第7話 『久城 征紀』-3
「違うよ、パパはパパだけど、本当の父親じゃないよ。赤の他人」
なんとなしに先日の中年男性のことを聞くと、そんな返事が帰ってきた。
「パパ?」
「そう。ちょっとデートしてお茶してお金もらってるの」
「なんだそれ、売春?」
俺がそう言うと、明良はケラケラと笑った。
「もー!今はそんなストレートに言わないんだよ」
と、はぐらかされた。
まぁ、明良が何をしていようと俺には関係のないことだ。別に首を突っ込むことじゃない。
俺の部屋のベッドで、座りながらぽんぽんと跳ねている明良。
「そんなことより、クラスで噂流れてるんだって」
「なんの?」
俺はタバコに火をつけながら尋ねた。
「私とユキくんが付き合ってるって噂」
「しょうもねぇな」
「そりゃあさ、毎日のように校舎裏で話して、一緒にお弁当食べて、放課後も一緒に帰って、楽しそうにゲームセンターで騒いでるのって側から見たら恋人だよ?」
「あっそ」
素っ気なく返事すると、突然背後から明良の腕が伸びてきた。
驚いて、一緒タバコを落としかける。
「それに普通は親のいない家に、なんでもない女の子入れたりしないんだよ」
耳元でそう囁かれる。
「お前が来たいって言うからだろ」
「はぁ!本当にダメだね。ユキくんは」
そう言うと明良は大きくため息を吐いて、俺のベッドに仰向けに寝転がった。
「でも、ユキくんの家……居心地よすぎ。一軒家で一人暮らしって最高じゃん!」
「一人暮らしじゃねぇし、親が帰って来ないだけ」
「ほぼ一人暮らしじゃん、あーあ!ここに住みたーい!」
「住めば?」
「え!?」
俺の言葉に明良は急に起き上がり、驚いたように目を丸くした。
「家事しろよ」
「家政婦じゃん!」
「当たり前だろ」
「はぁ…ひどいねぇ、にっち」
明良が横にいる三毛猫に話しかけた。
『にー!』
妙な鳴き方の三毛猫。
三毛猫……?
「は?おい、どこから出てきたその猫」
「どこって、私の鞄からだよ?」
不思議そうに明良が首を傾げる。
「それ野良猫だろ!勝手に家に入れんな」
「大丈夫だよ、にっちは綺麗だもんねぇ」
『にーん』
明良が三毛猫の頭を撫でると、三毛猫は気持ちよさそうに鳴いた。
「いいから、かせ」
俺は明良の手から三毛猫を掴みあげる。
『にっ!?』
「あ!にっち!」
『にーん!』
「暴れるな、くそ猫」
シャワーを浴びせると三毛猫は大暴れで浴室中を駆け回った。
にーッ!と威嚇して引っ掻いてこようとするが、動きが鈍く簡単に避けられる。
たぶん、割と歳いった老猫なんだろう。
猫を掴んでひっくり返すと、意外にもオスだった。三毛猫のオスは珍しいと何かの番組で見たことがある。
「ちょっと!乱暴にしないでよ!」
明良が浴室の外から文句を言ってくる。
「うるせぇ、こいつが暴れてるだけだ」
三毛猫は抗議の眼差しで、俺を睨んでくるがそんなことは気に留めずシャワーの水を勢いよく浴びせた。
「猫は水が苦手なんだよ!」
『にーん!』
「知るか、うちにノミが飛び散る」
三毛猫にシャンプーをぶっかけてゴシゴシと揉み洗う。泡だらけの三毛猫の身体を水で流すと、排水口へ流れていく水は真っ黒だった。
「やっぱり汚ねぇじゃん」
「にっち…」
明良の心配そうな声が聞こえてくる。
だが、容赦はしない。
俺はゴシゴシと三毛猫を洗った。
「わぁ!にっちいい匂いになったね」
『にーん!』
明良は洗われた三毛猫の腹に顔を埋めている。
さっきまで大暴れだったくせに三毛猫も満足気な顔をしていた。
「無駄な仕事させやがって」
「ありがと、ユキくん!」
