第21話 『花山 明良』-3
「どこに行くの?」
「ついてからのお楽しみ」
にっちゃんに『秘密基地に連れて行ってあげる』と言われてワクワクしながらついていった。
まだ外は寒かったけど、今日はにっちゃんのコートを借りて、おばさんたちにバレないようこっそりと家を抜け出した。
にっちゃんが言うには、昼よりも夜の方がいいらしい。
ずいぶん歩いた気がする。
少し歩き疲れた時に、にっちゃんは私の手を引いてくれた。
「あそこだよ」
にっちゃんの指差す先には、丸いたまごみたいな形をした建物があった。
あたりは建物がなく、少し古くささを感じるその建物は異様な存在感を放っていた。
「入ろう」
にっちゃんに手を引かれる。
「入っていいの?」
「うん。今はもう廃墟だから」
にっちゃんに手を引かれて、丸い建物の中に入る。
中も真っ暗な丸い天井が広がっていた。
その天井を見上げるように、たくさんの椅子が丸く並んでいてその中央には大きな望遠鏡みたいなものがあった。
「ここはプラネタリウムだったんだ」
「プラネタリウム?」
「そう。あの天井に星がいっぱいうつるんだ」
にっちゃんが天井を指差すが、そこには星なんてなかった。
にっちゃんに促されて、椅子のひとつに座る。
私の横ににっちゃんも腰掛けて、天井を見上げた。
「真っ暗だよ」
私が言うと、にっちゃんは笑って目を閉じた。
「目を閉じて」
言われるがままに目を閉じる。
やっぱり真っ暗だ。
「星を思い浮かべるんだよ」
にっちゃんが隣で言う。
「見える?」
見えない。ただの暗闇だ。
「想像するんだよ、星を」
にっちゃんには星が見えているんだろうか。
私だけが見えないんだろうか。
「……うん。キラキラしてる」
私は嘘をついた。
「よかった」
安心したようなにっちゃんの声が聞こえる。
私はそっと目を開けて、にっちゃんの方を見た。
にっちゃんは目を瞑ったまま、微かに微笑んでいた。
にっちゃんには見えているんた。
この真っ暗な天井に綺麗な星が。
目を瞑り、星を眺めるにっちゃんの横顔はとても綺麗だった。
私はもう一度、天井を見上げた。
そこにはやっぱり、真っ暗な天井があるだけ。
「人は死んだら星になるんだって」
にっちゃんが目を瞑ったまま言った。
「うん、そうらしいね」
私が答える。
「はやく、私も星になりたい」
真っ暗な天井を見つめながら、小さくそう呟いた。
「ダメだよ」
にっちゃんの言葉が、球体の中で反響した。
「どうして?」
私はにっちゃんの方を見ずに尋ねた。
にっちゃんは私の手をぎゅっと握った。
「あきちゃんが星になっちゃったら、僕は生きていけないよ」
にっちゃんの言っている意味がわからなかった。
私がいなくても、にっちゃんは生きていけるはずだ。
「僕もあきちゃんに出会う前は星になりたかった。いつもいつもそう思っていた。でも、あきちゃんに出会ってから変わったんだ。僕、あきちゃんを守ってあげたい。あきちゃんのために生きるんだって」
私の手を握るにっちゃんの手に力がこもる。
にっちゃんは私を見つけてくれた。
薄着の私に何度もコートをかけてくれた。
マフラーを巻いて、手袋をつけてくれた。
寒い夜に、走り回って見つけてくれた。
学校のお勉強を教えてくれた。
いつも、私の手を握って微笑んでくれた。
その笑顔に、私は何度救われたんだろう。
「だから、星になんてならないであきちゃん」
目を開けて、にっちゃんの方を見る。
にっちゃんもこちらを見つめていた。
「うん。私もにっちゃんのために生きる」
私はにっちゃんの目を見つめて、笑った。
にっちゃんも照れくさそうに笑った。
「約束だよ」
にっちゃんが私の手をぎゅっと握った。
「うん、約束」
いつもの公園で、にっちゃんの帰りを待っていた。猫集会は自然解散して、にっちだけが膝の上に残っていた。
ふと、子どもの言い争う声が聞こえてくる。
振り返ると公園の外でさーちゃんとにっちゃんが何やら言い争っていた。
兄弟喧嘩なんて珍しい。
私はにっちを抱き抱え、2人の方へと向かった。
近づくと会話の内容が聞こえてきた。
喧嘩というよりは、さーちゃんが一方的ににっちゃんを責めているように聞こえた。
にっちゃんはうつむいて悲しそうな表情を浮かべている。2人とも私の存在には気づいていない。
「にー兄ちゃんなんか、いなくなっちゃえばいいんだ!」
さーちゃんがそう言った。
「なんでそんなこと言うの」
私は思わず、大きな声を出した。
そこからはさーちゃんと私の言い争いになった。
何を言ったのかは覚えていない。
だけど、私はにっちゃんをバカにされるのは許せなかった。
私がにっちゃんを守るんだ。
その一心だった。
さーちゃんと喧嘩をした夜、にっちゃんはいつものように、私の部屋にきて今日の学校でのお勉強を教えてくれた。
「あきちゃん、ありがとう」
にっちゃんは弱々しい声で言った。
きっとさーちゃんとの喧嘩のことを言っているんだ。
でも私はあの時必死で、自分が何を言っていたかなんて覚えていない。
「さーちゃんはね、素直じゃないんだ」
にっちゃんが困ったように笑う。
「あきちゃん、さーちゃんのこと嫌いにならないであげてね」
「えー」
私が嫌そうな顔をするとにっちゃんはコツンと私の頭を小突いた。
「僕たち、これでもさーちゃんよりもお兄ちゃん、お姉ちゃんなんだからさ」
