第一章 おしゃべりな二人
一章 ①
この子は、なんて美しいんだろう。
それが、犬神一がその瞬間、後輩女子の姿を目にして抱いた感想だった。
一の目の前で、演劇部の部室の稽古用のスペースを舞台に、嘉村八葉はまるで華麗に舞うかのように、体幹のトレーニングとしてのストップモーションを行っていた。
ぴしっ、と身体の動きを極め、指の先まで力を入れて思い思いのポーズで制止し微動だにしない。それをただ繰り返す。
ただそれだけだというのに、例えようもなく美しい。
一が呆けたように見とれていたところで、
「入るんなら、早く入ったらいいんじゃないですか?」
八葉はストップモーションをやめ、一の方へと意識を向けて言葉をかけた。
「ああ……そうだな、悪い」
「変なの」
一はあくまで、演劇部の部室にいつものように足を踏み入れただけだった。文化祭の舞台も近いし、早めに稽古を始めたいと思っていたのだ。
だが扉を開け、いざ稽古だと勇んで飛び込もうとした時、彼はその中で稽古していた八葉の姿に見とれてしまっていたのだ。
「せんぱい。三分ぐらいずっと見てましたけど、なんなんですか?」
いちおう声色は訝しがって聞いているのだが、八葉の声そのものがとてもかわいらしく、どこかアンバランスなおかしさと魅力がそこに生まれていた。
睨めつけるその眼差しもいたずらっぽく見えてしまうし、汗をタオルで拭う仕草はどことなく庇護欲をくすぐられる。
動作のひとつひとつに、〝かわいい〟が枕詞としてついていても何の違和感も覚えない。
小柄で控えめな体躯は、仮に抱き締めてしまえば腕の中にすっぽりとおさまってしまいそうだ。
ショートボブの黒髪に、「校則で禁止されてないですもーん」と流行りのインナーカラーを緑で控えめに入れており、丸い頭頂には思わず猫耳を生やしてみたくなる、そんな小動物系のかわいらしさがあった。目も猫のように丸いのが余計にそう思わせる。
普段はそうしてかわいらしい後輩が、芝居のために身体を動かす時、かわいらしさよりも美しさが勝る姿になる。
一は、そのギャップとそれ故の美しさに見惚れていたのだ。
「あの、聞いてます?」
考えてこんでいた中、不意に話しかけられ一は動揺する。
「きっ、聞いてました! 聞いてた!」
「本当に?」
「本当に!」
「じゃあ、じろじろ見てたせんぱいには罰として、『ミッドサマー』よろしく皮をはぐ刑にしましょうかってところから、もう一回話を戻していいですか?」
「えっ、ええ……?」
「……んなこと言ってないですよぉ」
やっぱり聞いてないじゃないですかぁと、八葉はかわいらしく怒るのだった。そして、
「通報しちゃいますよ」
やはりかわいらしい所作でスマホを取り出しながら、八葉はにっと笑ってみせた。
「稽古に精を出す後輩に感心して見とれてたら通報されるのかよ、たまったもんじゃないよ」
「『それでもボクはやってない』って?」
「それマジでやってない映画だろ、不適切だ」
「それはそうです」
小悪魔のようにいたずらっぽく笑った後、八葉はスマホを置いた。
「せんぱいがそういうヘンなことする人じゃないことぐらい、わかってますから」
「冗談でもマジにビビるからね? そういうのは」
「まあ、見てたのは事実ですしねえ?」
咎める一に対し、ちょいちょいと八葉は胸元を指先でつついてくる。
「せいぜいかわいい後輩に見とれた罪を背負って生きていてくださいな。私は黙っていて共犯者になってあげます」
「言い方! というか嘉村は被害者だろ、この場合」
「あー、私を被害者にしたって自覚あるんですねえせんぱーーい!」
「揚げ足を取るなよ!」
「揚げ足……揚げた足! せんぱい! 帰りにケンタッキー寄っていいですか!」
「会話の脈絡なしか⁉」
「揚げた足から連想してるんですから脈絡はありますー、文脈はありますー」
「あのなあ」
