第24話 十年ぶりに触れた日
「ミレットが囮になる必要はないだろう! 俺に声をかければよかった!」
「そうしようかと思っていたけど、公爵が『これ以上カイル様に負担はかけられない』って言うからやめた」
「私のことを気遣うなら、ミレットの命を守ることを優先するべきだ!」
カイル様の怒鳴り声に、空気がびりびりと震えた。
カイル様は王族だけど、以前は父にこんな態度は取らなかった。父は悪くない。私が囮になることに、父は大反対だった。狡いのは私だ。
父の妨害が分かっていたから、私は先に試験を受けて一級官僚となった。そうやって後戻りできない状態で父に話をしたのだ。
「父が反対しても、私に逃げ出す気はありませんでした。縁を切ってでも囮になる状況を作ってから、父に話をしたんです」
「どうして囮になんてなる必要があるんだ? メイナート国で安全に暮らせばよかっただろう」
「安全に暮らす? お姉様が殺されるのを、ただ見ていただけの自分を責めて? 今度は私のために犠牲になったカイル様を見捨てろと? その安全な生活に、何の意味があるのですか?」
少なくとも私は、そんな生活は望んでいない。
「『あの男が死ぬまで、私は国に帰れないの?
父だって、国王の姉に対する執着には気づいていた。
本当なら姉は、殺されるよりもっと前にメイナート国に渡っているはずだった。だが、当時王太子だったあの男の妨害のせいで、それは叶わなかった。その結果が十年前の事件だ。私は父の一番痛いところをついた。
「全て私が決めたことです。文句があるのなら、私に仰ってください。受け付けませんけど!」
空色の目を真ん丸に見開いていたカイル様は、私から目を逸らすと頭を抱えてしまった……。
カイル様の記憶の中と随分変わってしまった私が受け入れられないのだと思う。
レイモンド様も父も憐れむような視線をカイル様に向けていて、私は居心地が悪いったらない……。
胸元をギュッと握り締めたカイル様は、険しい表情で「今日、
「あいつの心は変わらずに狂っている。今日のミレットを見たあいつは、エイミーと同一視した」と言ったカイル様は、怒りの滲む目でレイモンド様を見おろした。
「貴方の計画通りだ。あの狂人はミレットを手に入れようと躍起になっている。満足か?」
そのつもりで姉の振りをしたのに、背筋が凍った。足が震えるほど恐ろしい。
「これがどんなに危険なことか、分からないのか!」
表情を変えないレイモンド様ではなく、私にカイル様は言った。
「危険だからって見て見ぬ振りは、もうしたくないんです!」
「ミレットが見て見ぬ振りをしたなんて、私は思っていない。エイミーだって思っているはずがない!」
「お姉様の気持ちは、永遠に分かりません! だからこそ、私はもう後悔したくない! 危険だからこそ、排除しなくてはいけないんです。そう思いませんか?」
「ミレット……命を大事にしてくれ。ミレットが笑っていなければ、意味がない」
カイル様が苦しそうな顔をするから、私は何も言えなくなった。
「……あいつは鉄道事業を国家事業にしようと画策している。それもあって、何が何でもミレットを手に入れるつもりだ」
「手に入れるって……。結婚していて、立太子した跡取りもいるのに?」
「そんなまともな倫理観がある人間じゃないが、それを上手く隠していて人望はある。王妃をどうにかしてミレットを娶るくらい、あいつには容易いことなんだ」
どうにかが殺害なのは、嫌でも分かる……。恋焦がれた姉と同じ顔を手に入れるためなら、躊躇いなんてないだろう。
「今すぐにメイナート国に行くんだ。ミレットが、この国にいたら危険しかない」
「行きません!」
「そう簡単に欺けるような甘い人間じゃないんだよ、あいつは! いや、もう、人間ですらない。化け物に常識は通じない」
「それでも、行きません!」
平行線でしかない言い合いに、温度が違うレイモンド様がするりと割り込んできた。
「だったらお前がミレットの婚約者に戻ればいい。お前がミレットを守ればいいだろう?」
「私にそんな力があればとっくにやっている! 王弟だって公爵だって名ばかりだ。あいつからすれば、俺だなんて虫けら以下なんだよ。ミレットを守る力なんてない」
カイル様はつい今まで殴りつける勢いだったレイモンド様に、頭を下げた……。
「頼むから今すぐに、ミレットをメイナート国に連れて帰ってくれ。今度こそ、守ってくれ」