「俺のためにやっただけだ、お前らのためじゃない」
「素直じゃないねぇ」
『にーん……スタタ……』
三毛猫は窓の外にパッと目を向けると器用に窓を開けて外へ飛び出して行った。
「あ、にっち!」
「せっかく洗ったのに外行きやがって」
「あー、鳥だ。追いかけて行っちゃった」
明良は窓の外を見ながら残念そうに眉を下げた。
「……2人きりになっちゃったね」
明良がベッドで仰向けになりながら、ボソリと呟く。
「ねぇ、親のいない家に女の子と2人きりだよ?」
「で?」
俺の返事に明良はまた深いため息をついた。
「そんな無防備だと…襲われちゃうよ?」
「お前に?」
俺が鼻で笑いながらそう言うと、明良はニコニコと笑った。
「そう。ガブっとね」
「笑えるな」
「痛いよ、きっと。試してみる?」
ニヤニヤと笑う明良。
それから俺は一年経っても明良に触れることはなかった。
俺と明良は高校2年生になり、明良と出会ってから2度目の冬を向かえた。
今日も明良は俺のベッドに仰向けに寝転がって、俺を誘惑してくる。
コイツはきっと俺が手を出すことはないと確信しているからこそ、余裕の態度なんだろう。
気に入らない。
その余裕の笑顔を壊したい。その日の俺はなんだか、いつもより気持ちが昂っていた。
俺は、吸いかけていたタバコを灰皿に置いて、明良の横たわるベッドの前に立った。
明良は驚いたように、丸い目をしてこちらを見上げている。
その憎たらしい顎を掴み、明良の身体に跨がる。
「あんまりナメるなよ」
気づくともう夜になっていた。
素肌にあたる布団の感触が心地よい。
ゆっくりと目を開けると、明良は裸のままベッドの端に腰掛けていた。
窓から差し込む月明かりだけが、明良の背中の痣を生々しく照らしていた。
傷だらけの背中なのに、なんだかその背中を美しいと感じた。
「驚いた」
明良がこちらを見ないまま、ボソリと呟く。
「ユキくん、身体傷だらけじゃん」
「お前もだろ」
思わず言い返す。
「私よりユキくんのが酷いよ。だから、夏でも長袖着てたんだね」
明良はずっとこちらを見ないまま話し続ける。
「私はさ、母親に捨てられたの」
月明かりに照らされる明良の横顔は、今まで見たことのない、憂いを帯びた表情をしていた。
「今は父親だって言われてた人の家に住ませてもらってる。でも、その父親ももう死んでる」
俺はゆっくりと身体を起こして、明良の肩を引っ張って布団に引き込んだ。冷たい身体を抱き寄せる。明良に対して愛情も同情もない。
ただ、俺にとって今までにない存在であることは確かだった。
「ねぇ、ユキくん」
明るい声でくるりと明良がこちらを振り返った。
「今から星を見に行かない?」
「は?星?」
「うん。学校の屋上からなら見えるんじゃないかな」
そう言うと明良はスルッと俺の腕から抜けて服を着はじめた。
案外、簡単に屋上に入ることができた。
学校はもっと厳重に鍵を管理した方がいいんじゃないかと思う。
「ふぅ…警備員さん、巻けてよかったね」
「通報されるぞ」
「いいじゃん別に。それまでに逃げれば」
明良の行動はいつでも行き当たりばったりだ。
明良と出会ってからなんだかんだ1年半が経っていた。俺はまだ明良に殺してもらうことを諦めていない。だからこそ、明良の望む友達ごっこを演じ続けてやった。
「めんどくせぇ…」
「そう言いながらもちゃんと着いて来てくれるんだね、ユキくんは」
明良は夜空の下でニコニコと笑っていた。
「星」
「え?」
「星が見える?」
明良は真っ暗な空を見上げてそう尋ねた。
