第2話「紳士的で、甘い人」

たぶん、彼は相当緊張しているのだろう。


抱きしめる腕は強張っており、少しだけと言いながら力加減が狂っていた。


(不安が溶けていく。怖くないなんて、不思議)


おそらく彼とは心許した関係だったと思われる。


そうでなくては見知らぬ人に抱きしめられて、悲鳴一つも出てこないのはおかしい。


何もわからない私の、何かを知っている人。


言わないのは、何も言いたくない意志の表れ。


いや、言いたくないのか言えないのか。

それを聞くことさえ戸惑われるほど、彼の抱擁には切実な想いがあった。


「下ります。……ここは少し怖いです」


月明かりとよくわからない照明では心もとない。


彼の顔も鮮明に見えず、ちゃんと日の下で見てみたいと彼の着物の袖を掴んだ。



***



私は裸足だったので、彼が背におぶさるようにとしゃがみ込む。


さすがにそれは戸惑われたので断ろうとしたが、彼は譲る気がないようだ。


裸足では歩くのも難しいだろうと、彼はやや強引に私を背負った。


更に上着まで貸してくれて、彼の温もりも合わさったことで寒さは感じなかった。


それから照明を頼りに山を下りていく。


”姫”と呼ぶのは私がとある国の姫君だったから。

口調が敬語なのはその国の召使いだった名残りと語った。


「私は今も姫なんですか?」

「……いいえ。国はもうありません。ですが、俺にとって時羽姫は姫です」


名前を呼ばれると胸がこそばゆくなる。

私は彼に名前を呼ばれることが好きだったようだ。


ますます彼との関係が気になったが、今は彼が話す気がないこともわかっていたので、一旦は引っ込めることにした。


(姫ということは教えてくれた。具体的に聞けば答えてくれるかも)


ただ今の私は空っぽすぎるので、彼の言葉を拾って埋めていくしかなかった。


「その明かりはなんて言うのですか? はじめて見た気がして」

「これはランプといいます」

「ランプ……。キレイね」


だが明かりを受け、輪郭の浮き出た彼の方がキレイに見えた。


後ろから見える彼の横顔は鼻が高く、まつ毛も長い。

彼の容姿を把握して、自分がどんな見た目なのかが気になりだした。


(髪……白い? 光ってるの?)


キラキラとした光の粒があり、白い髪はまるで雪のようだ。


しかしその髪色は馴染みがない気がして、へそ当たりまで伸びる髪を一束掴んだ。


「あの……私の髪、前からこんなのでしたか?」

「ん?」

「白く見えるような……」


こんな風に光る髪はおかしいのでは、と悶々としていると。


「キレイですよ。あの青い月に似てますね」

「月……」

「もったいないですが、里では隠しましょう。目立ってしまいますから」


やはりこの髪色は変なのだと気持ちが沈む。


落ちてきそうだと思った月はいつの間にか遠ざかり、空は少しずつ色を薄くしていた。


「俺以外には見せないでくれると助かります」

「どうして?」

「妬けてしまいますから」


彼は気づいていないだろう。

遠回しに髪を見せるなと言っているようだが、さらっと褒めていることに。


迷いのない発言に頬が熱くなり、口角が上がるのを抑えられなかった。


私が誰であろうと、この距離感は嫌じゃない。


むしろ人目を気にせず、遠慮をしないで彼と向き合えることがうれしいと知った。



***



山のふもとに下りた頃、空は群青色が溶けだして白い静けさが際立っていた。


彼は私をおろすと、振り返って私を見下ろし目を見開いた。


あまりに凝視されるものだから、気恥ずかしくなっていると彼の手が私の髪をすくう。


「髪、戻りましたね」

「あ……」


先ほどまで白銀に光っていた髪が、色あせたように濃い藍色になっている。


髪色が変わるなんて、と錯覚を疑い目元を擦ってみるが変わらない。


新たな疑問が湧いて出て、ついムッとして腕をピンと張った。


「知ってたんですか?」

「いえ、今知りました」


意味がわからないと思いつつ、知らなかったのなら追及しようがない。


この髪色になってから彼の目に優しさが増して、ボーッと見つめてしまう。


(やっぱりキレイなんだなぁ。目尻がスッとしてて。それにずいぶんと背が高い)


彼が高いのか、私が小さいだけなのか。

顔を上に傾けなければ彼の顔がちゃんと見えないので、つい背伸びをしてしまった。

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