そこにあるものは何者なのか⑤

 ☆


 ラルーが目を覚ました場所はどこかの部屋だった。魔女が送還される監獄でもなく、死体が転がっていても気にもされないような路地裏でもなく。

 そして、思い起こす。部下のランドに助けられたのだ。雨の中、血を流し続けていたラルーには、ランドの救いを拒むだけの力がなかったのだ。ただ、放って置いてくれれば良かっただけなのに、ランドは魔女であるラルーを心配し、保護しようとした。魔女を助けようとする、とても愚かで馬鹿な人間である。そんなラルーの状況確認が終わり、今度はワカバを思う。

 あの子は、上手く連れて行かれたのかしら……。辛い思いをさせるとは思いますけれど、……。

 そう思い風を嗅ぐ。ラルーの施している『トーラ』は破られていないようだ。

 ほっとすると胸の辺りがチクチクすることに気が付いた。

 そして、苦笑いを浮かべる。


 よくもまぁ、このレベルで人の皮を縫い合わせようとしたものだわ。


 ラルーは乱雑にも思える胸の糸をピンと引き抜いた。僅かな血液が数個、膨らみを見せ、すぐに消えていく。もちろん、本体の怪我も既に治っている。こんなことしなくても、あのまま朝まで放っておけば治ったものだ。

 毒さえ抜ければ、勝手に目が覚めた。人間に助けられる必要はなかった。

 早く出ていかなければ。そう思うが、思うように血の回復が出来ていないらしい。やはり、心臓を一突きされたこととそのナイフに毒が塗られていたことで、体の回復がいつもより遅いのかもしれない。血液に混じった毒と、まだ足りていない血液。ここまでを見越していたのなら、さすがランネルと言ったところだろう。

 彼は『トーラ』を欲しがる愚かな人間のひとりだ。


 そして、ラルーは自分を分析しはじめた。少し気怠さがある。貧血の度合いと体の反射。わずかに鈍い。このままだと、完全に逃げ回るためには、厄介な者への牽制を始めるには、後、小一時間は必要かもしれない。長居はランドを危険に晒す。そして、その気配を感じたすぐ後に、彼が思わずという声を上げていた。

「長官、もう、起きて大丈夫なのですか?」

「えぇ、ランド所長・・。もうすっかり良くなりました……ただ……」

 驚くランドの瞳はあの黒眼鏡に覆われていなかった。


『金魚ちゃん』と『食用の魚』を同じだと言ってしまった。やっと、何かに興味を持ち始め、心を動かし始めた小さな子に。

 ワカバに酷いことを言ってしまったと、それ以降、自分がどんな表情で彼女に向き合っているのかが怖いと、表情を隠すようになった弱い人間の瞳は、空の色。


「ただ、何か食べるものをいただけるとありがたいですわね。まだ血が足りないようですので」

 まだ驚きで動けないランドに、ラルーは微笑みを向け、上司としてひとつ忠告をした。

「ひとつ忠告です。このレベルで、人間を縫おうとするものではありませんよ」

 ラルーは魔女だ。それもトーラに仕えるとされる魔女。

 トーラの御世をただ見守るために存在する、そんな魔女。だから、死なない。

 しかし、あの子は……違う。

「承知しているつもりです」

 動き出したランドが、「私は副所長のはずですよ」と頭を掻いた後、食事を持ってきてくれた。

 ハムにチーズとライ麦パン。

 ランドの日常にある食事が白い皿に載せられて、ラルーに手渡された。


 十日後は新月。

 闇に潜むものが動くのにちょうど良い日となる。それまでに、気付かれなければ良いのだけれど……。気付かれればそこで終わる。

「あなたの名前は『ワカバ』よ」

 他の何にもならなくて良い。すべてわたくしが、悪いのですから。

 そう呟いたラルーは、ランドの部屋に皿だけを残し、そのまま姿を消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る