聖女召喚に巻き込まれた郵便配達員

ひよっと丸

第1話

「拐ってやろうか?」




 目の前に現れたローブ姿の男に突然言われた。


 男だと思ったのは声。低くて耳に心地の良い声だった。




「え?」




 突然言われたことが理解できなくて、佑真はローブの男を見つめた。瞬きを繰り返しても、やはり目の前にローブの男がいる。


 見間違えとか、幻覚ではないらしい。




「閉じ込められているのだろう?」


 妙に心地いい声で言われると、差し出された手を思わず取りそうになる。




「えっ、と…」


 そう言われてしまえば、確かにそうだ。




 好きでここにいる訳では無い。居たくているのではなく、自分で選んだ訳でもなくて、ここにいさせられている。


 見上げて目が合ったのは、自分と同じ黒い瞳。それだけで泣きそうなくらい、その手を取りたくなる。


 目の前の手がやけに大きく見える。




「ほら、おいで」


 黒い瞳を見つめたまま、思わず一歩踏み出そうとした時だった。




「なりませんっ」




 背後から鋭い声がして、佑真は体が震えた。


 反射的に後ろを振り返ると、若い神官が鋭い目付きでこちらを見ていた。




「…あ」


 その姿を見て、急に現実を思い出した。




 そうだ、ここは神殿だった。来たくて来たわけじゃないけれど、自分にはここしか居場所がないらしい。言われるままに連れてこられたのだった。




「こちらにっ」


 グイッと神官に腕を取られて、よろけるようにそちらに体が傾いだ。




「あ、わっ」


 佑真がそのまま神官の胸にもたれるようになっても、神官は気にもしないようだった。それよりも、窓の外のローブの男に睨みをきかせる。




「させません」


 神官がそう言うと、ローブの男は舌打ちをして姿を消した。それはまるで、魔法のようだったのだけれど、佑真には見えなかった。体勢を整えて窓の方へ視線を向けた時には、既にローブの男の姿はなかった。




「穢れに触れましたか?」


「え?な、に…」


 神官の語気が強すぎて、佑真は意味が分からず狼狽えるしかなかった。




(なんか、怒ってるよな)




 口にはしないけれど、神官から怒りの感情が伝わってくる。佑真が何かをした訳では無いのに、その感情は佑真に向けられている。




「こちらに」


 グイグイと腕を引かれ、足早に連れていかれる。こんな扱いは慣れてはいるけれど、この世界にはまだ慣れない。




 聖女召喚で巻き込まれたおまけの佑真は、扱いに困った挙句に神殿に放り込まれたのだ。


 神官は加減を知らないのか、とにかく力任せに佑真の腕を掴んで引っ張るように歩き続ける。




 神殿は全て石造りで、神官の足音自体がまるで怒っているかのように響きわたる。その音も佑真を怖がらせる要因だ。


 別に佑真は何も悪いことはしていないのに、神殿の神官たちはいつも佑真に怒っているかのように接してくる。




 聖女の召喚の儀式を行ったのは神殿で、神官たちが取り仕切った。だからかもしれない、聖女と一緒に佑真が魔法陣に現れたのだから。2人もの黒髪が現れて、失敗だと騒いだのだ。


 けれど、一人はどう見ても黒髪の少女だったから、聖女召喚の儀式は成功したと喜ばれた。


 佑真はグイグイと引っ張られて、湯殿につれてこられてしまった。今は湯浴みの時間ではないのに、湯気が辺りに立ち込めている。




「大神官様は?」


「既に終えられております」


 短いやり取りで、既にここが使用済みだと理解した。




 まぁ、大浴場なので大勢が使う場所ではある。祈りの前に大神官様が使い、その後修行中の神官たちが使うのだ。


 つまり、その合間にお邪魔したという訳だ。




「穢れに触れました。念入りにお願いします」




 佑真を引っ張ってきた神官は、投げ出すように佑真を侍従に渡した。バランスを崩した佑真は、濡れた床で更に滑って、そのまま目の前の侍従に抱き抱えられる。


 佑真が侍従に渡ったのを確認すると、神官はさっさと湯殿を後にした。




 残された佑真は、侍従たちに服を脱がされ、それはそれは念入りに洗われた。穢れに触れたと言われたけれど、その実佑真は何にも触れてはいない。もちろん、目の前に現れたローブの男にだって触れてなんかいない。




 触れてないのに、穢れに触れたとは?




