嫉妬の木(すこしふしぎ文学)
島崎町
嫉妬の木(すこしふしぎ文学)
すばらしく美しい木があった。
大地に力強く根をはり、引き締まった幹から伸びる枝は芸術的な曲線を描いた。緑の葉が一年中しげり、生命力にあふれ、天にそびえる梢は青い空によく栄えた。
だけどなにより花だった。
季節に関係なく気まぐれのように咲く花は、白といえば白、赤といえば赤、黄色といえば黄色のような、たとえようのない輝きで優雅に咲き、涙のように散っていく様もまた甘美だった。
自然公園のなか、周囲にも見事な木はたくさんあったが、人々はこの木見たさにやってきて、写真を撮り帰っていった。
人が集まれば集まるほど木の美しさは増していき、まるで人から見られていることをわかっているようだった。
ある日ひとりの観光客が、隣にあるこれまた立派な木を見て言った。
「こっちの木も見事だなあ」
翌日その木は枯れた。
倒れると危険なので根から掘り起こされ、その場所だけぽっかり空いた。
自然公園の管理係はそこに木の苗を植えた。何年後、何十年後、この苗も立派に成長して隣の木に負けないように美しなってくれたらいい。
翌日、苗は枯れた。
もしかしたら日当たりのせいかもしれない。あるいは増えつつある観光客の影響か。
仕方ないのでそこにベンチを置いた。美しい木を見るには絶好の位置だったし、ベンチに座って写真に収まると、構図は完璧だった。
木はさらに美しくなった。管理係が手入れに訪れると、宝石のような花びらがはらはらと降りそそいだ。まるで感謝を示すようなフラワーシャワーだった。
木の美しさは増していき、訪れる人もさらに多くなった。
人々はこぞって写真を撮り、まわりには何重にも人垣ができた。自然公園の管理係は喜んだが、同時に、まわりの木々に影響が出ないよう最大限努力した。
それでも枯れる木は増えていった。美しい木を中心に同心円状に枯れていく。一時期は人の出入りを制限したが、むしろその方が枯れるスピードがアップした。
そうして木の回りにはなにも生えなくなった。訪れる人にとってはその方が都合がよかったのかもしれない。周囲になにもないなか、一本、すばらしく美しい木が生えているのだ。
高名な写真家がやってきて、カメラを構え、「となりのベンチすらいらないな」そう言ってベンチなしの木の写真を撮った。美しかった。
翌日、管理係が気がついた。ベンチは足から腐りはじめていた。
SNSのインフルエンサーが夜中にしのびこみ、木にイタズラ書きをしようとしたとき、木の実が落ちて頭に直撃し、病院に運ばれた。
管理係が知るかぎり、実が成ったのははじめてだった。
そのころから、どうもこの木はおかしいぞと人々は思いはじめた。
ほかにも美しいと話題になった木がぞくぞく枯れ出し、被害は自然公園の外、近くの町にまでおよんだ。
美しい木のまわりには草も木もはえず、土も痩せ、まるで砂漠のようになっていたが、それがまた木の美しさを幻想的に際立たせた。
入場者は増え、入場収入およびグッズ販売などでうるおっていたが、自然公園のなかの木々は3分の1にまで減っていた。
管理係はこの事態をなんとかしようと献身的に働いた。美しい木の手入れだけでなく、自然公園全体のために身を粉にした。
その姿勢が報道されると、美しい木と対になって彼も人気が出た。管理係のヤマダサン。木と一緒に写真をせがまれることも多くなり、ヤマダサンと一緒に写るとき、木はさらに美しく咲き誇った。
ヤマダサン人気が増していくと、ヤマダサンギャルと呼ばれるヤマダサンのファンも多くやってきた。
ヤマダサンとヤマダサンギャルがふたりならんで写真を撮るとき、木は背景におさまった。撮り終えてカメラのモニターを覗き、上手く撮れたと喜ぶヤマダサンファンの背後で、木は物言わず立っていた。
翌日から木は花を咲かせなくなった。
気まぐれに咲いたり散ったりする木だったから、そういうこともあるだろうと思われたが、一週間経ち、一ヶ月経ち、どうも様子がおかしいとみなが気づいた。
木が死にかけているのでは?
