいた。

”こんにちわー!”

 家を挟んで向こう側から、女の子達の黄色い声が響いた。その声がメルフィナとテアである事が分かり、スーはガタ‥‥と椅子を倒して立ち上がった。

「ん、誰か来たみたいだな」

『え、よっこいせ』と、年寄りじみた声をたててアルフレッドが席を立ったが、

「お、お兄ちゃんはここにいてっ!」

「うおがっ!」

 突き飛ばされてひっくり返る。頭から芝に突っ込んだ兄を振り向きもせずにスーは戸口へと走った。

「こんにちわ、スー」

 まるで何処かの令嬢の様な、ヒラヒラの長いスカートをはいたメルフィナが、軽く会釈した。

「‥‥こんちわ、アルフレッドさんいるよね」 

テアが後ろから顔を出す。二人とも装いは完璧だった。

「えへへへへ‥‥:そ、その‥‥お兄ちゃん は今、具合が悪くて‥‥」

「具合?どこが悪いの?」

「その、頭の具合が‥‥:じゃなくて、腱鞘 炎と痛風と口内炎と、それからえーっと、 そう、椎間板ヘルニアが再発して‥‥」

「そこまでひどいの?‥‥でも、そこの事務 所の太った人に聞いたら裏の庭でお茶飲ん でるって言ってたけど?」

 テアが疑わしそうな目付きでスーを見る。「えへへ‥‥そ、そかな‥‥目の錯覚だよ きっと‥‥その‥‥ケリガンはときどき、食べ合わせが悪いと、譫言を言う癖があって、夜中とかたまに、四つんばいで街中を 駆け回ったりするし‥‥」

「うわあ‥‥何でそんなアブナイ奴を雇ってるの?」

「う、うん‥‥お兄ちゃんは‥‥その‥‥ 首にしたら、彼が困るだろうって‥‥」

「さすがアルフレッド様はお優しいわ」

 二人は納得してうなづく。スーはほっと一息ついたが、

「‥‥だったら私達、アルフレッド様のお見舞いしたいんですけど‥‥」

「ええっ!」

 スーは握った口に手を当てて、軽く仰け反る。三編みにしてお下げにした髪がピョコッと逆立った。

「‥‥そ、それはちょっと‥‥困る」

「どうして?」

「なぜです?」

 二人は同時にスーに迫った。スーはまた仰け反る。

「‥‥えーっと‥‥へへへへ‥‥その、病 状がひどくてとても会える状態では‥‥」 冷や汗を流しながらも笑顔が顔に張り付いていた。

「しょーがないわね‥‥じゃあ月曜までに聞いておいてね」

「へ?‥‥聞くって‥‥何を?」

 キョトンとして聞き返した。

「そろそろ八月十四日でしょ!‥‥バ・レ・ン・タ・イ・ン! まさか忘れたの?」

「‥‥あ、そうか‥‥」

 バレンタインの日とは、八月十四日の特定日に、女の子が好きな男にチョコレートをあげる特別な日である。

「‥‥スーったら、あんなに男の子にもてるのに、また今年も誰にもあげないつもりですの?‥‥全く、のんきですわね」

 メルフィナはスーの頭をポコポコと叩いた。

「‥‥う、あ、う‥‥」

 スーは亀の様に頭を上下させる。

「もう、それはやめてって!」

 フン!と怒ってはみたが、二人は全く意に介さない。

「じゃ、頼んだよスー」

「よろしくね」

 ニコニコ笑って去っていく。スーは手をグーにしてプルプルと細かく震わせていた。

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