 なんの事だか分からなくて、抗議をしようにも頭から湯をかけられてしまうので、目も口も開けることは出来なかった。


 ザバザハと、湯をかけられて、身体中を念入りに洗われるのは、はっきりいって恥ずかしいことこの上ない。




 日本人特有の幼さがあるとはいえ、佑真は充分大人だ。日本では郵便配達の仕事をしていて、帰りがけにポストの郵便物を回収していたら、制服を着た少女が慌ててやってきたから、彼女の、郵便物を回収袋に入れて、お礼なんぞ言われたからこちらも丁寧に、頭を下げて……なんて、していたら、足元に現れた魔法陣の光に包まれてしまったのだ。


 だから、こちらに来た時、佑真は、白いヘルメットを被っていた。そのせいで余計に不審者扱いをされたのは致し方がない。




 が、いまはどうだ?




 触れてもいない穢れに触れたと言われ、恥ずかしい場所まで洗われて、体毛も剃られてしまった。


 そこまでやるのは神官だけのはずなのに、佑真までされてしまった。まぁ、侍従たちはいつもの通りにやっているだけなのだろうけど。




 めちゃくちゃ洗われて、着させられたのは神官見習いと同じ簡素な白い服だった。この場にこれしかないのだろう。




 侍従に髪を乾かしてもらい、湯上りの水分補給としてグラスに水を貰った。


 人に体を洗われるのなんて大人になってからは初めての経験だったから、佑真はとてつもなく疲れていて、出された水を一気に飲み干した。


 飲み干してから、なんだか、少し甘い気がした。召喚されたばかりの時、王宮で出された水は柑橘系の果物が浮いていた。後味がサッパリして良かったけれど、神殿は、甘いのかと納得した。




 とりあえず、汗も引いたから部屋に帰ろうかと椅子から立ち上がってみたが、何故か扉に鍵がかかっていた。控えの間のような簡素な作りだ。


 椅子とテーブルが、一対。仮眠用にしか見えない寝台が一つ。窓がないため灯りがともされている。


 もしかして、侍従が佑真を、入れたことを忘れてしまったのでは?と思い、もう一度ドアノブに手をかけようとしたら、外から開けられてしまった。




「っ!」




 驚いて後ろに数歩下がると、扉を開けたのはいわゆる大神官だった。どうやら何かの手違いで、大神官の控えの間に佑真は、通されてしまったらしい。




「あ、ごめんなさい」


 佑真は慌てて部屋を出ようとしたら、大神官に、手を掴まれた。


「いやいや、気になさることは無い」


 そう言って、佑真の手を引いて寝台に座らせた。




「水は……ああ、飲んだのか」


 大神官はテーブルの上にあるからのコップを見て言った。




 やっぱり、あの水は大神官のだったのか。と佑真は内心焦った。だから甘味があったのかと納得した。




「穢れにあったそうだな」


 そう言いながら、大神官が佑真の手の甲を撫でる。




 まだ、それを言うのか。と、内心うんざりしていると大神官の手が佑真の頬に触れてきた。




「え?なに?」




 さすがに顔を触られるのはないと思って、反射的に避けると、今度は肩を掴んで抱き寄せられた。




 それは、もっと無い。




 耳にかかる大神官の息が熱くて気持ちが悪かった。


「離せ」


 力任せに押し返そうとしたけれど、なんだかおかしい。




「私が、胎内から穢れを払ってやろう」


 熱い息とともに吐き出された言葉の意味が、佑真には理解できなかった。




(いま、なんつった?)




 佑真は落ち着いて大神官の言葉を頭の中で反復する。




(ナカから、なんだって?)




