あいつが死んだ。

三雲零霞

【短編】あいつが死んだ。




大学の同期の男が死んだ。

アパートで自殺したらしい。


元々死にそうな奴だった。

だからその話を聞いた時には、確かに悲しかったけれど驚きはしなかった。

ああ、今がその時だったんだな、とだけ。



あいつが死んだと聞かされた三日後、わたしはふと思い立ってあいつのアパートを訪れた。

わたしはあいつの家に行ったことはなかったが、あいつが昔サークルのディスコードに住所を貼っていたので、それを頼りにアパートに辿り着いた。


あいつの部屋は一階にあった。

ここまで何も考えずに来てしまったが、鍵もなければ家主もいないので部屋に入れないじゃないかと気づいた。

だがとりあえずダメ元でインターホンを押してみる。


部屋の中でピンポーンという音が鳴ったのが微かに聞こえた。

わたしが諦めて踵を返そうとした時、パタパタと足音が近づいてきて、ドアが内側から開かれた。

現れたのは初老の女性だった。あいつの母親に違いないとわたしは悟った。


「どちら様ですか?」


自分のことは何と説明すればいいのだろうか。

まさか人に会うとは思っておらず声を出す準備をしていなかったため、わたしの喉からは「あ、ええと、」と掠れた音が出た。


「わ、わたしは、──君の同期で、サークルが一緒で、仲良くさせてもらってた者で、ええと」

「ああ……うちの──がお世話になりました」


何十歳も年上の人に頭を下げられて、わたしは慌ててしまう。

「いえ、そんな、お世話になってたのはこっちのほうで」なんて言葉が咄嗟に口から出た。


「もし良かったら上がっていきませんか」

「え、でも……」


何の面識もない小娘が亡くなった息子の家に上がり込むなど親御さんにとっては気持ちの良いことではないだろうと思ったが、「その方が息子も喜ぶと思うので」なんて言われたら断ることもできなくなってしまった。


あいつの部屋は、一人暮らしにしてはやけに広かった。

ベッドも机も本棚もテレビ周りもシンプルで、男子大学生の部屋なんだなあと漠然と思った。

部屋の中央にはいくつか段ボール箱があって、その側であいつの父親と思しき初老の男性が作業をしていた。

多分、両親は遺品の整理をしに来ているのだろう。

そのおかげか、部屋はきちんと片付いていて、あいつが生活していた匂いはほとんど感じられなかった。

あいつがサークルの人たちを自宅に招いて遊んでいた時の写真の中の部屋は、もうちょっと散らかっていた記憶がある。


「お茶も出せなくてごめんなさいね」


あいつの母親が言った。

わたしは「いえ、お構いなく」と首を横に振った。

部屋のど真ん中にいても遺品整理の邪魔になるだろうから、わたしは玄関の近くの部屋の隅っこに小さくなって座った。


ぼうっと遺品整理を見ていると、ある段ボール箱にクマのぬいぐるみが入っているのを見つけた。

あいつが大学でよく連れ回していたものだ。


「あ、そうそう」


あいつの母親が何かを思いついたように立ち上がった。

そしておもむろに冷蔵庫を開ける。


「冷蔵庫に食べ物がまだ残ってるんです。賞味期限が近かったものは私たちで食べちゃったんだけど、全部は食べきれないから、よかったら好きなだけ貰っていってください」

「でも……いいんですか? わたし、勝手にいきなり押しかけてきただけなのに」

「捨てちゃうよりは誰かに食べてもらったほうがいいでしょ。それに、──もそのほうが喜ぶと思いますから」


その時初めて、わたしは母親の目元に少し腫れた跡があることに気がついた。


結局、わたしは冷蔵庫にあったプリンと漬物、それから冷凍庫のうどんを貰った。


帰り際にもう一度部屋を見回すと、クマのぬいぐるみと目が合った。

一瞬、そのぬいぐるみも持って帰りたいとあいつの両親に頼もうかと思った。

でもやめた。

そのぬいぐるみを貰う権利があるとしたら、それはわたしよりたくさんこの家に遊びに来ていた人に与えられるべきだ。



自分のアパートに帰ってきたわたしは、漬物とうどんを自分の冷蔵庫と冷凍庫に仕舞った。

そして、引き出しの中のカトラリーの箱からデザートスプーンを取り出した。


座卓の前に胡坐をかいて座り、プリンの蓋を剥がす。

スプーンで一口分掬って口に運ぶと、ちゃちな甘さが舌の上で溶けた。

しばらく外を運んでこられたプリンは生ぬるくなっていて、余計に甘ったるく感じる。


ふと、あいつが昔、「相手の一部を食すことがその相手に対する最大の愛なんじゃないか」みたいなことを言っていたのを思い出した。


このプリンも、あいつの一部になる未来があったはずだった。

わたしは今、未来のあいつの一部になり得たものを食べている。


わたしはあいつの恋人でもないし、あいつが死ぬまで家にすら行ったことがなかったけれど、こんなんでも愛だと認めてくれはしないだろうか。


スプーンはいつの間にかプリンのカップの底に到達していた。

カラメルソースを口に含むと、今まででいちばん甘苦い味がした。



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