第16話 岩波さんとカクテルを飲みに

 母の日が近づき、私は約束通り岩波英二副店長と飲みに行くことにした。彼が尋ねてくる。


「この辺の飲み屋は、俺は結構行ったんだよな。どこか薫ちゃんのおすすめの飲み屋はある?」

「えーと……」


 私は普段そんなに飲まないので、飲み屋に詳しいわけではない。しかしふと思い出して、家に帰ってから景歌に電話してみることにした。


「もしもし、景歌? ちょっと訊きたいことがあるんだけどいいかな?」

『いいわよ。何かしら?』

「あのね……」


 岩波さんと飲みに行く約束を話す。景歌はバーに勤めているので、飲み屋についてはよく知っているだろう。


『なんだ、それなら【ムーンライト】にくればいいじゃない。カクテルをご馳走するわよ』

「景歌の働いているショットバー?」

『そうよ。峰岸航希がお休みの日なら薫も来やすいんじゃないかしら。日程を伝えるから、是非来てちょうだい』


 次の日、岩波さんに話したら、興味津々な様子だった。


「俺、ビールばっかり飲んでいるから、カクテルもたまには飲みたいな。じゃあ、俺と薫ちゃんの都合がいい日に、そのショットバーに行こうか」


 景歌から聞いた日程をもとに、岩波さんとショットバー【ムーンライト】に行くことにした。



 ◇ ◇ ◇



 ショットバー【ムーンライト】は【パティスリーフカミ】から四駅行ったところにあった。駅に近いので、道に迷うことなくたどり着いた。


「いらっしゃいませ」


 笑顔で景歌が迎えてくれる。こぢんまりとしたお店で、照明がオレンジがかっていて「バー」という雰囲気を醸し出していた。カウンター席とテーブル席があり、景歌が勧めてくれたので、カウンター席に岩波さんと並んで座った。


「バーって初めて来たけど、素敵な感じだね」


 景歌はにっこり微笑む。きっちり結い上げた髪に、黒のベストと蝶ネクタイが似合っていた。


「あ、岩波さん紹介します。彼女、私の大学時代からの友達で、新条景歌っていいます。このお店でバーテンダーをやっています」


 岩波さんは【ムーンライト】を眺めまわしていたが、私が景歌を紹介したことで自己紹介をした。


「ああ、こんばんは。俺は【パティスリーフカミ】の副店長で岩波英二っていいます。ええと……新条さん? でしたっけ。よろしく」

「そんなに改まらなくても大丈夫ですよ。薫から聞いていますけど、同い年らしいですし」


 くすくすと笑いながら、景歌はオーダーを訊く。


「ご注文は何にしましょうか?」

「ええと……まずはマティーニで」

「私は任せるよ、景歌。美味しいカクテルお願いね」


 景歌は頷いて、数種類の具材を取り出した。ミキシンググラスに氷と水を入れて冷やす。水を捨てたらジガーカップで分量を量り、ミキシンググラスに注ぎ、バースプーンで混ぜて、氷で冷やしていたカクテルグラスに入れてレモンピールで香りづけして終了。ミキシンググラス(混ぜるためのグラス)や、ジガーカップ(分量を量る器具)などの名称は作っている最中の景歌から聞いた。


「お待たせしました、岩波様。マティーニでございます」


 カクテルグラスを差し出す景歌の手に、一瞬岩波さんが目を奪われているように感じた。景歌は気づいていないのか、私の分のカクテルを作り始める。


 ドライ・ジンとウオッカ、クレーム・ド・カカオ・ブラウンをシェーカーに入れてシェイクする。シェーカーを振る滑らかな腕の動きは一定のリズムで、そのどれもが決まっていて、女の私でも見とれてしまった。


「薫、お待たせ。ルシアンよ」

「あ、ありがとう」


 景歌の仕事ぶりを見るのは初めてで、鮮やかな手並みに感心してしまった。ルシアンを口に含むと甘くて、口当たりのいいカクテルで、何杯でも飲みたくなってしまう。そんな気持ちを察したのか、景歌は「もう作らない」と言った。


「ルシアンは飲み口の優しさに騙されて、何杯も飲んでしまうとダウンしてしまうわ。女性にとって要注意のカクテルよ」

「そうなの……」


 もう少しルシアンを飲みたかったな、と思いつつ、アルコール度数の低いカクテルを作ってもらった。岩波さんはマティーニを飲んで、しきりに「美味しい」と連呼していた。


「こんなに美味いマティーニは初めて飲んだな」

「ありがとうございます」


 そうして景歌は二杯目のカクテルを作り、岩波さんに差し出す。「レッドアイ」というカクテルだった。


「レッドアイはビールベースだな。なんで俺がビール好きだとわかったんだ?」

「岩波様を見ていたら、こういうのがお好みかな、と思いまして」

「岩波さんもカクテルのことよく知っていますね。今度教えていただきたいです」


 景歌はさすが、プロのバーテンダーである。景歌の観察眼に恐れ入った。カクテルに詳しい岩波さんも同様らしく、景歌を褒めている。


「すごいな、新条さんは。俺、またこのお店にくるよ」

「それはありがとうございます。またのご来店をお待ちしていますね」


 岩波さんと景歌、私の三人で楽しく話して夜が更けていった。

 普段、岩波さんは頼れるお兄さんという印象が強いが、プライベートで話すと同い年として気が合うことがわかり、親近感を抱いた。

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