 ちょっと意味が分からなさすぎて、佑真は大神官を見た。別に見つめた訳では無い。


「そんなに潤んだ瞳で見つめてくるとはな」


 ものすごく近い位置に大神官の顔があった。


 それなりに整ってはいるものの、おっさんには違いない。




「聖女様と同じ黒髪が美しいな」


 そう言って髪を撫でられるけれど、まったく心地よくなどない。ここに来てから一度も切らせてもらえないから、だいぶ伸びてはいる。




 それにしたって、気味が悪い。


「聖女様と同じ黒い瞳はなんと神秘的なことか」




 近い、近すぎる。




 佑真の瞳を覗き込むように、大神官の顔が近づいてくる。どうかんがえたって、おっさんの顔が近くに来て、佑真としては鬱陶しいことこの上なかった。




 それに、佑真だってそこそこ、おっさんだ。




 聖女と呼ばれる少女は制服を着ていた。近くの高校の制服だった。学年は分からないけれど、あの子から10は佑真の方が年上だ。


 この世界の成人年齢から考えても、佑真は正しくおっさんになる。




「キメの細かい綺麗な肌をしている」


 上衣の下から大神官の手が入り込み、佑真の脇腹を撫で上げてきた。




「うっわ」


 気持ち悪っ、と叫ばなかった事を褒めてもらいたい。その位は我慢してみた。




 行き場がなくてここに世話になっている以上、大神官の機嫌を損ねたら、ここを、追い出されるかもしれない。追い出されてもいいけれど、着の身着のままとかは避けたい。


 だから、佑真は一応我慢してみた。




「ゆっくりと、私が穢れを払ってやるから安心するのだ」


 熱い息が耳にかかって、大神官の口のねっとりとした嫌な水音が聞こえた。多分、舌なめずりでもしたのだろう。気色の悪いことこの上なかった。




 首筋に大神官の唇が触れて、次いで生暖かくて柔らかいものが触れてきた時、さすがに佑真も理解した。




(これはヤバい)




 貞操の危機を感じて、今度こそ大神官を押し返したつもりだったのに、佑真の背中は寝台に乗っかった。


 次いで、大神官が佑真の上にいる。


 倒れ込んだ弾みで、大神官の歯でも当たったのか首筋に鈍い痛みが走った。


 太腿に固いものが当たっているのも寒気がする。




 何より、佑真自身もおかしい。


 下半身が何だか熱い。




 こちらの世界に来てから、そういうことを確かにしてはいないけれど、だからといって、こんなおっさんに押し倒されて反応するとは思いたくは無い。


「薬が効いてきた頃合か」


 大神官の手があろうことか、佑真の意志とは無関係に反応している、下半身に触れてきた。上から包み込むように握られて、さすがに焦る。




「うっ、うぅ」




 恥ずかしいぐらいに反応を示してしまう。それはもはや佑真の意志を完全に無視している。


 もちろん、大神官の手に触れられるのも佑真の同意はない。




「ふざけんなっ」




 両肘に体重をかけて、足で思いっきり大神官を、蹴飛ばした。何とか力が入って上に乗る大神官を退かすことが出来た。


 後ろに尻もちを着くように大神官がよろめくと、佑真は慌てて寝台から転げ落ちた。




(冗談じゃない)