自然公園の管理係以外に、外から樹木医が呼ばれた。診てみると、木の枝にいくつもの切り込みが見つかった。ヤマダサンによると、昨日まではそんなものはなかったという。
不審者が訪れた形跡もない。おそらく、木自身が水を行き渡らせずに、枝の一部が裂けたのだと樹木医は診断した。
木が自らを傷をつけた。ウワサはすぐに広がった。
ヤマダサンへの嫉妬に違いない。テレビや週刊誌、SNSでも騒がれた。ヤマダサンを追いかける報道が加熱し、ヤマダサンが結婚間近で婚約者がいることが発覚するにおよんで騒動は最高潮となった。
そして悲劇が訪れた。
その日、自然公園出口で、報道陣から逃げるように車に乗ろうとしたヤマダサンの前で、街灯が倒れ、婚約者が運転する車が下敷きになった。
調査の結果、街灯の下に、あの美しい木の根が潜り込み、街灯の土台部分が押されたためだとわかった。
木の根は土の中で一直線に街灯まで伸びていたという。
木を切るべきだ。人々は思った。この木はなにか“まずい”。不安を覚える者は多く、”呪い“という言葉を使う者までいた。
だが木は切られなかった。逆に貴重な研究対象となった。木に意思があるのではないか。しかも知的な思考をめぐらせることができる、人類以外の生命体が見つかったのかもしれない。
大規模な調査がはじまったが、木はそれらしき反応をしめさなくなった。花はもう咲かないし、調査隊に対して木の実を落としたり攻撃したりという反応もなかった。
調査の結果は“ふつうの木”だった。
人々の関心はうすれていった。報道もなくなり、放置された気のまわりにはうっすらと植物が生えはじめた。
ここで、あの事件のことを記さなければいけないのは心が痛む。みなさんもご存じの話だ。
ある夜だった。自然公園の管理係を辞め、遠いビルでデスクワークの職に就いていた男が、農薬を手にやってきた。
男は一年ぶりに木と再会した。
月がよく輝く、おだやかな晩だった。
そのとき、突如として木は花を咲かせた。枝中に無数の花が咲き誇り、甘やかな香りがあたりを覆い尽くした。
さわやかな風が吹き、花びらが散り、男をつつみこんだ。
あるものをそれを“愛”と呼んだが、男にとってはそうでなかった。
男は農薬を取り出した。
そして自分が飲んだ。
翌朝、新しい管理係が見たのは、びっしりと埋まる花びらの中で静かに横たわるヤマダサンの姿だった。
木の枝からまだはらはらと、涙のように花びらが散っていたという。
亡骸をどうするべきか、いくつもの議論が巻き起こった。遺族は受け取りを断った。この木がいったいどんなことをしてくるか予想がつかなかったからだ。
木を燃やせ、という過激派もいた。だがヤマダサンはみずから死んだのだ。しかも、このころはまだ木に人格を認めていなかったし、いまのような権利も与えてはいなかったので、裁きようもなかった。
結局、特例ではあるけれど、感傷的な人々の後押しと悲劇的な物語の終焉にふさわしい場所として、ヤマダサンの亡骸は木の根元に埋められた。
それで木は満足したのだろうか。
答えはだれにもわからない。
その日からまた、木は美しく花を咲かせつづけている。
そして、ひとつ落ちた美しい木の実を、禁じられているにもかかわらず持ち帰った少年がいて、別の場所に植えたのだ。
そのあとどうなったかは、みなさんが知るとおりである。
嫉妬の木(すこしふしぎ文学) 島崎町 @freebooks
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