第1章

「やあ阿部さん、また事件だって」

 楽しそうな様子で松原がテーブルまでやってきた。いつも飲み物かお菓子をたずさえてくるが、今回は手ぶらだ。歩くたびに柔らかい髪がゆらゆらと動く。

「あなたは松原さんですね、社内報で知っています」

「小田原さんから話は聞いています。メールを見てほしいということですが、画面見せてもらえません?」

「松原さん、情報漏洩の話ですよ」

 阿部が注意したが、スルーして山崎から届いたメールを確認していった。件名は「新着ファイルのお知らせ 壬生工場山崎たかし」といつもと変わらない。送信元も壬生工場山崎孝で、本文もいつも見慣れているファイル名とURLのリンクが表示されている。おもむろに送信元の名前をクリックし、メールアドレスを表示させるとメモ帳に貼り付けて拡大した。山崎のメールアドレスが正しく表示されている。松原は頷きながら、田宮へ訊ねた。

「このメール、俺に転送してもいいですか」

「はい、どうぞ」

 田宮から許可を得て、自分のアドレスに転送する。表示されている最新のものより過去のファイル送受信関連のメールも複数通、同じように転送した。松原には何かヒントを得ているのかもしれない。

 その後、メール見てから結果をチャットで送るといって三人はそこでお開きになった。


 松原は自分のパソコンに転送されたメールが届くのを確認すると、情報システム向けに様々な検証ツールが入っているパソコンへリモートでログインした。メールを立ち上げ、再度アドレス名をチェックし、次に送られてきたURLを確認していった。

 自分の仕事に一段落をつけ、阿部は頼まれたコーヒーのペットボトルを持ってきて駆けつけた。松原はコーヒーを一口含んだ後に、阿部へ説明した。

「これ、典型的なフィッシング詐欺かもしれない」

「フィッシング詐欺って、金融機関などのメールで注意喚起しているものですよね」

「そう。URLを解析するまでもう少し待ってもらえないかな。どこから発信しているのか調べてみるよ」

「田宮さんにも報告しましょうか」

 松原は一瞬、考えた後、分かった後で大丈夫と対応した。ついでに次呼ぶときはオフィスグリコで何かお菓子買ってきてとお遣いも頼んできた。松原は引き続き、URLの解析に努めた。


「すずちゃん、アキバトイズってうちと取引してるっけ?」

 松原から社用スマホ宛に電話が来たのはそれから二十分ほど経った後だった。意外に早いと思いつつ対応する。

「取引先情報を探してから伺ってもいいですか。あとお菓子は甘いもの、しょっぱいもの、どちらがいいですか?」

「了解。お菓子は多分補充しなきゃないと思うから、適当にあるものでいいよ」

 一方的に電話が切られた。阿部は社内サーバから取引先一覧を見つけ、アキバトイズがあるか調べることにした。


 オフィスグリコでポテトチップスを購入した後、松原のいるデスクへ向かった。松原は有難く受け取った後、話をしだした。

「URLを解析したら、外見丸々コピーした偽サイトだった。アキバトイズがどうやら怪しいみたい。でも、なぜ情報が漏洩したかまでは掴めないかも」

「アキバトイズさんを調べたら、生産の一部を壬生工場が引き受けているみたいです。自社サイトを見たところ、インディゲームのグッズ開発をしている会社のようですが、ご存じでしょうか」

「知ってる。今流行はやりの少数制作のゲーム専門グッズメーカーだね。すずちゃんはゲームしないの?」

「昔は少しやりましたが、今はスイッチでテキストノベルを少しやる程度です」

 新型コロナウイルスが広がる前に、市場調査のためにスイッチライトを購入していた。それが感染拡大によるリモートワークになり、スイッチライトは貴重な暇つぶしの一つになった。ヘルプデスク内で初心者かつ読書好きの阿部に勧められたのがテキストノベルだった。大手作品ばかりでインディーには触れていない。

