第14話 景歌とカフェにて
今日は土曜日で柿本由良ちゃんと早番の仕事をしていた。彼女は相変わらず私に対して愛想は悪いが、仕事については熱心なので、あえて何も言わずにいた。
お昼の十二時になって木枠の扉が開き、お客さんが来店した。銀色の長髪が特徴のお客さん──萩原透さんである。彼は由良ちゃんに近づき、にっこり笑いながら封筒を手渡した。
「これ、予約していたんだけど」
由良ちゃんは封筒の中の伝票を確かめて、それからストッカーを見た。後ろの冷蔵ストッカーには、予約伝票の写しがついた予約商品が入っているのである。
「お待ちしていました、萩原様。こちらの抹茶シフォンケーキでよろしいでしょうか?」
「ああ、それそれ」
「ありがとうございます。お包みいたしますので、少々お待ちくださいませ」
彼女は手早く箱を閉じ、袋に入れた。袋の上部両端を持って、萩原さんに商品をお渡しする。
「お待たせいたしました。ありがとうございました」
萩原さんが袋を持ってお店から出ていく。由良ちゃんの接客態度はいいのだが、もう少し私にも態度を改めてほしいなあなんて考えていると、いきなり彼女が顔を輝かせて私に向き合った。
「あの萩原透様っていうお客様、格好良くないですか!?」
「……へ?」
突然何を由良ちゃんは言い出すのだろう。困惑している私に構わず、彼女は話し続けた。
「ああいう感じのイケメンさん、めっちゃ好みなんですよー。こう、なんていうか目元が優しい感じっていうか」
興奮して話す由良ちゃんを、私は冷めた目で見てしまった。
この間は、杉浦拓也くんとのことを妬いていませんでしたか? イケメンさんだったら誰でもいいのですか? 私は適当に相槌を打ち、十三時まで一緒に仕事をした。
◇ ◇ ◇
先日来たカフェで親友の新条景歌と待ち合わせをしていた。今日も風が心地いいオープンテラスで彼女を待つ。
同じカフェに立て続けに来るのは、景歌にしては珍しかった。このカフェ──【ヤルヴィエン】が余程気に入ったのだろう。
今日は彼女おすすめのダージリンを頼んで飲んでいた。景歌の言う通り、とても美味しい。私も紅茶について調べようかなと考えた。
「お待たせ、薫」
山吹色のぱりっとしたブラウス姿の景歌が私の前の椅子に座る。山吹色は彼女の凛とした美しい顔に似合っていた。景歌はまたメニューに迷い、そしてルフナを注文した。シダ模様のカップが運ばれてきて、景歌は香りを楽しんでいる。
「本当に紅茶が好きなんだね」
「そうね。いろんなカフェを回ったけど、ここのカフェはカップも上質だし茶葉もいいわ。また来ようかしら」
二人で紅茶を味わう。景歌はショットバー【ムーンライト】に勤めているので、飲み物にはこだわりがあるのかもしれない。
「それで? 乙女ゲームはやったの?」
紅茶が半分ほどになったところで、景歌が訊いてきた。私は曖昧に頷く。
「ま、まあ、一応やって、いるのかな……?」
「何よ、それ?」
乙女ゲーム『恋甘』を毎日やっていることは事実なのだが、実体験としてプレイしているなんて話は、景歌には信じてもらえないだろう。自分でも半信半疑なのだから。
「……やってはいるのね? どんなゲーム?」
「ええっとね、『秘密の恋の甘い味』っていうゲームで、略して『恋甘』っていうの。洋菓子店の店長として働きながら、攻略対象者を攻略していくんだよ」
「ふーん、洋菓子店ね。あなたに合っているじゃない」
そう言ってから、景歌は私を鋭く見つめてきた。彼女の迫力ある瞳で睨まれるのは非常に恐ろしい。
「乙女ゲームをやっているのはわかったわ。でも何か隠しているわね? 私が薫に隠し事されるの、嫌がること知っているわよね?」
「な、なんでもないよ……」
「嘘は言わないでちょうだい。隠し事していないのなら、私の目をちゃんと見て。あなたが動揺しているとき、相手の目を見られないことわかっているわよ」
景歌に問い詰められ、私は自分でも夢の中にいるような出来事──『恋甘』で実体験していることを白状した。自分でも未だ実感が湧かないことであるから、景歌も信用はしてくれないだろう。馬鹿にされることを承知で話した。
「……え?」
