第2話:ラティフは手紙を受け取る

 ラティフが住まう屋敷について語ろう。


 ラティフの屋敷はユルゲン貴族のそれとは趣きが違う。


 ユルゲン貴族として爵位を賜った初代当主が離れとして建てた。


 それは、キルクークの一般的な屋敷で、日干しレンガを基調とした屋敷だ。


 ラティフの肌の色と似た屋敷は、初代当主が持ち込んだ毛布やフェルトで飾られている。


 ユルゲンにはいない魔物や、動物の象徴的な飾り刺繍が掲げられている。


 厄除け、子宝の祈願、豊作の願い。


 布を織ることは女の仕事だ。旅に出る夫を護るために祈りを込めて織るのだ。嫁に出る娘に持たせるために布を織る。


 多くの祈りが込められた布は、屋敷を守ることを願われた。


 その屋敷にラティフは住んでいる。


 冷たい風と雪が目立つユルゲンにおいては少々場違いなそれは、当初領民に不評だった。


「よそ者領主がよそ者の顔で屋敷を建ておったよ。わしらの生活を壊すつもりだ」


 初代の当主はそれらの批難を重く受け止め、地元の有力者に頭を下げ、金を配り、ユルゲンの風格にあった屋敷を建ててもらった。


 それはユルゲンの貴族にふさわしい雪と風に負けない立派な屋敷だ。


 当主は民の希望する装飾を受け入れ、民の願う位置に屋敷を構えた。


 キルクークの女達の手によって飾られた屋敷は領主の思いとは裏腹に、領民から隠れるような位置にとどめおかれた。


 当主はそのことを残念がっていた。当主の座を息子に渡した後、晩年はこの屋敷で過ごしたと聞く。そばには年若い愛妾が控えていた。


 愛妾の肌の色はキルクークの女のそれだった。


 初代当主がなくなった後。女もいつの間にか姿を消した。女の名前を知るものは今となってはいない。




 ラティフは自分に与えられたこの屋敷を気に入っている。領民は寄り付かないし。市場からも遠いこともあって静かだ。父の屋敷にいればどこにだって、領民の声が届く。あれをしてくれ。これをしてくれ。あれが足りない。これが足りない。あいつが土地の分割で違反をしている! いつだって揉め事でいっぱいだ。


 ラティフはそんな領民達とは距離を置きたがった。


 領民達も同じ思いだ。肌の色が明らかに違う当主の息子、ラティフを気味悪がっている。


 当主には他の大勢の息子や娘がいる。そいつらは自分達と同じ肌の色をしている。


 何より、ラティフは姿が変わらない。魔女や魔法使いの類いに馴染みがないユルゲン王国の民に取って、ラティフはいないもののように扱われた。


 この両者の気質が合ってしまったのが、運が良いのか。悪いのか。つかず離れずの関係性として落ち着いてしまった。


 しかし、ラティフも人間であるし。飯も食わねば生きてもいけぬ。全くの無関係でもいられない。


 ラティフにも来客はある。


 ラティフの屋敷に扉はない。分厚い布が戸に幕をはる。わざとそれを揺らして、飛び込む客がいる。


 人であれば声を掛けてくれるが。それは人ではない。


「キュー!」


 ラティフに呼ぶように高い声で鳴いた。



 手紙を運ぶ使い魔だ。それはずんぐりむっくりのネズミだ。白い体毛が全身を覆い、雪が歩いているようなネズミ。だけど、まだ雪の時期ではないので目立ったことだろう。背中には小ぶりなリュックを背負っている。


 ラティフは自分がしていた書き物をたたみ、来客を迎えた。


「久しぶりだね。元気してる?」


 ラティフは、ネズミのリュックから手紙を抜き取りながら、挨拶をする。


「キュッ!」


 大層疲れたような有様だ。


 このネズミは不遜な使い魔だ。


 手紙を運ぶ仕事を終えたならば、ねぎらいを要求してくる。


 泥にまみれた身体を洗い、乾かせと。


 良質なチーズをよこせと。


 仕事には報酬を望むタイプの使い魔だ。


 そういった報酬の要求はラティフではなく、契約主にせがめと言ったこともある。このネズミはラティフの使い魔ではないのだから。


 こういうやり取りももう、何度もとなってからは諦めて、チーズを渡し、身体を清潔にする桶と湯を用意するようになった。


「ネズミがきれい好きってのも考えものだぞ」


 このあとすぐに汚くなるのに、どうしてこのネズミはきれいにしたがるのか。近くに恋人でもいるのかもしれない。


 ネズミを労い、チーズで歓待し、お土産のチーズも鞄に包んだならば上機嫌でネズミは帰っていった。彼か彼女かしらないが。非常に楽しそうで、そういった姿を見ることもラティフは嫌いではなかった。


 ラティフは手紙を確認する。適当な時候の挨拶と、近況が綴られた後。本題が出てくる。


『ラティフ。私の弟子のラティフ。未熟者の弟子が嫁を取ると聞いた。お前のような親のすねかじりが女を娶るとは世も末だ。お前のような男ぶりのたらん男に添い遂げる女は不幸だろう』


 魔女か魔法使いか。もう性別がよくわからない師匠からの手紙だ。結婚の話を知ったのは自分ですらも、昨日今日のことであるのに。どうして師匠は結婚のことをご存知であるのか。


『私の目は空にある。私の耳は地面にある。すべてを知るのが魔女であるし、魔法使いである。お前はお前の時間を刻むため、誰か女を犠牲にしようとしている』


 師匠お得意のお説教の手紙である。


『お前のことだ。どうせろくなことを考えていまい。何かする前に必ず私の所に顔を出せ。悪いようにはしない』


 結婚が決まったのだからという、夫婦共々の召喚状らしい。ラティフとしては極力会いたくはない人だった。


 まだ、件のお嫁さんも来ていないのだから。この件はしばらく先のことだろう。


「妻を捨てる準備についてバレたのかもしれない」


 師匠の目は空にあり、耳は地面にある。


 魔法との付き合いは厄介なものだと、何度目かわからないわずらわしさをラティフは感じた。


 そして、その挨拶の件はそう遠くないことであることも予感した。

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