「それはいいとして。URLとサーバ解析したら、アキバトイズっぽい」

「それが本当ならば、アキバトイズと関わる社員がサイバー攻撃の標的じゃないですか」

「今考えられるのは、壬生工場とやり取りしているところはマズイね。工場とのやり取りから流出しているし、法務や総務など関連部署でもし壬生工場へツールを使っていたら漏れるリスクもある」

 松原はコーヒーとポテトチップスを口にしてから言った。

「この件、小田原さんに注意喚起するように俺から頼み込む。パスワード変更と、メールのリンクではなく正しいURLサイトから直接アクセスするよう案内する。すずちゃんは田宮さんへ報告して!」

 松原は急いで小田原のデスクへかけ走って行った。


 田宮のデスクは普段いる二階から上がった四階にあった。入り口でキョロキョロと田宮を探していたところ、向こうから本人が見つけてやってきた。

「阿部さん、電話してくれればこちらから伺いますのに」

 それは大丈夫と断りを入れた後に、技術生産部で時間のある人はどこかに集まって欲しいと依頼した。田宮は奥に戻り、五人引き連れると、入り口近くの休憩室へ案内した。よく見ると課長もいる。課長も田宮と同じで険しい表情をしていた。

 席につくなり、阿部は全員に目配せした後に、目で微笑みかけた。

「田宮さんが気になっていた件、彼は被害者であって漏洩者ではありません」

「ほ、ホント……」

「ただメールにあったURL、これがフィッシング詐欺へつながる偽サイトだったんです。後に小田原から注意喚起の連絡が来るかと思いますが、今後は正しいURLリンクからアクセスするようにお願いできませんか」

 報告を聞いた一同は、ため息をついたとともに、なぜフィッシング詐欺だとわかったか説明を求められた。その件は松原に尋ねて欲しいと話題を逸らすと共に、なぜ漏洩したかまではわからないと答えた。技術者同士、分野は違えど共通部分があるらしい。

 メンバーに一礼した後に、阿部は再び小田原の元へ向かうために階段で降りていった。

 

 モニタを眺めていた小田原は阿部に気づくと、椅子を持って横に座るよう指示した。山崎とのWeb会議のアポイントを取り、連絡すると先ほどとは打って変わった態度の山崎が出てきた。

「あ、小田原さんお疲れ様です。詳細は分かったのでしょうか?」

「松原君に確認したところ、フィッシング詐欺に引っかかったみたいね。おたくと取引しているアキバトイズのサーバに引っかかったとか」

 阿部は私とやりとりした時は舌打ちしたのに、と心の中で思ってしまった。何食わぬ顔をして補足する。

「田宮さん、おそらくメールのリンクから偽のサイトへ繋げてしまったんだと思います。私もたまにやらかしますし、急いでいる人は癖でメールから行ってしまうんでしょう」

「そういうことでしたか。アキバトイズさんはうちと確かに取引していますが、なぜなんですかね」

「それはうちに聞かれてもわからないわ。松原君も漏洩した理由までは掴めてないらしい。今できる対策は、正しいサイトから直接行くのと、パスワードの変更だけね」

「それじゃ、壬生工場の社員にも通達します」

 そう言ってWeb会議は終わった。阿部はなぜ小田原とはフランクに会話できる理由を訊ねてみた。

「ところで、私が田宮さんと対応した時と全然違うのですが……」

「あれ、知らないの? 田宮さんは壬生工場の情シスの一部も担当してるのよ。松原君言ってなかった?」

「いえ、初耳です」

「今の体制になって一年ちょっとだけど、うちがマネージャーになったのちゃんと知らなかったみたい。前はヘルプデスクにいたから、その時はやりとりしてたのよ」

 そうなんだ。体制が変わったとしても山崎の対応はおかしいのではないか。口にはしないが、そういう事情を初めて知った阿部は状況を呑み込んだ。

 それから三十分後、小田原の名前で全社員にファイル送受信ツールのパスワード変更の一斉メールと掲示板の更新案内が届いた。

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