一通り話し終えたら、予想に
「……乙女ゲームの世界に飛ばされる? そんな話があっていいわけ……?」
しばらく景歌は呆然としていたが、やがて紅茶のカップを持ち上げ、一気に飲み干した。それから私をじっと見つめる。
「……私の目を見ながら話したわね。嘘にしてはやけに凝っているし……そもそも薫は私に嘘がつけないはずだし……」
ぶつぶつと呟きながら、景歌はひたすらに私の目を見ている。私は目線を外さなかった。外す理由もなかった。起こったことを、ありのままに話しただけである。誓って嘘は言っていない。
「なんだっけ、『恋甘』? で、店長やっているの……?」
「そうだよ。もうすぐ『母の日』イベントなんだよ」
景歌は近くを通りかかったカフェの店員さんに紅茶をオーダーした。「お任せするわ」と言ったので、私は驚いた。あの、紅茶にうるさい景歌が……。
やがて店員さんが紅茶を持ってくる。テーブルに置かれたのは、アールグレイのアイスティーだった。景歌はアイスティーを眺め、そうして一口飲む。
「……決めたわ。ここのカフェに通うわ」
「え? なんで?」
「私の心をわかってくれるからよ」
彼女は説明してくれた。アールグレイには気持ちを落ち着かせる効果があるということを。店員さんの洞察力に脱帽する。このカフェ──【ヤルヴィエン】はプロの中のプロが店員さんとして採用されているのだろう。
「……うん、そう、ね。俄かに信じろっていうほうが難しい話だけど、薫が言うことだから……信じることにするわ」
「ありがとう……景歌」
こんな話を真実だと受け止めてくれるのは、親友の景歌しかいない。私は心からお礼を言った。私のことを信用してくれる、彼女の思いやりが伝わってくる。
「それで……攻略対象? だっけ? とにかく誰かと恋愛するのよね?」
「それが乙女ゲームだからね」
「でも話を聞くと、現実で会った人ばかりなんでしょう?」
その部分は私も謎である。ゲームのパッケージを見ても攻略対象者と名前が違うし、知っている声優さんの声でもない。それぞれ現実で会っている男性の声そのものなのである。
「……そうなの。それがすっごく疑問なんだけど、実際起きていることだから」
「じゃあ薫は、一体誰と恋愛するの? 峰岸航希じゃないわよね?」
「当たり前じゃない!」
思わず私は声を荒らげてしまった。航希に裏切られることだけは、もうされたくない。ゲーム内の中峰コウキと違うとわかっていても、拒否の感情が強い。
「攻略っていうか、ゲーム内で恋愛することを決めたのは……タクヤくんだよ」
「タクヤ? って、前に薫が話していた、アルバイトの杉浦拓也のことかしら?」
「よく覚えているね。そうだよ」
景歌が拓也くんのフルネームを覚えていることに驚く。彼の話は、二回か三回くらいしかしたことがなかったはずだけど。
「うーん。あのね、実はね、彼──杉浦拓也くんが最近私に会いにきたのよ。いわゆるOG訪問ってやつね」
「OG訪問?」
「杉浦くん、大学四年生で就職活動中じゃない。私の働いている【ムーンライト】に興味があるらしくて、話を聞きにきたわ。礼儀正しい子だったわね。……イケメンだったし」
からかうような声音に私は俯いてしまった。景歌は拓也くんと面識があるのか。
自分一人で乙女ゲームをやっている分にはいいのだが、ゲーム内の恋愛だとしても顔を知られている男の子を狙っているのがばれると恥ずかしくてたまらない。
景歌は楽しげに顔を綻ばせた。
「いいんじゃないかしら。杉浦くんはとってもいい子だったわ。頑張って攻略しなさいね」
「……うん。あと……この話は誰にもしないでね」
「話しても誰も本当の話だと思わないわよ。第一、私が軽々しく他人に話す人間じゃないことはわかっているんじゃないかしら? 私のことも信じてほしいわ」
私は顔を上げて景歌を見た。彼女は微笑みを浮かべている。──景歌のことは信用している。絶対に誰にも話さないだろう。
彼女がアールグレイを飲み終わるまで、私たちは仲良くおしゃべりをした。
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