ash scattering

purike

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 晴れた冬の午後。斜めに射し込む陽の光がビルの窓ガラスに反射して、乾いた目に痛い。捲れた下唇の皮を前歯で噛み千切る。濡れた唇に寒風が吹きつけてチリチリと冷やしていく。かじかんだ指を上着のポケットに突っ込んで、すれ違う人々を避けながら俯き加減で足早に街を歩く。ソレを入れた大きなリュックはずしりと重たかった。

 人混みを抜けて見えた純喫茶に入る。窓際の席に通されて腰を落ち着ける。背負っていたリュックを膝の上に抱えてチャックを開ける。青白いソレが顔を出してつるりと光を反射する。

「一人じゃこれないよ、こんな店」

 冷たいソレに唇をつけて呟く。

 メニューを持ってきた店員がぎょっと止まるのを無視してカフェラテを頼む。

 唯一の人が死んだ。彼女がいなくなったら、私は本当に独りだった。

「お待たせしました、カフェラテです」

 彼女はコーヒーが飲めなかった。もちろんカフェラテも。いつも頼むのは紅茶かハーブティーで、私に彩られた指先で華奢なカップを掴むのを見るのが好きだった。



 年の大きく離れた友人だった。初めて会ったのは彼女が持病で倒れたとき、たまたま傍にいて介抱をしたことから。

 棺の中の彼女はやけにぺったんこで縮んでしまったように見えた。撫で付けられた髪に白装束。薄い白髪をふわふわと立ち上がらせたいつものセットが一番彼女の可愛らしさを引き立てていたというのに、彼女のお気に入りは明るいオレンジのワンピースだったのに、白い棺の中白く細い体に白い装いで窮屈そうに花にまみれて、まるで彼女の望まない姿に見えた。

「死んだらなにもなくなるのよ」

 彼女がよく言っていた。だから私は棺へは何も入れなかった。

 彼女は一時間ほどであっけなく焼き付くされた。

 遺骨の行方で少しばかり揉めた。彼女の遺書で遺骨を私へという指示があったのだ。胡乱気な縁戚たちの目に晒されながら、私は私で寝耳に水だったが、彼女が言ったのなら受け取らない選択肢は無かった。

 金糸の装飾がされた白木の箱の中、白く引っ掛かりの無いつるりとした円柱型の陶器の壺。この中に彼女だった白い破片が詰められているのだ。足から頭まで、順番に。

『死んだらなにもなくなるのよ』

 だったら、私に遺ったこれは何?



 仕事から帰宅して荷物を放ると、リビングのテーブルに頭を突っ伏して脱力する。テーブルの真ん中に鎮座する骨壺をカチカチと突つき溜め息を吐く。彼女はネイリストである私の客でもあった。注文の多い面倒な客。それでも施術後の嬉しそうな照れ笑いが魅力的だった。

「最期は、どんな爪だったっけ」

 思い出そうとしても棺中の白い姿ばかり浮かんでしまう。

 もう思い出せないなんて。

 ガコンッと骨壺を開ける。中を探って良い塩梅の大きさの骨を取り出して机に並べる。

「あなたは、明るい暖色が好みだよね」

傍らの棚からネイルセットを引き出して白い骨の前に広げる。

 ネイルマシンでカラカラの骨を優しく研磨していく。ベースを塗って硬化すると、タンジェリンオレンジのジェルを塗っていく。

「今月入った新色だよ。細かいラメが入ってて絶対気に入ると思うな」

 塗って、硬化して、塗って、硬化して。

 完成したものはろくに見ずに骨壺へ戻す。

「あなたの好きなワンピースにきっとぴったりだよ」

 語尾は消え入るようだった。彼女が亡くなってから初めて涙が零れ落ちた。




 届いた大量の段ボールから中身を黙々と取り出していく。

 乳鉢、乳棒、ハンマー、刷毛、ボウル、袋、マスク、手袋……

床に並べたそれらと向き合い、腰に手を当てる。

やることはひとつ。迷いはなかった。

 真ん中に鎮座する骨壺を開け、比較的大きな遺骨を取り出す。それを袋の中に入れて、ハンマーで叩く。

 ゴン ゴン ゴン ゴリ ゴリ ゴリ

 ひたすら叩いて小さくなった骨を今度は乳鉢に入れて乳棒で叩いていく。

 ゴリ ゴリ ゴリ ザリ ザリ ザリ

 今度は擦って擦って、擦って粉状にしていく。粉末をボウルに空けて、また繰り返し。

 全てが終わったのは十時間を越えた頃だった。

 白い粉の山にそっと手を突っ込むとほんのりと暖かく、ザラザラとした鋭い粉が手の平を甲をチクチクと刺してくる。

 まるであなたみたいだね、なんて感傷に浸りながらさらさらと骨粉を弄ぶ。



 小型船はガタガタと波に揺れて不安定だった。エンジンの低い音と激しい風の音が耳を覆う。うねる波の揺れと吹き付ける冷たい風に体を翻弄されながら船頭を仰ぎ見れば、是という風に頷いた。

 リュックからビニル袋を取り出して、船の縁へ近付く。かじかんだ指で袋の口を海へ向けて開けば、中の白い粉が強風に煽られて沖へと飛んでいく。

 飛んで、飛んで、海へと混じって消えていく。

 指に付いた微細な粉をじっと見つめ、ついには舐め取った。

 微かな潮の味がする。

『死んだらなにもなくなるのよ』

 これで本当に、おしまい。

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