プロローグ 助手


――2007年12月31日生まれの俺には、この世界の全てが俺のためにあるように思えた。


 なんてこともなく。

 天才の考えは良く分からない。

 俺は偏差値も校服も生まれも育ちも、全てが凡庸だった。

 そんな俺が非凡な探偵と出会ったのは、10歳と10カ月の時。

 

 探偵は俺の姉を殺害した犯人と、バラバラにされた五体の顔以外を全てを見つけ出した。それは警察と警察犬ですら見つけられなかったもので、何か報酬を支払おうとしたが、探偵はそれを断った。探偵の俺を憐れむような目に、秋雨に濡れた髪と高校の制服が妙に格好よく見えた日だった。


 それから俺は探偵に憧れて助手を始めた。

 今では髪をボサボサにして肩まで伸ばした、大学四年の留年生みたいな見た目になっている。なんとも最近では、謎を解くこと以外にはやる気が出ない様子だ。


 助手を始めた理由には、恩返しもあったと思うが、師弟関係を結ぶまでは最低賃金以下で働く俺に訝し気な顔をしていた。師弟関係を結ぶことで、最低賃金の話はなぁなぁになり、お小遣いとして時給あたり500円ほどで働いているが、それもグレーという真っ黒というか......


 しかしお陰様で俺は、探偵の生態を知ることが出来た。

 探偵という稼業があまり儲からない事、

 そのくせ割と危険であること。

 薬物の売人や暴力団と関わることもあった。

 軽い監禁や銃撃戦、

 ラッパー同士の乱闘に巻き込まれることもあった。

 それでも俺が探偵の「師匠」に関わる理由は、彼女を守りたいからだ。きっと俺は探偵に、年齢が近かった姉を重ねているんだろうと思う。


――手伝いたいだ...?困ったな。/君はいい助手だな。/だから言ったろ。助手、大丈夫か。//最低賃金?そんな言葉をいつ覚えたのか。/これからは師匠と言うんだな。私は恥ズイから助手と呼ぶがね。/今回の事件、誰が犯人だと思う?......正解。/今月仕事ないよー。/だから言っただろ、Twitterはイーロンが買い取って改名すると。/助かった。強くなったな。


何でもするよ。探偵のために。/まぁーな。/あぁ、結構揺れたな。/労基も覚えたぞ。......別に良いんだけどな。/分かったよ、師匠。よろしくな、これからも。/普通に浮気した夫じゃないすか?/平和で何よりです。給料もとい小遣いはきっちりと。/だからって大富豪にクソリプを送るな!!/こちらこそ。いつでも守るよ。――


 ・

 ・

 ・


「ところで、師匠はいくつなんだ?」


「いいかんじの年齢だよ。」


 この質問をすると師匠はいつもはぐらかすし、頑なにプロフィールを隠したがるが。実際はこの篠原探偵事務所の雑務をしている手前、師匠の年齢など当たり前のように知っているし、あのアンニュイさが面白いから聞いている。冗談屋で天才で、俺は恋心とは別種の、絆に似た尊敬を寄せている。

 だから俺は、師匠が頑なに今回の事件を俺から遠ざけていることを知っていた。


 探偵は恩人だ。

 危ない仕事だけど。

 俺は探偵に笑っていて欲しい。


 夢中で謎を解き、

 夢中になれる明日を、

 老衰するまで迎えて欲しい。


 探偵事務所からコピーした資料を日本地図の上にピンで刺し、刑事ドラマさながらに赤い紐で関連する事象と事象を紐づける。これが割と分かりやすい。頭の中を整理するように時系列と犯人像のプロファイリングを書き込んでいく。浮かび上がるのは過去に篠原探偵事務所でも解決出来なかった失踪事件。そして俺の推理へ付け加えるように、師匠は終ぞ見つからなった姉さんの頭部を気にしていた。幾つもの資料を持ち寄って、過去を掘り返すように考えていた。きっと、俺は師匠の一歩後ろにいる。




―――――――――――


{1月1日}


 目を閉じて布団を掛けた俺は、除夜の鐘を聞きながらパッと意識を戻して目を見開いた。


「解け。......てない。」


 頭に熱いシャワーを浴びた様に、眠気が瞬時に晴れていく。


「解けてないんだ。全ての事件が、解けたかのように細工されていた......」


 気付いた時には、助手として貰った給料を握りしめ飛行機へ飛び乗っていた。寝床で閃いたのは仮定の話である。前々から疑問視していたが師匠が関連した国内の未解決失踪事件には、全てにおいて証拠が無さすぎた。


