第26話 朝

 木窓の隙間からうっすらと光が漏れ出てくる。

 アンはまだ帰ってこない。

 なんだか今日の夜はいつも以上に長く感じた。

 朝の空気を吸いたい。


「クリスティーヌ、外行ってくる」

「んぅ~……」


 目を閉じたまま、がっしりとしがみついてくるクリスティーヌを何とかをひっぺがし、静かに部屋を出る。

 寒いな……。

 ヘラジカの毛皮を売らなければ良かった。

 冬になる前に毛皮も集めておきたい。

 普通はそう簡単にはいかないだろうが……アンがいればそれほど難しいことでもないだろう。


 調理場へ向かい、いまだに熱を感じる調理窯へ薪を追加する。

 この部屋だけは暖かいので、出ていきたくなくなるなぁ。

 ただ窓が開いているところを見ると、誰か既に起きているようだ。


「フーさん?」

「おう? ん~ああ……ネリッサの息子か」

「おはようございます」

「おう、おはよう。ネリッサももう起きてるのか?」

「うん」


 母親によく似ており、黒髪に白い肌をしているが、瞳だけは違うようだ。

 ネリッサは髪と同じく黒い瞳をしているが、子供は透き通るように青い瞳をしている。

 顔立ちは女ようだが男だ。

 昨日体を洗ってやったので、間違いはない。

 もう少し成長すれば雰囲気も変わるだろう。

 しかし……なんだかこちらをずっと見てくるな。

 特に話すこともないので、どうにも気まずいな。

 水瓶にコップを突っ込み、そのままの勢いで水を飲み干す。

 凍るように冷たい。


「お前、水汲んできたのか?」

「うん」

「そうか……。今いくつだ?」

「十歳」

「ふ~ん。名前は?」

「ナダブ」

「この辺じゃあまり聞かない珍し名前だなぁ。まぁネリッサもか」

「フー、ジッドのほうが珍しいと思うよ」

「かもな。昨日は寒くなかったか?」

「森の中を逃げてる時より、ずっと良かった」

「それもそうか」

「美味しいごはんも食べられるし。グゼルの街にいた頃よりずっと良いかも」

「ふ~ん」

「僕はフーさんに感謝しているよ」

「お前……意外に良くしゃべるなぁ」

「昨日までは……あんまり喋らないようにって、おかあさんから言われてたからね。でも、本当はもっといろいろお話してみたかったんだ。ぼくはフーさんも、ゼットさんも、カーネリサンさんも、クリスティーヌも結構好きなんだよね」

「お前趣味悪いなぁ。俺含め半分人間やめてる連中だぞ? もっと気を付けたほうがいいぞ」

「あははっ、ぼくはかっこいいと思うよ?」

「そうか……実は俺もちょっとそう思ってたんだわ。お前なかなか見どころがあるな……ナダブ」


 ナダブは嬉しそうに顔を赤らめている。

 ネリッサに似て面が良い。

 だがそれ以上に頭の良さそうな子供だ。

 ネリッサ自体、娼婦とは思えんほど教養があるからなぁ。

 何か訳ありなのだろうな。


「カーネリアンさんとクリスティーヌはまだ起きてこないの?」

「ああ、アンは森を散歩中。クリスティーヌは俺の部屋で丸まってるから行ってみたらどうだ?」

「うん、そうする!」


 ナダブはそう言うや否や部屋へと駆けていく。

 やはり子供は苦手だな。




 外へ出ると、東の空にはすでに朝日が顔を出していた。

 木々の合間から強烈な日差しが差し込んでくる。


「あら? おはようございます、フーさん!」

「ああ、ネリッサか。さっきお前の息子にあったぞ。しかしこんな早朝からご苦労だなぁ……一応モンスターも出るらしいから気を付けろよ?」


 ネリッサはこの寒い中、洗濯をしていたようだ。

 すでに洗い終えたであろうものが山積みになっている。

 息子とそっくりな顔でにっこりと挨拶をしてくるので、なんだか妙な気分になる。


「ええ、気を付けますね。でも……家に逃げ込めばフーさんが助けてくれるでしょう?」

「ん、あ、ああ……、まぁ、それはまぁなんとかするが……」


 なんだか顔が近いな……。

 少し甘えるかのように身を寄せ、そんなことを言ってくる。

 昨夜話しをした後、何がどうなってこんな感じになってしまったんだろうか……。

 からかわれているのだろうか?