 服の上からでも分かるぐらいになってはいるが、そんなことは構っていられない。


 扉を引くとすんなり開いたので、佑真はそのまま部屋を飛び出した。




 表に逃げても意味が無い。




 神殿には、たくさんの神官がいて、お祈りにも人が大勢訪れている。そんなところにこんな下半身で行けるわけがない。


 佑真は居住空間の方へと走った。


 昼間なので、ほとんどの神官はお勤めのため神殿にいるはずだ。人気のない廊下を佑真は走った。


 よく考えたら裸足ではあったけど、石造りの為多少痛いけれど怪我をすることは無い。




 誰にも見つかることなく、佑真は自室に逃げ込んだ。


 素早く鍵をかけると、風呂場に直行した。


 お湯はさすがにないけれど、水は出る。


 佑真は服を脱ぎ捨てて、水を頭から被った。


 その冷たさで、体の熱が逃げていく気がした。


 大神官の舌が這った首筋が気持ち悪くて、石鹸を直接塗り込んで洗った。


 下半身も、布越しとはいえ、同性にそういう意味を込めて触られたのは初めてだった。


 とにかく気持ちが悪くて、佑真は体を洗った。水なので泡立ちは悪かったが、それでも自分で、納得ができるまで洗った。




 そうやって洗い終わった時、佑真の身体の中の熱は引いていた。変な風に興奮して、逆に治まったらしい。




 水に濡れたまま、佑真はしばらく自分の下半身を眺めていたが、再び熱が湧いてくる気配がなかったので、ようやく風呂場を後にした。




 水を浴びた体は冷えてしまったので、佑真は慌てて服を着た。


 何か温かいものを飲みたくて、佑真は勝手に竈に火をつけた。




 佑真は事実上軟禁状態だ。




 神殿の中しか自由に動けない。神殿の中には監視役の神官が沢山いる。黒髪の佑真は目立つので、ちょっと廊下を歩いただけでものすごく注目を浴びる。




 あてがわれた部屋は、居住区の一番奥にあり、本来は大神官辺りが使用する部屋のようだった。


 そのせいか、ちょっとした竈と湯の沸かせる風呂場がついていた。


 おかげで一人で湯を沸かしてお茶を飲んだりと、それなりに軟禁生活を送ることができる。


 歩き回るのは神官たちがお勤めに出たあと。そうすれば居住区はほぼ佑真一人の空間になる。


 だから、今日も一人でゆっくりと歩いていたのに。




 お茶を入れて、ようやく一息ついていると、扉が激しく叩かれた。


 佑真は心底驚いて、お茶を飲み込んで、カップをそっとテーブルに置いた。




「開けなさい。中にいるのでしょう?」


 この声は、一応佑真の世話係の神官だ。




「な、なに?フィーロ」


 扉に触れず、佑真は返事をした。


 出来れば開けたくはない。




「開けなさい」


 やっぱり、フィーロは開けろと言ってきた。




 どう考えたって、開けるのは宜しくない。きっと、あの大神官の事だ。蹴飛ばして逃げてきた事を咎めるのだろう。いや、最悪大神官も、ここに来ているかもしれない。




「ヤダよ」


「開けなさい。私しかいません」


 扉の向こうから、フィーロがなかなかの声量で言ってきた。




 信じてもいいのだろうか?




「神に誓って?」


 佑真はフィーロに尋ねる時、必ずこの言葉を言うようにしている。これ以上騙される訳にはいかないのだ。




「ええ、神に誓って」


 フィーロがそう言ったので、佑真は扉を開けた。




 本当にフィーロが、一人しかいなかった。


 フィーロが部屋に入ると、直ぐに佑真は扉に鍵をかけた。




「なにごとですか?」


 フィーロは佑真の行動に疑念を持ったのか、聞いてくる。これは、何も知らないパターンなのだろうか?




「何も、聞いてない?」


「ええ、神に誓って」


 最近では、フィーロは佑真が、言わなくとも言ってくるようになった。聖女では無いけれど、異世界からやってきた佑真に何かを感じているのかもしれない。時折佑真を見る目が優しいのだ。




