妻捨て物語
智子
第1話:ラティフは結婚する
遠い遠い昔に戦争を終えた国がある。
肌の色が白い人たちが住む国がユルゲン王国。
肌の色が黒い人たちが住む国がキルクーク共和国。
両国は戦争をしていても、商売をやる奴はいるもので。
肌が白くても黒くても、人間には食べ物は必要で。
飢えたなら可哀想じゃないか。と両国の商人は戦地をかいくぐるようにして、商売を重ねた。
その時の功績を讃えられた商人上がりの貴族がいる。
キルクーク共和国出身の男が、ユルゲン王国で爵位と領地を賜った。
当時は「黒い肌の貴族なんかに」といった反発もあったが。男はうまく領地を納めた。
男は白い肌の妻を迎えて、多くの子を設けた。男の息子も白い肌の妻を迎えた。男の
肌の色は少しずつ、土地に馴染み、今では先祖のルーツについても、時折付き合いのあるキルクーク共和国の豪商達との間に感じる程度だ。
今、ユルゲンの貴族として、家督を継いだ男と、その息子が執務室の中で話しをしている。面差しは似ているが。明らかな違いがある。
肌の色が違うのだ。男は土地に馴染んだ。白い肌だ。雪が触れば、雪と馴染む。
しかし、息子は先祖返りだろうか。黒というほどには黒くない。白というには無理がある。そんな肌色をしている。小麦色の肌は、この地方では浮いている。
男は椅子に腰掛け、幼い顔つきの息子は泰然とした様子で控えている。
二人は滅多に話すことはない。特段話すこともない。息子には仕事を与えていないからだ。
「お前ももう、いい年だから。結婚をさせる――」
息子――ラティフは唐突な父の提案に瞬きを繰り返した。突然のことに考えが追いつかないで、ぼうっとしている。
その呆けた様子は見た目通り、ただの少年のようだ。雪国であるユルゲン貴族には見えないはちみつ色の肌は健康的に見える。
「――おい、ラティフ! 返事をせんか!」
「はい! はい……父上! その、結婚と申しますと……あの、結婚ですか?」
ラティフの声はまるで花売りの少女のような声をしている。
普段は滅多にしゃべらないラティフが声を出す。
父も驚いたように、瞬きが途端に増えた。
息子とのやり取りは返事程度で終わると思っていたからだ。
「……お前はどの結婚のことを言っているんだ?」
「その結婚ですよねぇ」
ラティフが考える結婚と父が考える結婚は、意味を同じくする所だった。
男と女が番となり、夫婦の契を交わし、共同生活を送るあの結婚である。
少年の見た目をしたラティフは年相応の少年ではないことを彼の家族は知っている。
知っているというのに、結婚をさせるというのだ。
「父上、質問をしてもよろしいですか?」
「許す」
「僕が結婚に向いているとは正直思わないんですが」
「お前はまだ若いな。結婚は向いているからする訳では無い。家をつなぐためにするものだ。女を幸せにするためにある。それにお前も見た目は幼いが、歳の上では問題はない。多分」
「多分ってなんですか。多分って。自信無くなってるじゃないですか」
ラティフは当年とって二十六歳の青年……であるはずだが。
少年の姿のままだ。十を超えて、数年で成人というところから一切の成長が止まった。
それは魔女の呪いか。祝福か。
可愛らしい声で抗議をするラティフは駄々をこねる子どもそのものだ。
「ラティフ。お前は姿が幼い。できることにも限りがある。お前がその不便な身体でも、何不自由なく生きていられるのはどういうことかわかっているか」
「父上、その言い方は卑怯です」
「お前が結婚に応じないなら、お前を追い出す。お前の見た目は少年だが。戸籍では大人だ。結婚は決定事項である。相手方には結納金も渡してあるし、お前の嫁はもう出発している」
この物言いで、ラティフは十分に理解した。これはもう覆すことができない段階での「通達」であるのだと。
「出発って、一体どこから嫁いでくるんですか」
「キルクーク共和国のジンジャールからだ」
「隣国じゃないですか!?」
出てきた地名は、すぐ近くの国境を超えた隣国の都市からだ。
てっきり、領地内の豪族の娘でも来るのだと思っていた。
「お前も知らない街じゃないし。懐かしいだろ。とにかく話しは終わりだ。お前はこれから妻を迎える準備をしろ。お前が住む屋敷は一人では広すぎただろう。これから良い家を作れ。お前はお前の時間を進める必要がある。そのために結婚をするべきだ」
父の住まう屋敷から出て、自分に与えられている屋敷でラティフは唸っていた。
「結婚したくない。僕の家に他人がいるなんて、耐えられる気がしない!」
さらに極めつけはキルクークのよく知らない娘が嫁いでくるという。ラティフのような問題のある男に嫁ぐというのだから、なにか大きな問題があるに決まっている。父にもその旨を確認しようとしたら。
「お前は嫁を選り好みする立場ではない」
と一喝されてしまった。
ラティフは現在の生活に不満はなかった。召使いも遠ざけて、与えられた屋敷に籠もり、過ごす日々を悪くはないと思っている。身の回りでなにか困ったこともないからだ。ラティフは豪商を祖とする貴族である。
この呪いを受ける前はジンジャールで、商人としての教育を受けていた時期もある。遠い記憶のそれだ。兄弟のなかでジンジャールに留学したのはラティフだけであり、遠い親戚達との縁もあっての縁談なのかもしれない。
ラティフの頭の上で取り決められたそれは、ラティフの思惑の及ばぬところだ。
「どうにかして、妻を捨てることができないだろうか」
屋敷に誰もにいないことから、ラティフの独り言は大きい。
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