 災害時における被災者の遺体の所在。

 埼玉県の中学生が失踪した事件では、同時期にトラックで轢かれて死亡した男性から中学生のDNAが見つかったがそれ以外には何もなかった。

 あるいは東京で起きた失踪事件も、監視カメラの映像すら失踪者(かれら )の所在を教えない。


 そんな不自然な事件の多くが師匠の捜査の手が回った関東圏。

 師匠の推理が早過ぎたから、細工が間に合わなかった。

 いや、仮にそうでないとしても。

 裏には組織がかった巨大な何かがある。

 そして師匠が石川県に飛んだ理由は、信じたくも無いが、きっと。


 早朝。 

 息を切らしながら事務所の鍵を開き、観葉植物の隣にある金庫を開く。

 隠していたのは3Dプリンター制の拳銃であったが全て消えていた。

 師匠もいない。

 それから俺は床板を剥がしもう一つの隠し金庫の鍵を開ける。

 ダイヤル式で番号は1002。

 安直である。

 中身は本物の9mm拳銃。


「マジか......」


 消えていた。

 それから俺はギリギリ正午発の新幹線を取り空港に辿り着く。

 師匠の搭乗便に合わせたが、師匠の姿はそこにはない。

 探偵らしく聞き込みをし、港の方へ行ったと情報を掴む。


 足を運ぶ。

 ひたすら運ぶ。

 師匠の携帯を紛失時の措置を踏襲して探すが、

 師匠はGPSを切るという徹底ぶりであった。

 携帯電話もSNSも、一向に繋がる気配がない。


 俺は辿り着いた丘の上から港を眺める。

 師匠の居場所はもう分からない。

 聞き込みの限界は分かりやすい。

 だからこそ、俺は今日までの事件を思い出し、

 何もない空へ、ピンを結ぶ赤い紐を想起する。


「解くんだ。師匠に解けた謎を......俺が今、この場で解く。」


 眉間に皺をよせ考える。

 指を額に置き考える。

 考える。

 必死に考える。

 大地が揺れる。

 鳥が騒ぐ。

 森が騒ぐ。

 家屋が騒ぐ。

 頭の中の点が集まり大きな点の集合体へ、

 その点と点を赤い線が結んでいく。

 それはまるで星座の様に。


「そうか。」


 閃く。


「そうか、そうか......」


 走る。


『行くなぁーッ!!』


 走る。


「師匠......」


 走る。


「師匠ッ....」


 走る。


「綾!!」


 叫ぶ。


「来るな!!」


「断る。」


 俺は手製のリベレーターを構える。

 使用弾薬は家に隠していた380ACP弾。 

 装弾数は1発。

 痺れるような寒さの中、

 震えた手で持つ拳銃の照準を

 フードに隠れた犯人の顔に合わせる。


「抵抗するなッ、さもなくば撃つ!!」


「君ってヤツは......」


 銃を持つ俺を一瞥し、師匠は口角を上げて犯人に向き直った。


「ハハッ、そういうことだ。お前はこの大天才のみならず、後ろにいる私の助手にすら居場所のバレた大痴れ者というワケだが。そうと分かればさっさとお縄に......」


 フードの犯人が師匠へ向けて走り出す。

 チラリと懐に見えた銀色の刃先。


――タァンッ!!と港へ響く発砲音を一発、俺の放った弾丸は犯人の左肩に当たる。しかし一瞬怯むだけで、そいつはまた次の一歩を探偵の方へ踏み出す。


「師匠ッ――!!」


 刃が刺さる時、グサリという音はしない。

 ただ少し、皮を裂く感触。

 瑞々しい音とアドレナリンが出るような激しい痛みが腹部に襲う。


「ぐふぅっ.....!!」


 フードの犯人はその場で膝を落し、

 すかさず師匠は9mm拳銃の持ち手で犯人の頭を殴った。


「撃たねえのかよ......」


「全弾外した。先刻、絶望的な自分の不得手を目の当たりにしたよ。」


 そんなこともあるんだな.....


 冷たい冬の海風が、

 ピューピューと高い音を鳴らし

 身体に吹き続けていた。


「逃げろ...師匠......それか、」


 俺は倒れ込んだ犯人へ指をさす。


「もう見たよ助手。でも、もう良いんだ。」


「......じゃあ」


「もう喋るな。目を閉じて、私の声だけ聴くんだ。」


 瞼を脱力し、暗い世界が視界を覆う。

 何故だが妙に心地が良い。

 寒さが次第に薄れていく。


「......なぁ助手。君にこの先、どんな困難が待ち受けているのか私には分からない。ただ、......それでも生きろ。私は君の傍にいる。私は君に後を託す。篠原探偵事務所の解決率を100%に引き上げる案件だ。君なら出来る。君なら私を越えられる。」


 俺はその手に、包装されたような何かを握る。


「そしたら、強く思い出せ。犯人は――」










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