第2話友達になろうなんてわざわざ言葉にする人は友達になろうとしていない

「なあ、元カノ。男女の友情って成立すると思うか?」


「次その呼び方したら殺すわよ」


淡白に脅迫されると同時に、俺の左手の甲に鈍重どんじゅうな痛みがのしかかった。シャープペンシルを叩き付けられたのである。ただ幸いと言って良いのか分からないが、叩き付けられたのは芯のある先端部では無く、キャップの方だった。

 まだ人の心はあるらしい。



って!恋花お前マジの強さじゃねえか」


「私がマジだったら、芯を突き刺してるところよ。眼球にね」


 わーい、それに比べたらすごく優しいや!なんてなるわけないだろう。発言者が男女逆ならDV容疑で捕まりそうだ。



 初めての失恋から一カ月と少し経った四月。この俺、汐森清継しおもりきよつぐ向崎恋花こうざきれんか元カップルは、奇しくも肩を並べていた。とはいえ、以前のように仲睦まじく寄り添い合っているのではない。


 今日は高校二年生となった最初の登校日。始業式だ。朝一体育館の壁面にでかでかと張り出されていたクラス振り分け表。それに従って二年一組の教室に来てみれば、名前の貼られた俺の席の隣に元彼女である向崎恋花が着席していたのである。

 最初に俺を目にした恋花はこの偶然を呪うような顔を思わずして見せたが、それきり挨拶や談笑の一つもありはしない。


 別れてから話は勿論、電話もメッセージも一度もしていなかった。まだ振られて一カ月、正直未だに引きずっている部分があると言えなくもない。

 俺は嘆くようなため息を吐く。



「あれから俺達、一度も会って無かったろ。だからこっちから気を遣って話題を振ったんだよ」


「気が利いてるのかそうでないのか分からない呼び方しないでくれる?周りの子たちに清継君と付き合ってたなんてあまり知られたくないんだけど」


「何故だ、誇っても良いくらいだろう。」

「あなたのそういうところは普通に嫌いだった。自信家で俺様気質。外見と人あたりが良くなかったら人間として終わってたわよ」



 言葉の一つ一つが刺々しくて心臓が痛い。別れて以降、俺はもはや『良い人』から『どうでも良い人』にクラスチェンジしてしまったらしい。普段から気遣いの欠かさない恋花にここまで正直に貶されたのは初めてだ。こいつ、俺と交際中は猫被ってやがったな。

 眉を引きつらせる俺を気にせず、恋花が続ける。



「女子の世界はね、清継君が思っている以上に色々面倒なの。ほらあなた、学年の人気者でしょ?私達が付き合い始めたって噂が広まった時も大変だったのに、その人気者を私が振ったなんて知られたらどうなる事か」



 恋花が遠い目をしている。もしかして俺の知らないところで何かあったのかも知れない。『私達の清継君に何してくれてんの、ちょっと校舎裏来なさいよ』的な。いやでも恋花は男女問わずクラスの人気者だったし、いわゆるカースト上位ってやつだった。いじめようなんて思う人間がいれば逆に返り討ちに合っているだろう。その線は無さそうだ。



「女の友情はハムより薄くて角砂糖よりもろいって言うもんな」


「そ。私が清継君を捨てたーみたいな噂になれば流石に印象悪いかな。応援してくれてた子もいっぱいいたし」


「じゃあ俺に振られたって事にすればいいだろ」



 この俺を手離した事を不服に思う者がいるのなら、いっそ俺に捨てられたとでも言った方が都合が良いだろう。別にその後俺がどのような言われをされようが気にならんし。そんな意図で言ったつもりなのだが、恋花は虚を突かれたように目を丸くしていた。



「あなたって本当に人が良いのね」

「それが俺のモットーだからな」

 

