雪うさぎさん

十坂真黑

雪うさぎさん

 ミナミちゃんの家はゴールデンレトリバー、レオくんちはロシアンブルーを飼っている。

 保育園ではいつも一人で過ごしているナツカだが、他の子たちが話している会話は自然と耳に入ってくる。

 賑やかな輪は、最近それぞれが飼っているペットの話でもちきりだ。

「ナツカちゃんも、お話に入らないの?」

 咲子先生は、越してきたばかりでまだなじめていないナツカを気遣って、いつも声を掛けてくれる。

「だってナツカ……お家にペットいないもん」

「そんなの気にしなくていいの。みんなのお話聞いてるだけでも楽しいよ?」

 そう言うと咲子先生はしぶるナツカの手を引いて、部屋の中心でワイワイ話している子供たちの元へと向かう。 

「かわいーよねー、耳がぴょんってしてて」

「ほんとに目が赤いのかな?」

「みんな、何の話してるの?」

 子供たちはいっせいに咲子先生の方を見上げた。

「うさぎさん!」と、ユアちゃんが元気いっぱいに答える。

「わんちゃんとか猫ちゃんはミナミちゃん達に見せてもらったけど、うさちゃんは誰のお家にもいないんだって。ユア、抱っこしてみたいなあ」

「うさぎ……」輪の端っこで、ナツカが呟いた。


 ナツカは保育園から帰ると、早速リビングの本棚の子供用どうぶつ図鑑を引っぱり出した。図鑑を開けるとすぐにうさぎのページが開いた。

 この家に引っ越してきたときに本棚と一緒にプレゼントされた図鑑は、まだ新しい。が、何度も開いたため、うさぎのページには跡が付いていた。

「ママ、うさぎさんほしい!」

 するとママはほんの少し眉を下げて、「だーめ。ナツカにはまだ動物の世話なんかできないでしょう。それにね、うさぎってとっても繊細なのよ。世話を間違えるとすぐに死んじゃうの。ママも小さい頃飼っていたことがあるけれど、一度ご飯をやり忘れて死なせてしまったことがあるのよ」

 ナツカはため息を吐いた。以前、ハムスターが欲しいとねだった時も同じことを言われたからだ。ちなみに犬、猫、金魚、オウム、カブトムシ、たまごっち、ロボット犬を欲しいと言った時も同様の返事をされた。

「ママ、飼ってたうさぎなんてお名前だったの?」

「さーてと、お夕飯の支度しなきゃ」

 ママはわざとらしく呟くと、キッチンの奥へ消えた。

 

 その晩、ナツカは夢を見た。雪のように真っ白でふわふわした毛を持つ、まあるいうさぎ。目はルビーを埋め込んだように赤い。うさぎを膝の上にのせて、ナツカは頭を撫でていた。夢の中のうさぎのからだは温かくて、綿毛のように柔らかかった。



「すごい。雪が積もったね」

 焼きたてのトーストをかじりながら、パパが窓の外に目を向けている。

 庭の芝に雪がこんもりと盛られている。

 夜の間に雪が降ったらしい。

「全部雪なの?」

 ダイニングテーブルの下で足をバタバタさせながら、ナツカはパパを見た。

「うん。なっちゃんはこんなにたくさんの雪見るの初めてだもんな」

「これ、全部ナツカの?」

 パパはくすりと笑った。「そうだな、うちの庭に積もった雪だから、全部ナツカのものだよ」

「いやあね。買い物行けなくなっちゃう」ママは文句を零していた。

「パパ、雪でうさぎさん作れるかな?」

 朝食を終え、ナツカは新聞を広げるお父さんの膝に縋りついた。

「うさぎ? いいよ。雪ウサギだね」

 パパは優しく微笑むと、新聞をわきに置いた。


「まずは雪を集めてごらん」

 パパに言われた通りナツカは庭中を駆け回り、出来るだけ綺麗な雪をかき集めた。

 その雪を、卵を半分にカットしたような形に固める。たくさん雪が降ったおかげで、ナツカが抱えきれないくらい、大きな雪ウサギの体ができた。手も足もないけれど、まあるい形は夢に見たうさぎそっくりだった。