「まさか断るんですか? 稽古で汗を流してお腹を空かせて、そこに『グリーンブック』よろしくフライドチキンをがっつく! こんなかわいい私とそんな放課後を送りたくないんですか⁉」
「それはその……送りたいに決まってるだろ!」
「即答~~! いいですねえいいですねえ!」
本当に嘉村八葉と話していると、会話の主導権を9割方持っていかれてしまう。
映画が大好きで、なおかつ自分がかわいいという自覚のある彼女は、いつだって自分を映画の中のスタ―だと思っていると言っても過言ではない。
優しく常識的にふるまいつつも、物語の主人公の如く、とうとうと台詞のように言葉を紡いで喋ることに定評があるのだ。物の例えにもしょっちゅう映画を用いる為、気がつけば一もだいぶ映画に詳しくなってしまっていた。
……実のところ、彼女との会話を弾ませる為に映画について勉強しているというのもあるのだが。
映画の話に付き合うと、八葉はとても喜ぶ。好きな人が好きな物について楽しそうに話している姿を、一秒でも長く自分だけが見ていたい。そう思うと、貴重な時間を映画を観るために使おうという気も起ころうというものだ。
「それでは」
八葉は一が入ってきたことで中断されていた稽古を再開しようと、棚の上に置いていた台本を手に取る。
「やりますか?」
一に問いかけると、きょろっとした八葉の瞳が、宝石のように淡い光を見せた。
「おう」
今一番やるべきことは稽古だと、一も鞄を床に置くと慌てて台本を取り出した。
『二人の優しいキリング・ジョーク』。
それが、次の四谷高校演劇部の公演のタイトルだった。
あらすじとしては、商売敵同士である二人の男女の殺し屋がある日街の片隅でばったりと出会い、お互いの殺しの腕を、今までのヤマを語りあい、そして競い合うも今ひとつキマらないという、会話劇主体のコメディだ。
「仕上げてきてる?」
一は問う。
「当たり前じゃないですか! せんぱいこそ、まだ台詞入ってないだなんて言いませんよね?」
自分よりも先に部室に来て自主練していた時点で相当なやる気だとは思っていたが、やはりだ。一にしてみれば、それでこそ自分もやる価値があると気合が入る。
何故かといえば、今回の舞台の主役の二人の殺し屋は、一と八葉が演じるのだ。
(いい機会、だよな)
舞台で共演する役者同士は、役を作り上げていく中で絡みの多い役を演じる者ほど、関係が密接になっていく。役に注いだエネルギーや心情を互いに感じ合うからだろうか。
芝居そのものに私情を持ち込むべきではないが、それは別として、一はこの共演をきっかけにして、大好きな八葉ともっと親密になりたいと考えていた。
互いに役の関係性を作り上げることによって、自分と八葉の関係性も作り上げていきたいと。
「せんぱい?」
その一言で、一は我に返る。気づけば八葉が目の前まで来ており、頭ひとつ小さいぶん、一を見上げていた。
「ああ、悪い。やろうか」
「なんで今、ちょっとぼーっとしてたんですか……。やっぱ覚えてないんじゃないですか?」
「それはない! ちょっと考え事してただけだ」
「あやしい」
「本当だって」
その時だ。外からガガガッ、ガッ、と大きな何かを引きずるような音が聞こえてきた。
「えっ、何あれ」
「あーほら、文化祭に向けてこの部室棟から棚とか運んだりしてる部がいるらしいですよ」
八葉にそう解説され、演劇部も公演が近くなれば大道具を運ばなければいけないだろうな、と一が思ったその時だった。
「……スキありっ」
ぼすっ、という音と共に、骨の固さゆえのこりっとした質感と、その中を流れる血のあたたかさを持った物体が、ゆっくりと一の胸元に飛び込んできた。
「うごっ⁉ おっ、おお⁉」
八葉が自分の頭を一の胸元に飛び込ませ、そして押しつけていたのだ。
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