第6話:ラティフは空腹を訴える

 ラティフから見るにアミーナという女は豪胆なものだと捉えている。

 

 行商のための街道も整備されているとはいえ、女の一人旅でキルクーク共和国からユルゲン王国まで来るだなんて、常識の埒外のようなはなしだ。

 

 この家にくるまでも、岩のように固いパンを噛み割り、木の皮のような干し肉を噛み砕いて旅をしてきた。

 並の男が持てないほどの荷物を持ち、国境を越えようという女を関所はどうして通したのか。いや、もちろん、手形は見せたんだろうけど。

 女を一人で通すとはユルゲンの兵は仕事にやる気がないのかもしれない。


 アミーナという女は礼節というものか。常識というものか。そういった物をわきまえている女性なのかもしれない。

 

 ラティフは少しの時間を一緒に過ごしただけでそれを感じた。


 そういう態度の女性であることから食事を勧めるのも一苦労した。


 ラティフからの一度の勧めでは「さすがに家主のおかえりを待たずに夕食を食べるのは抵抗があります。ラティフ様のおかえりを待ちたいのです。あたしのことは気にしないでいいわ」と謙虚な姿勢を見せたのだ。

 

 ラティフも人の子。さすがに他の家人が食べないというのに自分だけ用意するのも苦しい。かと言って食べないのもつらい。アミーナが家にいるなか主人の部屋(ラティフの私室だが、今の彼はズバイルということになっている)に入るわけにもいかない。


 手持ち無沙汰である。いつもならばと書き物をするための部屋にも戻れない。どうしたものか。と往生している所に救いの手がくる。

 

 外からではなく、内からである。


 ラティフの小さな体から大きな腹の虫が鳴いた。

 

「あたしのことは気にしなくていいわよ。ズバイルは食べればいいじゃない」


「奥様を差し置いて、使用人の僕が食べるなんてできません。一緒に腹がさみしいのを待ちましょう」


「頑固な子ねぇ――」


 ラティフはいつも独りだったし、それを悪いことのようには思ってはいない。それが突然のようにやってきて「妻です」といった顔つきで振る舞われるのだからたまったものじゃない。


「――ズバイル。あたしはこの家でこれから住むことになるの。ここで初めて食べる食事はあたしの長い記憶の中で最も大事なものになるかもしれないの。だからあたしは待つんだけど。まだ新しい愛しの旦那さまの顔も性格も存じ上げないわ。ズバイルなら知ってる? 新妻が夫の帰りを待たずに食事を終えていたとして、不機嫌になる方だったりするかしら?」


 ラティフは察した。これは助け舟なのだ。


「……旦那さまは突然のお出かけから家をしばらく留守にすることも珍しくありません。食事についてもそのようなことでご不興を買うようなことは絶対にありません」


「本当に? ……怒られそうになったら、ズバイルも一緒に怒られてくれる?」


「もちろんです。一緒に怒られましょう。そんなことは無いと思いますが。お約束します」


 こんな約束を交わした後に、アミーナの腹も鳴る。お互いの体は正直だ。

 ラティフは簡単なスープを作る。

 街に複数あるパン屋から買ってきた白パンを添えた。ここのが一番柔らかくて好きなのだ。

 作ったものを布敷の上に並べて、食事をした。

 

 作った料理を布敷の上で足を崩して食べるのだ。


「ユルゲンの方達も、絨毯の上で食事をするのが普通なの?」


 アミーナにとっては慣れた食事のスタイルだったろうが驚かれた。


「一般的な家庭は机と椅子をご用意します。旦那さまはジンジャールでの生活も長かったようですし、この家のスタイルを尊重しているとのことです。奥様はお気に召しませんか?」


「気に入らないってことはないわ。遠い所にお嫁に来たから全く違う生活になると思ってたのに。ここにもジンジャールのような家があって奇妙な気分なの――」


 そう言って、アミーナはスープを一息に平らげた。

 

「――スープの味が違うわ」


「お気に召しませんか?」


「いいや、それが嬉しいの。あたしは肉々しいスープが大好きよ。ありがとうズバイル。パンも美味しい。あたしの愛しい旦那さまも初めての食卓にいてくれたら最高だったんだけど。それは望みすぎなのかしらね。奔放な方なのかしら」


 それはラティフに問うているのか。だけど、明確な質問というわけでもないようで。ラティフが答えずにいると、会話は他の話題に移った。


 口数が多い訳でもないラティフに取っては苦しくない時間だった。

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