あの頃「雪」が読めなかったキミ

タイヘイヨー

あの頃「雪」が読めなかったキミ

しんしんと降る氷の結晶を見るたびに、あの時の記憶が蘇る。



「えっと……「雨よ! 雨よがふってきたわ!」」


 教科書を手にし、キミは声を張り上げた。


 先生もクラスメイトも呆気に取られている。

 一文を読み上げたキミは周囲の様子に困惑していた。いつもなら先生は彼女の通りの良い声を褒めてから席に座るようにと促してくれる。

 なのに今日はそれがない。

 お喋りが絶えない小学二年生の教室は珍しく静寂に包まれた。


 俺は教科書に目を落とし、キミが朗読した一文を心の中で読む。


 ──雪、雪がふってきたわ。


 雪。


 雨。

 ヨ。


 雨ヨ。


 雨よ。


 なんのことはない。

 彼女は「雪」という漢字を知らなかった。

 それを雨とヨがサンドイッチのように圧縮されたものと勘違いしていたのだ。


 先生は俺と同じ考えに至った。


「あ、あのね。その漢字は「雪」って読むのよ」


 やんわりと指摘され、キミの頬と耳が桃色に染まった。


 ドッ、と教室が沸く。


 まさか雪が読めない子がいるなんて。

 クラスの人気者だったキミは一転、嘲笑の対象へと変わった。

 声の大きい男子にはやじられ、女子には好奇の目で見られている。


 椅子に腰を下ろしたキミの顔は暖色から寒色へと下がっていく。目尻にじわりと涙が浮かんでる。いまにも泣き出してしまいそうだ。


 先生は肩を震わせている彼女への対応を思案している。

 大人ならこの後なんとかしてくれるだろう。

 心配することはない。


 なのに当時の俺は話題をかっさらうように、


「次のとこ俺、読みたい!」


 と挙手した。


 みんなの視線が集まる。

 キミも俺に注目する。

 先生はどうしたことかと一瞬悩むそぶりを見せたが、朗読を許可してくれた。


「読みまーす」


 俺は立ち上がり、教科書を広げた。


「ん、と「じてんしゃにのってとなりの町にこれた」」


 ぺら、と次のページを捲る。

 昨日予習していたところだ。

 すらすらと澱みなく文章を読んでいく。


 当時から予習を欠かさなかった俺はクラスでは頭の良い子という印象が大きかった。

 教員には信頼され、クラスメイトからも一目置かれている秀才。


 そんな俺だからこそこれは効く。


「「いえにかえるころにはもうだった」」


 再びの静寂。


 キミも、先生も、みんなも。

 頭に疑問符を浮かべていた。


 先に気づいたのは先生だった。


「あ、あー。それはね……夕方ゆうがたって読むの。カタカナのタじゃないよお」


「え」


 と、俺はアイスクリームを落とした時の顔をしてみせた。ちゃんとショックを受けた表情に見られているだろうか。


 今度は花火を打ち上げたような爆笑が生まれた。


 さっきのキミの比じゃない。

 後ろの席のやつが「サイコー」と背中をばしばし叩いてくる。もちろん痛いがいまは甘んじて受けよう。


 先ほどまでの落ち込みようはどこへやら。


 キミは俺を見てフフッと堪えきれず吹いていた。


 それを見て、心底ホッとした。



 ■


「雪! 雪が降ってきたわ!」


 小学生の時を回想していたらそのままの台詞が横から上がった。変わらず声はよく通る。


 あの頃より髪も背も伸びたキミはこちらを見上げ、腕を絡ませてくる。どうやら俺と同じくあの日のことを思い出したらしい。


「あの時、助けてくれてありがと」


 イルミネーションよりも眩しいキミの笑顔は見てるだけで、心が暖まる。


 時には、間違えるのも悪くない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あの頃「雪」が読めなかったキミ タイヘイヨー @youheita

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画