俺も一緒に見上げる。そこには暗い空があるだけで星なんてひとつもなかった。
「見えないな」
「そっか。ねぇ……こっち!」
明良が急に、俺の手を引いた。
「フェンス越えよう!」
突拍子もない明良の提案に俺は唖然とした。
「バカじゃねぇの?危ねぇだろ」
「いいんじゃん。ほら、おいでよ」
そう言って明良は、怖気づくこともなくフェンスを軽々と登り、屋上の隅に立った。
風が吹いたら、簡単に落ちてしまいそうだ。
「ほら、ユキくん」
明良に呼ばれて、俺もゆっくりとフェンスを登り乗り越える。
「あはは。来た」
明良は無邪気な子どものように笑っていた。
「うるせぇな」
下を覗くと思ったよりも高かった。
落ちたら本当に死ぬだろう。
「猫は高いところから落ちても死なないって言うけどさ、限度があると思わない?」
明良は足を空中に投げ出して縁に腰掛けていた。
「だろうな」
「もし、ここから落ちたら猫は死んじゃうのかな」
そう言って明良はグッと半身を乗り出した。
「おい、そんなに乗り出すな」
俺が思わずそう言うと、明良は悪い笑みを浮かべながらこちらを見た。
「ユキくん、びびってるの?」
「そういうことじゃねぇ。お前が落ちたら……」
「私が落ちたら?」
「……ちっ」
言葉が出てこなかった。
明良が落ちたらどうだって言うんだ。
俺になんの関係がある?
「私がここから落ちて死んだら、ユキくん泣いてくれる?」
「泣かねぇよ」
「そっか。大丈夫だよ、私は死なないから……」
そう言って、明良は夜空を見上げた。
なんだか嫌な予感がした。
「は?」
「試してみようか」
明良は、ひょいっと空中に身を投げだした。
咄嗟に身体が動く。間一髪で明良の胴体を片腕で掴んだ。反対の腕でフェンスを掴み力いっぱい引き戻す。強い風が吹き、明良の靴が校舎の下に落下していくのが見えた。
「ふざけんなよ!本当に死ぬぞ!」
思わず叫んでいた。
俺の腕があと一瞬でも遅れていたら、本当に明良は落ちていた。
「……助けてくれたんだ」
「当たり前だろ!」
「どうして?私が死んでも泣かないんでしょ?」
屁理屈ばかり言いやがる。
俺は片腕で明良の胴体を強く固定した。また飛び降りようとされては困る。
「……目の前で人に死なれたくない」
俺はボソリと呟いた。
「自分はそうさせようとしているのにね」
冷たい明良の声。
「一緒におちる?このまま」
明良は明るい声でそう言った。
その声は星のない夜空に吸い込まれて消えた。
そうだ。
このまま一緒に落ちて死ぬ。
それだって、俺の目的は達成されたことになる。
「……悪くないかもな」
そう呟くと明良は俺の手を撫でた。
「ねぇ、私のこと大事?」
「……」
「一緒に落ちてくれる?」
ドクドクと心臓に大量の血液が流し込まれる。
冷たい風が頬を叩く。
「嫌だ」
俺がそう言うと、明良は明るく笑った。
「あははっ……そっかぁ残念」
「お前には俺を殺してもらわないといけないから」
「うん、わかったよ」
そう言うと明良は、立ち上がった。
片足の靴がないままフェンスを登り、安全な内側へと戻っていく。
「ねぇ、ユキくんにとって死ぬことは救いになるのかな?」
フェンスの中から、明良がこちらに問いかけてくる。
「わからない」
俺は正直に答えた。
明良は笑った。
「もうすぐクリスマスだね」
「そうだな」
「クリスマスイブの夜、体育倉庫に来て」
明良は笑顔のまま言った。
「そこで殺してあげる」
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