「でもお断り。私が決めたことだし。その後の事は都合良く清継君に押し付けるのなんて出来ないわ」



まあ、そんな事を言うだろうなとは思った。繰り返しになるが恋花は清廉潔白を体現したような人だ。都合の良い時だけ他人の背にもたれ掛かろうとは決してしないのだ。そういう所も好きだった。なんて虚しい感情だ。



 俺はふむ、と鼻を鳴らして納得した事を示す。


 「それは俺達が友達でいたいからか?」

 「は?そんな訳ないでしょ」


 え、何それ語気が冷たい。言葉鋭い。胸痛い。

 一瞬にして向けられた視線が道にへばり付いたゴミでも見るかのようなものに変わる。『友達に戻らない?』1ヶ月前そう言ったのは貴女あなたでしょうが。


 恋花は苛立ちを表すように手にしていたシャープペンシルで机をカツカツと叩いて音を鳴らす。

 「清継君さっき言ってたよね。男女の友情って成立すると思うか、だっけ?」

 


 俺が最初に振った話題だ。何の気無しに問いかけたつもりが、恋花のお気には召さなかったらしい。

 表情だけはとびきりの笑顔なのだが、向けられたそれは元恋人に向けられた物でも、ましてや友達に向けるような物でも無かった。質問の答えを続ける。


 「あり得ないわね」

 「何でだよ」

 

 「どちらかが必要以上に歩み寄ろうとするからよ。友達だったつもりでいても、いつかどちらかがその均衡を崩すでしょうね。」

 

「そんなのわからないだろ。お互いが一線をわきまえれば、それ以上の関係にはなりはしない。」

 


 別に恋人になる事ばかりが男女の付き合いでは無い筈だ。そう信じていたのだが、恋花は俺の心を見透かしたような顔をする。



「じゃあ清継君、私達がこれから仲良くなったとして、今までみたいに一緒にご飯食べたり、ゲーセン行ったりしたとしましょう。その帰りで私がこう言ったならどうする?」

「何だよ」


 少しだけ俺の耳元に近づいて、恋花は色っぽく囁くように言った。

 「私の家に来ない?って」

 「襲いますね」

 「死ねば」



 即答だった。光の速さだった。俺が脊髄反射で答える事も恋花に見透かされていたのであれば、自分自身が惨めでならない。

 でもそう答えるのがこの場では正解でしょうよ…。

 ほんの少しの間だけ無の時間が流れ、俺は笑って取り繕う。



「いや冗談冗談。前みたいに気兼ね無く遊びに行ける関係、それだけで十分じゃないか」


 半分以上冗談だったのは本当だ。襲うどころか手を繋いだ記憶があったかも怪しいぞ。


「どーだか。結局、女の友情がハムだとか砂糖だとか言う前に男女の友情なんて蜃気楼よ。実体なんてありはしないの」


「友達に戻らないかって言ったのは恋花の方だろ」


 俺がほとんど負け惜しみのようにそう言うと、恋花はこの世全てに失望したかの如く特大のため息を吐いた。



「信じられない。もしかして私が文字通りの意味で友達に戻りたいって言ったと思ってるんじゃ無いでしょうね。」


「さ、流石にそこまで俺も馬鹿じゃないぞ。でもワンチャン友達でいたい説もあるかなーって」


「ワンチャンもツーチャンも無いわよ。私達は今日からただのクラスメイト。それ以下はあってもそれ以上はないの。仕方ないから一年仲良くしましょ、はい自己紹介終わり。あとこれから私の事は恋花じゃなく向崎さんって呼んでね汐森君」

 


 一秒でも早く会話を終わらせたいのか矢継ぎ早にまくし立てられると、窓をぴしゃりと閉めたようにそっぽを向かれる。

 これほどまでに心の距離を置いた自己紹介があるか。これでは石を投げながら仲良くしようと言ってるようなものだ。


 俺は一カ月前から何の進歩も無いのか、更に遠い存在となった恋花の様子を呆然と見つめ言葉を宙に浮かせるのだった。

 見計らっていたように、予鈴が鳴って、いよいよ新学期が始まる。


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