第10話 図書館にて 4

 図書館の一角。

 子どもたちが集まる読み聞かせイベントが始まったばかりだというのに、進行役のボランティアが突然スマートフォンを取り出し、そのまま外に出て行ってしまった。

 会場には静かなざわめきが広がる。


「彩乃さん、続き読んでいただけませんか?」


 子どもと一緒に来ていた母親が申し訳なさそうに頼んできた。


「えっ、私ですか?」


 彩乃は驚いた顔で周囲を見回す。

 子どもたちのキラキラした瞳が彼女に注がれている。


「どうしましょう……」と小さく呟いたものの、断れる空気ではなかった。 

 彩乃は仕方なく本を手に取ると、ゆっくりページをめくった。


「では、桃太郎が鬼ヶ島に向かうところから始めますね」


 彩乃は読み進めるが、子どもたちの反応は鈍い。

 ちらほらとあくびをする子どもの姿も見える。


 何で読書の苦手な私が……もう自分で話を作った方が早いかも。

 心の中でそう呟くと、彩乃はふいに本を閉じて話し始めた。


「さて、桃太郎たちは鬼ヶ島に到着しました。でも、鬼たちは待ち構えていたのです」


 子どもたちの目がぱっと輝く。


「まず、キジは鬼に捕まって鍋にされてしまいました」

「えええーっ!」


 子どもたちから驚きの声が上がる。


「桃太郎は、鬼の美人リーダーに誘惑されて……もうメロメロです」

「それ、大丈夫なの?」


 一人の男の子が叫んだ。


「犬はフリスビーを追いかけたまま戻らず、サルはバナナでおびき寄せられました」

「それ、ダメえ!」

「そして遂に登場するのが、鬼の中の鬼……その名も鬼仮面!」


 ニタリと笑った彩乃は鬼仮面が乗り移ったかのように立ち上がった。


「鬼仮面?」


 子どもたちは食い入るように聞く。


「鬼仮面は、なんと桃太郎を丸ごと食べてしまいました」

「いやああああ!」


 泣き出す子どもも現れ、会場は大混乱に陥った。

 彩乃は慌てて場を収拾しようとしたが、興奮した子どもたちは誰も聞く耳を持たない。


 その時、電話を切り忘れたまま戻ってきたボランティアが目を丸くして言った。


「これは一体……?」

「えーと、えーと……鬼仮面を倒すために、桃太郎のお腹の中から勇気が湧き出て……」


 彩乃は必死にハッピーエンドに持ち込もうとするが、子どもたちのテンションは高いままだ。


 その時、彩乃のポケットに入っていた携帯電話が鳴った。

 画面を見ると、悠斗の名前が表示されている。


「はい、もしもし?」

「やけに騒がしいじゃないか。書類の件なんだけど……」


 悠斗の声が電話越しに響く。

 だが、彩乃は会場の子どもたちに向けて突然叫んだ。


「ええっ、鬼仮面がこっちに向かってるって?」

「鬼仮面が来るの!」


 子どもたちが一斉に叫び、大騒ぎになった。


「は? 鬼仮面って何の話だよ」


 悠斗が困惑した声を上げる。


「鬼仮面が子どもたちを食べに来るって……どうしよう!」


 教室中を子どもたちが駆け回り始め、場はますます混乱を極めた。

 彩乃は慌てながらもどこか楽しげな様子だ。


「鬼仮面が来たみたいだから、ちょっと覗いてくるね」


 そう言って立ち上がろうとすると、子どもたちが必死にしがみついてきた。


「彩乃お姉ちゃん行かないで」

「絶対ダメ!」


 図書館の状況を察した悠斗の声が電話から響く。


「彩乃、お前何やってんだ!」


 悠斗の呆れた声が電話越しに聞こえた。


「子どもたちの泣き声が聞こえてくるぞ」


 彩乃は涼しい顔で答えた。


「ちゃんと話を盛り上げてるのよ。それにしても、鬼仮面が来るなんて想定外だったわ」

「俺の話は完全無視かよ……」


 その後、彩乃は急ごしらえのストーリーで鬼仮面が去ったことにする。


「よかった、鬼仮面はこっちには来ないみたい。悠斗君がやっつけてくれたんだって!」

「ほんと?」

「悠斗お兄ちゃんすごい!」


 子どもたちは歓声を上げ、ようやく落ち着きを取り戻した。

 電話越しの悠斗は呆れ声で言った。


「なんで俺が鬼仮面と戦わなきゃならないの?」

「今度は悠斗お兄ちゃんも連れてきて!」


 子どもたちが笑顔で言うのを見て、彩乃は苦笑しながら応じる。


「それはまた次の機会にね。でも、みんなもう大丈夫だから安心して!」


 ともかくも図書館の読み聞かせイベントが盛り上がったのは間違いなかった。


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