「それじゃあ大丈夫ですね! あっ――あれは……アンさんかしら?」

「ん~? ああ……、相変わらず幽霊みたいにあらわれるなぁ。あいつが、ぼんやり森につったってんの見たら、大概の奴は腰抜かすぞ。ただまぁ、今のあいつは……なんか笑っちまいそうになるわ」


 アンが森のほうからフラフラ歩いてくるのが見える。

 大量の荷物を体にくっつけているので不自然極まりない。

 最近俺やゼットからロープの使い方を色々と聞き出したせいだろうなぁ……。

 その怪力に任せて、かなり無茶な荷物の運び方をしている。

 どうやら何か動物も捕まえることができたようだ。

 腰回りにモコモコしたものをいくつか括り付けている。

 背中にはあふれんばかりの収穫物を入れた特大の籠が二つ。

 無理やり片がけにして、左右一つづつ背負っている。

 鹿の角を六本背負っていた時に比べれば多少はマシだが、それでもなかなか異様な姿だ。

 ただ、当の本人は実に楽しそうだ。

 ネリッサが思わず苦笑いしている。


「おはよう。いい朝ね」

「アン、おはよう。お前……やりすぎじゃないか?」

「楽しくってつい……。割と深くまで入ってみたけれど、なかなかいい森ね。生き物も多かったわ。それにほら、フーが好きなアナグマもあるのよ?」

「おお! 二匹も……それにアナグマにしてはでかいな!」

「アンさん、凄いです!」

「果物もいっぱい採れたから、イーダにも持って行ってあげたいの」

「ああ、今日は昼間仕事探しに出かけようかと思ってたから、寄ってこうか」

「新鮮なうちに調理しますね!」

「ああ、解体は俺がやっておくから、他の連中を起こしてきてくれ」

「もちろんです!」


 ネリッサはそう言うと、洗濯物を乗せた重そうな桶を勢い良く持ち上げ、小股でちょこちょこと家の中へ入っていった。

 リビングの暖炉で干すのだろうか。

 火を入れておいてやればよかったな……。

 俺は斧とナイフを持ち出しアナグマの解体にかかる。

 今回こそは毛皮を傷つけないよう、慎重に作業する。

 冬毛が柔らかく、うまくすればなかなか質の良いものになりそうだ。

 子供のチョッキくらいにはなるだろう。

 下手に重ね着するよりも、ずっと暖かいはずだ。

 俺も何かの毛皮でチョッキが欲しいな。


「ん~? こいつは……モンスターだったようだな。どうりで……アナグマにしてはでかいもんな」

「あら、そうだったのね。気が付かなかったわ」

「ああ、こりゃわかりにくい……俺の中の悪魔がそう言わなきゃわからなかった。意外と動物だと思ってる奴の中にもモンスターは紛れ込んでいるのかもしれんな。とはいえ、どのみち食う分には何の違いもない。むしろ肉の量は多くていい」

「モンスターと言えば……森で少し変な生き物を見かけたの」

「ん? マハが言ってたやつか?」

「どうかしら……。捕まえてみようと、少し追いかけてみたのだけれど」

「おお!」

「でも、逃げられちゃったわ」

「ウェンディゴほどではないにしても、アンはかなり早いよな?」

「ええ、姿も隠して近づいたのよ? でも、相手がどんな姿かさえ分からなかったわ」

「ふ~ん……、しかし逆に言えば、アンが一緒に居ればそいつらが襲ってくることもないってこったろ?」

「そうね。あっ、そう言えば変な鳴き声は聞いたわ」

「ああ、俺も聞いたかもしれんなその声」

「それに、他にもクマやイノシシなんかもいそうだったわ――」


 やはりマハの言う通り、森にはよくわからない生き物がいろいろいと住んでいるようだ。

 アンの追跡から逃げ切るとはなかなかだ。

 クマがいるならばぜひ仕留めたいところだな……。

 金にもなるし肉も割と好きだ。

 もちろん毛皮も……あとでクリスティーヌが嫌がらないか聞いておくか。

 その後もアナグマを解体しつつ、並んで座ったアンから夜の森の話を聞いた。

 やはりこいつの横は妙に落ち着くな。

 ただ話をしているだけで心地良い。

 モンスターだからだろうか。

 それとも少し低めの落ち着きのある声のせいだろうか。

 う~ん……、わからん。

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