「大神官に押し倒された」


 佑真が早口で簡潔に言うと、フィーロは驚いたのか目を大きく見開いて、息を飲み込んだ。




「なん、て?」


 フィーロの、喉が上下するのが見えた。余程驚いたらしい。




「俺が穢れに触れた。とかいって風呂場で洗って、変な甘い水飲まされて、大神官に押し倒された」


 今度はもう少し踏み込んで簡潔に言った。




「甘い水?」


 フィーロが聞き返す。




「風呂場で毛を剃られてさ、部屋に通されて髪を乾かしてくれたら、甘い水を出された」


 それを聞いてフィーロが、舌打ちをした。なにか知っているらしい。




「そもそも、なんだって風呂場に連れていかれたのですか?」


 フィーロが静かに問うから、佑真も落ち着いて答えられる。




「廊下を歩いていたら、窓からローブの男に声をかけられたんだ。そいつは俺と同じ黒い目をしていて、ここから出してやるみたいな事を言ってきた」




 それを聞いたフィーロのが真剣な目で佑真を見てきた。


「黒い目をした、ローブの男?」




「う、うん。そいつと話をしていたら、神官がものすごい勢いで走ってきて、俺が穢れに触れたって言い出して風呂場に引っ張られたんだ」


「その、彼に触れたのですか?」


 佑真は首を左右に振った。触れてない。触れそうにはなったけど。




「教えてあげますよ、彼の正体」


 フィーロは佑真に少し近づいた。扉に鍵をかけたのに、内緒話のようだ。




「神に誓って?」


「ええ、神に誓って。彼は300年ほど前に召喚された聖女の血縁者です」


 信じられないことを聞いて、佑真は真っ直ぐにフィーロを見た。




「この世界に黒目黒髪は産まれないはずなのに、彼はそれを持って産まれました」


 先祖返りと言えばそうなのだけれど、それで片付けられる問題ではなかった。


「彼が彼女であったなら、聖女として神殿に保護され、国中で崇めたことでしょう」


 フィーロがそう言って、唇を固く結んだ。




「なに?なんか、あった?」


 佑真は心がザワつくのを、何とかおさめたかった。




「召喚された聖女は、とてつもなく魔力を持っていて、ありとあらゆる力をふるうことができるとされています。けれど、この世界で子孫を残してもその力は何も継承されない。そうで、あったはずなのです」




 そうであったからこそ、定期的に聖女召喚の儀式を行っていたのだ。


「けれど、彼は黒を持って産まれ、歴代の聖女たちの悲しみを知ってしまった」




 なるほど、一方通行の召喚で、何もかもを失って、茫然自失になっているところをほとんど洗脳みたいにして、言う事聞かせてきたわけだ。そりゃあ、歴代の聖女は恨み辛みを募らせていただろう。




 一人ぼっちの寂しさを埋める為に、優しく接してきたこちらの神官や、王族と結婚させられてきたのだろう。そうして家庭を持って幸せな気持ちにさせて、望郷の思いを忘れされてきた。




 それが積もり積もって産まれたのが彼か?




「聖女召喚って、分かりやすくいえば世界を渡った誘拐だし。聖女はほとんど未成年だから、大人に良いように洗脳されてきたんだろ?俺の元いた世界でも国際問題になるような国家の誘拐事件はあったよ。そんな人たちは、たいてい洗脳されちゃって、親の顔さえ忘れてるんだ」




 俺は大人だから、冷静に見られるけど、こちらでは成人と言われても、元の世界では未成年。まだまだ子どもだ。一瞬で未来を奪われた絶望はいかほどだろうか?