にっちゃんは大人だな、と思った。
「……わかった」
私はしぶしぶうなづいた。
「にっちゃん、明日はえんそくなんだっけ?」
「あー、うん。そうだよ」
にっちゃんは別に嬉しそうじゃなかった。
えんそくっていうのは小学生にとってワクワクするイベントなんじゃないんだろうか。
「どこへいくの?」
「山登りだよ」
「へー」
山登りか、疲れそうだなと思った。
「夜だったらすごく星が綺麗に見えるかもしれない」
とにっちゃんが言った。
そういえば、にっちが綺麗な星が見える山があると言っていた。
「でも行くのは昼なんだもんね」
私がそういうと、にっちゃんはしょんぼりとうつむいた。
「そうだ、あきちゃんお庭で星を見ようよ」
「お庭?」
宮家の庭からは星は見えない。
「ううん、今日はいいや」
私は首を横に振った。
「そう?気が向いたら降りておいで」
そう言ってにっちゃんは庭へ出て行った。
私はにっちゃんにまた嘘をつくのが嫌だった。
後悔している。
もう少しだけにっちゃんと一緒にいればよかった。私が庭に一緒に行って、夜中まで星を見続けていたのなら、にっちゃんは風邪を引いてえんそくを休んだかもしれないのに。
にっちゃんは遠足の途中、崖から落ちて亡くなった。
おばさんが泣き喚いていた。
私は、にっちゃんにもう会えないんだという現実を理解できなくて呆然としていた。
にっちゃんのお通夜が行われた。
私は参列させてもらえなかったから、物置き部屋でぼーっとしていた。
私はにっちゃんのために生きるって言ったのに、にっちゃんがいなくなったら意味がない。
私にはもう生きる理由なんてない。
家には誰もいない。みんなお通夜へ行っているから。
私は台所に行き、水場の下の棚を開けた。
そこにはいつもおばさんが料理で使っている鋭利な包丁があった。
包丁を手に取り手首に当てて軽く引くと簡単に皮膚が切れて真っ赤な血が滲み出てきた。
「明良!」
突然の声に驚いて包丁を地面に落とす。
振り返ると一郎お兄ちゃんがいた。
一郎お兄ちゃんはこっちに向かって駆けてきて白いハンカチで私の手首を強くおさえた。
「なにしてるんだ!こんなことしたら、にっちゃんが怒るぞ!」
大きな声で叱られる。
「大丈夫だよ。もうにっちゃん、いないんでしょ」
私がそういうと一郎お兄ちゃんは手首をおさえたまま、ぎゅっと私を抱きしめた。
「にっちゃんのために、生きていくって言ったのに」
「なら、まだ生きないとな」
一郎お兄ちゃんの声のトーンが少しだけ変わった。
「なぁ、明良。今からにっちゃんに会いに行こう。もうお通夜も終わった。今なら会える」
そう言うと、一郎お兄ちゃんは軽々と私を抱き上げてそのまま玄関へと向かった。
一郎お兄ちゃんのハンカチは真っ赤になっていたけれど、いつの間にか私の手首の出血は止まっていた。
私を抱き上げたまま、一郎お兄ちゃんは無言でお通夜の会場へ向かっている。
一郎お兄ちゃんからは、いつもの明るさを感じなかった。弟が亡くなったから当然なのだけど、なんだかいつもと違う人のように見えた。
「なぁ、明良。にっちゃんは本当に事故だと思うか?」
一郎お兄ちゃんがとても低い声でそう尋ねてきた。
「どういうこと……?」
にっちゃんは遠足の途中で足を滑らせて、崖から落ちて亡くなった。
「小学生の遠足でそんな危険なところに行くと思うか?」
一郎お兄ちゃんの言葉にハッとした。
「にっちゃんのために生きるんだろ?」
一郎お兄ちゃんがすごく低い声で私の耳元に囁く。
「二都はクラスでイジメを受けていた」
「……いじめ?」
一郎お兄ちゃんの顔を見ると、静かに怒っているのが見てとれた。
「二都は殺されたんじゃないか?」
お通夜会場は真っ暗になっていた。
おばさんやおじさんが別の部屋にいるらしく、一郎お兄ちゃんは私をにっちゃんの棺のある部屋に残してそちらへ行ってしまった。
そっとにっちゃんの眠る棺の中を覗いた。
「……」
今にも目覚めそうな、本当に眠っているだけなんじゃないかと思うぐらい安らかな寝顔をしていた。
「……にっちゃん」
呼びかけてみるけど返事はなかった。
一郎お兄ちゃんの言葉を思い出す。
「……にっちゃんは殺されたの?」
返事はない。
「一郎お兄ちゃんの言っていることが本当なら、私はその人を許さない」
にっちゃんの唇は少しだけ開いていた。
柔らかそうな、今にも喋り出しそうな小さな唇。
「私、にっちゃんのために生きるって決めたから」
にっちゃんに読んでもらった絵本で、眠り続けるお姫さまの絵本があった。
お姫さまは王子さまのキスで目を覚ますのだ。
「……」
棺の中へ身を伸ばし、にっちゃんの唇に口づけをした。
硬くて、冷たい。
しばらく待っても、にっちゃんは目覚めなかった。
一郎お兄ちゃんに呼ばれて、一緒に家に帰った。
玄関で先に家に入るように促される。一郎お兄ちゃんは黒い服の内ポケットからタバコを取り出していた。
「ねぇ、一郎お兄ちゃん」
「どうした?」
一郎お兄ちゃんがタバコを咥え、ライターで火をつけた。
「ちゃんと教えて、さっきの話」
私がそう言うと、一郎お兄ちゃんは少しだけ困ったような顔をしたがすぐに真剣な目をして私を見つめた。
にっちゃんのために、私は生きるんだ。
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