馬鹿は四月に卒業しない

春日希為

1‐1 馬鹿は四月に卒業しない

 ライブハウスから出ると赤く滲んでいた空は黒く塗りつぶされていた。湿気とアルコールの匂いが排気ガスとコンクリートが蒸発する匂いに代わり、あつきは厚く弛んだももの裏でワンピースの裾を挟み込み、ライブハウスの扉の横に座り込んだ。

フラッシュバックするライブの余韻はいもりの笑顔を定点カメラで映し出している。

 「爬虫類系男子、二枚目看板いもりです! 今日も応援よろしくね〜!」

 地下アイドルグループ『k(:night』《ナイトナイツ》通称2kナイ《にこナイ》の二番人気いもりは緩くパーマの当てられたセミロングを頭のてっぺんでお団子にしている。右下にある泣きぼくろがセクシーさを醸し出し、ダンスも歌もとびきり上手いというわけではないのに、丁寧なファンサとメンバーに見せる思いやりで固定ファンが多くいる。不動のセンター右と他のメンバーのファンからは不憫な言い方をされているがそれさえも持ちネタとして縁の下の力持ちとして昇華するところもあつきが彼を応援している一つの理由だ。

 最上列、熱い熱気を発するスポットライトの近くでいもりのメンバーカラーである緑のペンライトを上下左右に大きく振り回す。やもりは踊っている自分よりも汗を体中から垂れ流す七十キロの巨体を見ても笑顔で意識したと言いながら完璧なウインクをファンサービスする。

 信号機が青から赤に点滅し、急いで向こう側に渡ろうとする高いヒールを履いた女性がカッコン、カッコンとデカい足音を鳴らして目の前を駆け抜けていく。小さなショルダーバッグの中からバキバキに割れたスマホを取り出して自分の顔を認証させ、ごちゃついたホーム画面の中から、「よく使うやつ」とフォルダ分けされた中からSNSアプリをタップし起動した。

 ホームには、フォローしている人の投稿がずらりと並んでいるがどれも最新の更新は二時間前で止まっている。スワイプしてもそれは変わらず、右下の書き込みをタップして文字盤の上で指を躍らせ書き込みを始めた。

 まっさらな投稿欄が黒い文字で埋まり、投稿文字数がガリガリ減っていく。何を言おうとしても必ず文字数制限に引っかかってしまう。思いのままに綴った言葉はどれも長く、重く、整頓された良さには程遠い。パッと思いついたまま投稿出来るアプリの良さを十分の長考で相殺しそれほどまでに考えた文章は伝えるには言葉足りずだった。

 『2kナイマジで健康にいい』#2kナイ #2kナイブ

 一秒前に投稿されたあつきの呟きは攫われることなくそこに留まり続けた。

 そうして再びフラッシュバック。三曲目、ソロ曲のバラードではパイプ椅子では足を組み、マイクを片手に目を閉じて、しっとりとした愛を歌い上げる。ピアノの旋律に合わせて左右に体を揺らし緑のペンライトを振る。「おいどこ見てんだよ!」

 甲高い短気なクラクションが連続して鳴る。トラックの運転手が青に変わっている信号で中々進もうとしない黒の軽自動車にキレていた。通り過ぎる人たちのじっとりとした囁きと眼差しはトラックの運転手には決して届かない。

 消えたいもりの偶像は、あつきの中で挨拶を繰り返すだけの玩具にかわり、冷えた体をかろうじて温めていたのは発熱していたスマホだった。

 ホーム画面をもう一度更新する。しかし、何度更新してもあつきの投稿は一番上に投稿されている。あつきがライブを見終えてからもう二十分が経とうとしていた。ライブハウスにいた五人はあの良さを伝えずになにをしているのだろうか。三度目の正直と下に引っ張った時、スマホが無言で震えた。

 『まだライブハウスの近くにいる?』

 ゆるはからのトークが画面上部に通知された。

 タップしてトークアプリを立ち上げ、『前にいる』と返すとすぐに既読がつき、『ご飯行かない? ファミレスだけど』と返ってきた。それを了承のスタンプ一つで返すと『五分待ってて』という言葉を最後にゆるはからの連絡は途絶えた。

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馬鹿は四月に卒業しない 春日希為 @kii-kasuga7153

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