第36話 ガレットデロワとザッハトルテ

 元日から【パティスリーフカミ】は営業していて、お年賀の焼き菓子やクッキーの詰め合わせがよく売れる。お正月は親戚で集まる人々も多いらしく、ホームパーティーをするのか、カットケーキをまとめ買いするお客さんもたくさん来店する。

 私たち店員はお正月気分を味わえないけれど……拓也くんと年明けから一緒なのは嬉しい。


 閉店したとき、お正月特別商品のガレットデロワが一個残った。ガレットデロワは、アーモンドクリームの入った、紙の王冠が付属の丸いパイのお菓子である。深見店長が買い取ってくれて、切り分けてみんなで食べることにした。私にもケーキの載ったお皿が回ってくる。


「あけましておめでとう! さあ、誰が当たるかな? 食べてみようか」


 深見店長の声に合わせて、みんな一斉にガレットデロワを食べ始めた。私も一口分フォークで分ける。そのとき、ケーキの中に陶器の人形が見えた。


「あ、私のケーキが当たりだ!」


 みんなが私のケーキを見た。そうしてにっこり笑う。


「おめでとう、浅岡さん!」

「おめでとう、さあ王冠をかぶって!」


 私はケーキの付属の王冠をかぶせられ、みんなから笑顔で祝福を受けた。

 ガレットデロワの中にはフェーヴという人形が入っており、それが当たった人は祝福を受け、幸運が一年間続くといわれる。拍手をしながら柿本由良ちゃんは、羨ましそうに私に言った。


「なんか浅岡さんばかり幸せそうですね。私にもいいことないかな~」

「由良ちゃんにも、きっといいことがあるよ」


 少し拗ねた様子が微笑ましくて、私は由良ちゃんの幸福を願った。依子さんも同意する。


「由良ちゃんはいいことあると思うよ~。私が保証するよ」


 依子さんにはゲームの中の二見ヨリコさんのように、不思議な魔力のようなものを感じる。依子さんが保証するならば、由良ちゃんにも幸せが訪れるだろう。



 ◇ ◇ ◇



 お正月が終わると、今度はバレンタインに向けての準備が始まる。二月に入って忙しくなる前に、私は拓也くんに訊いていた。


「バレンタインに何が欲しい?」

「浅岡さんのくれるものならなんでも嬉しいですけれど……我儘を言っても良いですか? 何か手作りのものがいいですね」

「手作りかあ……」


 その希望に私は悩んでしまう。そんなに器用ではないので、私の作れるものは限られてしまうからだ。それでもせっかく希望を言ってくれたのだから、大好きな拓也くんのために努力するべきだろう。

 ゲームの中のタクヤくんはチョコレートケーキが好きだったのを思い出しつつ、「チョコレートケーキの王様」と呼ばれるザッハトルテを作ることにした。


 二月十四日の営業終了後、拓也くんは私のマンションに来てくれた。私は前日に作っていたザッハトルテを彼に差し出す。溶かしたチョコレートでコーティングしているので、表面は光を反射して輝いているように見える。


「多分、失敗していないと思うんだけど……」

「美味しそうですね。いただきます」


 私も恐る恐るザッハトルテを食べてみる。ちょうどいい甘さの濃厚なチョコレート味が口の中いっぱいに広がり、失敗していなかったことに安堵した。


「うまく出来ているじゃないですか。とても美味しいですよ」

「ちゃんと出来ていて安心したよ」


 あんまり自信がなかったので、褒められて胸を撫で下ろす。ザッハトルテの他に準備したプレゼントも渡した。


「いくつあっても困らないものを選んだつもりだけど……気に入るかなあ」

「なんでしょう。開けてみてもいいですか?」


 私が頷くと拓也くんは包装を開けた。プレゼントしたのはブランドものの青いネクタイ。彼はこれから社会人になるのだし、ネクタイなら邪魔にならないだろう。


「素敵なネクタイですね。俺のために選んでくれてありがとうございます。ケーキもわざわざ作ってくれて……。俺、欲張りなんで、もうひとつ欲しいものがあるんですけど、いいですか?」

「え? 何かな?」

「浅岡さんからのキスが欲しいです」


 その言葉に私は苦笑してしまった。拓也くんの横に移動し、そして口づける。軽く口づけただけだったが、それでもチョコレートの味が口の中に残った。同じことを思ったのだろう、拓也くんが笑みを浮かべる。


「ザッハトルテと浅岡さんが両方味わえるなんて最高です」

「……馬鹿」


 彼の側から離れようとしたが、その前に抱きしめられてキスをされた。ザッハトルテ味のキスは甘く、私はその甘さに酔ったような感覚に陥った。拓也くんと随分長く口づけを交わしたあと、彼は悪戯な色を黒い瞳に宿し、私に問う。


「浅岡さんからたくさんのものをいただきました。ホワイトデーは何が欲しいですか? キスは必ず贈りますけれど」

「キスは必ずなんだ……」


 拓也くんがキス魔だとは知らなかった。でも私も彼とするキスは嫌いではない。キスはもらうことにして、それ以外のプレゼントを考える。


「えーと……また、私にヴァイオリンを弾いてくれないかな」

「それだけでいいんですか? 浅岡さんは欲がないですね」


 それでも拓也くんは、ヴァイオリンを弾いてくれることを約束してくれた。彼のヴァイオリンの音色はタクヤくんを思い出すこともあるけれど……そのことも全部含めて、また聴きたい気持ちになる。拓也くんは私と額を合わせた。


「『秘密の恋の甘い味』の曲が聴きたいんですね。ゲームのタクヤには妬いてしまいますが……ゲームの中でも俺を選んでくれたってことですからね。まあ、目を瞑りましょう」

「なんか……ごめんね」

「いいんですよ。ゲームの思い出を抱えている浅岡さんのことが、俺は大好きですから」


 意地悪なところもあるけれど、それよりも優しさが勝っている拓也くんは、私の髪をそっと撫でてくれた。

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