 弱っているところを優しく絆て、都合のいいように利用する。要約すれば悪党だ。




「言い訳のしようもないですね」


「俺の事持て余したのだって、俺が大人だからだろ?懐柔出来なさそうだから、こうやって軟禁生活送らせてんだろ?」


 佑真はいい加減分かっていた。




 こうやって囲いこんで、精神を弱らせたところで佑真のことも洗脳するつもりなのだろう。


 大神官に襲われたのも、その一環かもしれない。




「はい、その通りです。人の口に戸は立てられない。見学に来ていた貴族たちから、召喚の際にユーマがいた事は既に知られているのです」


「無下に出来ないし、殺せないし、洗脳出来ないし、で、軟禁してみた?」


「聖女でないのなら、と言ってあなたを欲しがる貴族がいた事は確かです」




 あえて言わないが、要するに珍しいペットを手に入れたい。って嗜好の事だと佑真は察した。


「俺だって、好きで来たわけじゃない。慰謝料案件だろ?」


 佑真が笑いながらそう言うと、フィーロは困った顔をする。




「そこで、彼なのです」


「どゆこと?」


 佑真には意味が分からなかった。




「300年たって先祖返りするのなら、佑真に沢山の子種を撒かせよう。と」




 それって、種馬じゃん。




「俺の意思は?」


「そう言う諸々があるから、私はユーマを逃がしたい」


 フィーロが堰を切ったようにように言ってきた。




「う、え?…はぁ?」


 佑真はバカみたいな声しか出なかった。




「日中、できるだけユーマを一人にして、彼が接触しやすいようにしたのです。もちろん、今回のように大神官や貴族に襲われるリスクもあります。いえ、ありましたね」


 フィーロは本気のようだ。普段と違って随分と早口に喋る。




「だから、今がいい」


「え?えぇ?」


 フィーロは佑真に靴を履かせた。


 それは、こちらの世界にやってきた時に履いていたスニーカーだった。




「神殿の中を駆け抜けて正面に逃げてください」


「え、それじゃあ見つかるじゃん」


「それでいいんです。大勢の人に、ユーマが神殿から逃げ出したと、知らしめなくては」




 フィーロに言われて、佑真は覚悟を決めて扉を開けた。廊下の向こうに神官たちがみえた。


「あっ」


 思わず声を上げると、神官たちが走ってくる。




 これはまずい。




 佑真は扉を開けたまま、廊下を走った。


 佑真のいた部屋では、フィーロがわざとらしく床に倒れていた。


 一人の神官が、倒れているフィーロに、声をかける。




「申し訳ございません。酷く彼は怒っていて、突き飛ばされました」


 フィーロは一応、自身の顔を軽く叩いて頬を赤くしておいた。それが良かったのか、神官はあっさり信じてくれた。




 佑真は履きなれたスニーカーを履いて、神殿の中を走った。追いかけてくる神官たちは、ブーツのようなものを履いているせいか、走りにくそうだ。


 まぁ、普通なら神官が走るなんてことは無いのだから仕方がない。


 佑真は、お勤めをしている神官の目も気にせず、祈りに来ている人々の間を駆け抜けて、とにかく外を目指した。




 佑真の黒髪に気がついて、聖女様と叫ぶ者もいる。


 けれど、佑真はそんなことを気にしている余裕はない。捕まったらこんどこそ監禁だ。


 しかも子種を取られるとか、男に抱かれるとか嬉しくない監禁生活が待っている。




 神殿のエントランスを抜けて、陽の光の眩しさを感じた時、目の前にフードの男がたっていた。


 男は悠然と佑真に近づいてきて、手を差し出した。




「拐ってやろうか?」




 佑真は躊躇わずその手を取った。




「拐ってくれ」




 固く手を結ぶと、力強く引き寄せられた。


 その胸に抱かれても、大神官の時のような嫌悪感はなかった。むしろ安心する。




「こいつは俺の手を取った」


 フードの男はそう言うと、佑真をしかと抱き寄せて魔法陣を描く。




 大勢の人たちが背後にいたけれど、佑真はもう気にしなかった。


 ローブの男は、ゆっくりと頭に被るフードを取った。


 男の髪は聖女と同じ黒の色をしていた。長い髪は魔力をたくさん保有する証でもある。ゆったりと三つ編みにして、左肩から前に垂らしてある。




 佑真は目の前の男をまじまじと見つめた。




 佑真と同じ黒い瞳に黒い髪だが、顔の造形が完全にこちらの世界の人だ。日本人とはかけ離れた造形の顔立ちは、確かにこちらの世界のもので、色だけ佑真と同じ日本人のものを受け継いだと言う感じがした。




 「え?聖女様が、二人?」


 事情をしらない人たちが、口々に聖女を連呼する。確かに、長い髪を前に垂らして、魔力でもって宙に浮いている姿は、聖女と呼びたくなるだろう。




 何しろものすごく美形だ。




 佑真でさえ、男と聞いていても見惚れてしまう。


 「拐っていく、諦めろ」


 そう言い残し、黒髪の二人の姿が魔法陣によって消えた。




 後に残された神官たちは苦々しい顔をしていたが、事情を知らない人たちは、美しい顔をした神秘的な黒髪の男を、聖女と誤解したままだった。




 佑真は異世界で自由を手に入れた。

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