第12話「青い月の夜、私は彼を裏切った」

***


思い出す。

それはかつて私が姫として生きた日々のこと。


私は父の命令で”神への供物”となることが決まった。


生贄となった日、私は彼との約束を裏切った。


石畳の階段を昇り、儀式の終幕地。


ロウソクで照らされた洞穴を見下ろし、暗闇に向かっておそるおそる手を伸ばす。


何も掴むことなく、手を握りしめて引っ込めた。


(私は姫よ。やっと父上に認めてもらえた。姫としての責務を全うするのよ)


自分に言い聞かせよう何度も何度も心の中で反芻する。

震える身体は腕を擦って誤魔化そうとした。


肌寒さに空を見上げれば、落ちてきそうなほどに大きな青い満月だ。


卯月の末日、幻想的な青い月は本音と建前をごちゃ混ぜにして惑わしてくる。


私は山のふもとから見える儀式の灯りに首を横に振って、ゆっくりと暗闇に足を踏み出した。


(緋月に会いたい。でも私は国のためにこの身を捧ぐ。顔を見れば気持ちが揺らいでしまう)


だから私は”裏切るように”彼の前からいなくなる。

戦の偵察から無事に戻り、また会おうと約束をした。


(それも裏切っちゃうね)


私は愚かで人の心がわからぬ姫だった。

いなくなることで彼がどれだけ傷つくか。


私は彼との別れを悲しんだが、彼がどのような感情をもつかなんて……想像もしなかった。


父の役に立てること、国の姫として民に安寧をもたらせること。

なんのために姫として生まれてきたか、ずっと考えてきた。


姫の責務とは、帝である父のために”駒”として動くこと。


それは結婚だろうが、子を成すことだけでなく、神への供物も同じことだ。


たまたま私はそうなっただけ。

青い月を目に焼きつけて、私は目を閉じ身体を暗闇に落とした。


「ごめんなさい。緋月……。あなたのことを――……」




死んだはずだった。


暗闇のなか、時間感覚がなくなり”私という意識”が溶けていく。


時間経過もわからない、私の身体はどうなったのか。



『時羽。何度も時を戻し、越えていく娘よ』


(誰?)


『私は”ツクヨミ”。そうだな……。わかりやすく言えば夜の神だろうか』


頭の中に直接響く声。

女性の声だと思われるが、暗闇の中では相手の顔が見えない。


『神への供物なんぞ、何の意味もないことを』


ツクヨミはクスクスと笑いながら、神へ供物を差し出してもまったく意味がないことを告げる。


(そんな……。それだと私は一体……!)


何のために生贄となったの?


父のため、民のため。

姫として役目を全うした結果、何の意味もないと知れば残るのは虚しさ。


彼を裏切ってまで私は何がしたかったと打ちひしがれた。


涙に暮れる私にツクヨミはしばらく沈黙し、そして一言「裏切り」を見ろと言った。


真っ暗闇の中に突如赤い炎が現れ、だんだんと近づいてくる。


身体の周りが焼けるように熱くなり、いつのまにか炎が青くなっていることに気づいた。


『お前のいとしい男。緋月といったか? あやつはお前が生贄となったことを知り、鬼となった』


その言葉に私は胸が苦しくなり、居ても立っていられずに叫ぶ。


「(どうして!? 緋月が鬼になんて!)」


『お前が裏切ったからだ』


ドクン、と強烈な心臓の圧迫とともに身体が引き裂かれた気がした。


『鬼は国を滅ぼした』


いやだ。

そんなことは聞きたくない。


だが耳を塞ぎたくても私の身体は動かせなかった。


『お前を失ってあやつは絶望した。その絶望は激しい怒りとなり、鬼がその身体を奪った。いや、鬼に身体を明け渡したと言う方が正しいか』


それがこの身を焼き尽くすような炎だと知る。

暗闇で炎が燃え広がり、赤から青となりすべてを焼き尽くす。


鬼の意志か、彼の意志か。

本人しか知ることのない絶望。


それを引き出したのは”私が彼との約束をやぶり、自分の命をないがしろにしたから”だ。


(緋月っ……! ごめんなさい緋月っ! ごめんなさ……)


私の声はどこにあるのか。

ツクヨミには聞こえているのに、私の声は暗闇に溶けていく。


これは夜の神であり、暗闇を身にまとう存在だ。


自分で命を投げ出したくせに、私は暗闇の中でツクヨミに泣きすがる。


「(緋月を助けて……! どうしたら助けられるの!?)」


『助ける? 裏切って絶望させたのはお前なのに?』



痛感する。

青い月の夜、私は彼を裏切った。


私は自分のことばかりで、彼の痛みを考えなかったんだ。

その結果、彼が鬼となったのだとしたら”私の罪”だ。


償い?


彼に申し訳ないと謝ったところですでに手遅れだ。


「(……いやよ)」


きっと今、私は涙を落として波紋させた。

暗闇の中、顔を上げれば小さな青い星が見えた。

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