さすがのレイモンド様も、バツが悪そうに金色の髪を握った。
「……前回もミレットは俺を選ばなかった。今回だって、きっと選ばない」
「選ぶ選ばないじゃない! ミレットの命がかかっているんだ! ミレットの気持ちを考えろ! 腹を括れ!」
私のことなのに、私の意見は無視だ……。心配されているのは分かっていても、こんなにも強引にレイモンド様との結婚を押し付けられて嬉しいはずがない。
「レイモンド様が愛しているのは、姉だけです。勝手に無理強いをしないでください」
「この際レイモンドの気持ちはどうでもいい! ミレットの気持ちが優先されるべきだ!」
「愛するエイミーの妹は、これ以上逃げることを望んでいない。お前もいい加減、理解しろ」
「そんなことを言って、お前は自分の復讐にミレットを利用しているだけだろう!」
「否定はしないけど、利害が一致したんだ。だが、一方的に利用しているわけではない。お互い様だよ」
「お互い様なものか! 表に立っているのはミレットだ。中傷も危険も全てがミレットだけに集中している!」
「囮が視線を集めてくれなければ、俺が暗躍できないだろう?」
我慢の限界が来たカイル様が胸ぐらを掴むと、笑顔のレイモンド様がその腕を掴んだ。
この状況で、なぜ笑顔……?
今日のレイモンド様はちょっと挑発的だなと思っていたけど、いよいよ意味不明だ……。
急に勢いを失って両手で顔を覆ったカイル様を見下ろしたレイモンド様は、今度は「ははは! ミレットの気持ちを思い知ったか!」と叫ぶと、ついに声を上げて笑い出した。
カイル様も怒っていたはずなのに……、なぜか真っ赤になってぐったりしている。
見かねた父が「レイモンド様、やりすぎです」と、うんざりした声を出した。
みんなで情緒が不安定?
カイル様は計画を中止させに来たんだろうけど、今更そんなことはできない。
ここで中途半端に手を引けばホワクラン家は潰されるし、カイル様だって今以上に酷い立場に追われる。メイナート国との関係が不安定になれば、国内情勢だって揺れる。そうなれば、国王の行動は手が付けられなくなるだろう。
そんなことはカイル様だって分かっているはずだから、何もせずに目を逸らしてもらうしか道はない。
一人で納得してうなずく私を、懐かしい温もりが包んでいた。
「何もせずに目なんて逸らすわけがないだろう!」
あれ? また心の声が、漏れた? ……のではない。カイル様の腕の中だ!
「勝手なことをして……。私を自由にする? 馬鹿だな。ミレットなしで、私が解放されるわけがない」
あぁ、全部バレる。でも、居心地がいいから、離れがたい。
「……もう二度と、カイル様に触れられることは、許されないのだと思っていました」
「こっちの台詞だ。もう見つめることも叶わないと思っていた。それもミレットの幸せのためだと納得していたのに、部下になるし……。私の覚悟を、どうしてくれる?」
カイル様の中に閉じ込められているみたいで、声も頭上から脳の中に心地よく響く。
触れられないことを諦めて落胆しないで、十年前のように思ったことを口に出せるんだ。
「勝手に記憶を失って勝手に手を離した私のことを、カイル様は見限ったんだと思っていました」
「それは、多分……、レイモンド様にそう思わされただけだ。あの人のやり口は汚いから」
カイル様は憎しみをこめてレイモンド様を睨んだ。もちろんレイモンド様は、笑顔で手を振っているけど……。
「私が信じられないか? ミレットだけには嘘をつかないと約束しただろう?」
約束、した……。あんな昔のことを、カイル様は覚えていてくれたんだ。
「カイル様が思う私の幸せと、私の思うカイル様の幸せは、お互いに間違っていたってことですね」
「悔しいけど、そういうことだな」
「乗り越える課題は多いけど、私たちは協力し合えるってことですよね?」
カイル様の長い長いため息を直に受けた分、心労と苦悩をダイレクトに感じる。
「……もう後には引けないし、ミレットが引く気がないのも分かった。それでも別の方法がないかを私は探してしまうよ……」
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読んでいただき、ありがとうございました。
二話(23・24)投稿しています。
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