 仕上げにパパは庭の木から赤い木の実を摘まみ、雪ウサギの顔に二つ、埋め込んだ。

「お目目だ!」

「うん。あとは耳だけど……うちの庭には手ごろな葉はなさそうだね」

 ナツカは少し考え、部屋に戻ると縦長の葉を二枚、手にして戻ってきた。

「リビングのパキラか。ちょうどいい。えらいぞ、なっちゃん」

 褒められてナツカは得意げに胸を張った。

 葉っぱを頭の部分に載せると、どこからどう見ても真っ白なウサギの完成だ。

 不意にナツカは雪ウサギの口元に耳を近づけた。「……え? なあに?」

「なっちゃん、どうした?」

 ナツカは目を輝かせ、パパを見た。

「雪ウサギさん、しゃべってる!」

「そっか。雪ウサギさんはなんて言ってるんだい?」パパを顔をほころばせる。

「かわいくしてくれてありがとう、だって」

「そうだね。世界で一つだけの、とってもかわいいウサギさんだ」

「ねえ、雪ウサギさんお家に入りたいって言ってるよ」

 ナツカは家の中を指さした。

「だめよ、部屋になんて入れたら。溶けたら水浸しに――」そこで、丁度庭に出てきたママが口を挟む。が、パパが途中で制した。

「なっちゃん。雪ウサギさんは寒いのが好きなんだ。お家の中は暑すぎるんだよ」

「そうなんだ……」ナツカはがっかりしたように俯いた。

「ごめんね雪ウサギさん。お庭で我慢してね」

 ナツカは手袋をはめた指先で、優しく雪ウサギの頭を撫でる。


 それから、ナツカは保育園から帰ると真っ先に庭に向かうようになった。

「雪ウサギさん、一人でさびしくない? ナツカが一緒にいてあげるからね」

「ナツカは本当に、雪ウサギさんが好きなのねえ」

 日が経つにつれ、庭の雪はだんだん溶けていく。雪ウサギも随分小さくなっていた。

 ナツカはママに手伝ってもらって、雪ウサギを日陰に移動させた。


 その日もおやつのショートケーキを持って庭に出ると、ナツカは大好きないちごを雪ウサギの前に差し出した。「一緒に食べたほうがおいしいね」

 そんなナツカの様子を眺めながら、パパとママはリビングでコーヒーを飲んでいた。

「可愛いわね、子供って。無邪気で」

「そうだね」

「でもあの子、まだ保育園で友達いないみたいなのよ。ああやってウサギと話してるの、そのせいなのかしら。イマジナリーなんとかってやつ?」

「イマジナリーフレンド、だね。僕も小さい頃、見えないお友達とよく遊んでいたそうだよ。誰にでもあるもんさ」

「でも、そんなのいたらますます友達が出来なくなっちゃう」

「心配は要らないんじゃない? 子供だし、すぐにできるよ」

「そうかしら……」

 つけっぱなしにしていたテレビが天気予報を伝えている。

「明日は午後から急激に気温が上昇する見込みで……」

 パパとママは、心配そうに顔を見合わせた。

「大丈夫かしら、雪ウサギ……」

 


 翌日、ママが買い物から帰ると、玄関に泥の付いたナツカの上履きが散らばっていた。

 まだお昼前。いつもならナツカはまだ保育園にいるはずの時間だ。

 驚いたママがリビングに向かうと、キッチンでうずくまるナツカの後姿を見つけた。

「ナツカ! どうして」

 ママは買い物袋を床に置き、慌てて駆け寄る。

 冷蔵庫の周りには詰めていたはずの冷凍食品が散らばっている。

 ナツカは今にも泣き出しそうな顔で、ママを見上げた。

「保育園のお庭の雪だるまが小さくなっちゃったの。雪ウサギさんも溶けちゃう……」

 そこでママは気づいた。

 午後から急に気温が上がった。そのため保育園で作った雪だるまが溶けてしまったのだろう。家の雪ウサギも溶けてしまうんじゃないかと心配で、ナツカは園を抜け出してきたのだ。

 みると、雪ウサギはナツカの両手に収まるサイズにまで溶けてしまっている。

「とにかく食材は元に戻しなさい。ダメになっちゃうわ」

「でもぉ」

「クーラーボックス出してあげるから。そこに氷をたくさん入れれば、溶けないわよ」

「……ほんと?」

 ママはナツカの小さな手のひらを両手で握りしめた。

「ナツカったら。手がこんなに冷たいし真っ赤。しもやけになっちゃう」

 ナツカは慌ててママの手を振りほどいた。「だめ。おててがあったかくなったら、雪ウサギさん溶けちゃうでしょ?」

 ……この子、本当に雪ウサギが大好きなのね。

 ナツカの優しさに、胸がじんと温まるようだった。

「大丈夫よ。さ、うさぎさんを移動して」

 ナツカは頷き、床に置いた雪ウサギを持ち上げた。が、既に溶けかけていた雪ウサギはつるりと滑り、ナツカの手から零れ落ちた。

「あっ」

 ママは慌てて手を差し出すが、間に合わない。


 くしゃ、と些細な音を立てて、雪でできたうさぎは呆気なく崩れてしまった。

 雪のかけらがナツカの足元に散らばる。あっという間に白い雪は砕け、冷たい水たまりに変わる。

 ナツカは呆気にとられたように立ち尽くしていた。

「ごめんね、ごめんねぇ雪ウサギさん……ナツカのせいで、いたいいたいしちゃった……」

「ナツカ……」

 溶けた雪ウサギの真っ赤な実が、ナツカを虚ろに見上げていた。



 その日から、ナツカは庭に出なくなった。

「また雪ウサギさん作ったら?」とママに勧められても、「あの子じゃなきゃ、いやだ」と首を横に振るばかり。

 ろうそくの火が消えたように、家の中が暗くなってしまった。

 ナツカが寝た後のリビングで、パパとママはこんな会話をした。 

「ねえ、あなた。うさぎのことだけど……」

「……そうだね、僕も同じことを考えていたところだよ」



「おかえり、なっちゃん」

「あれ? パパ」

 その日ナツカが家に帰ると、仕事に行ったはずのパパが出迎えてくれた。

「今日は仕事はお休みをとったんだ。それより、早くおいで」

 ナツカがリビングに行くと、見慣れないゲージが置かれていた。

 その中に、毛糸の玉のような白くてふわふわしたものが置いてある。

 毛玉が、動いた。

 桜色に染まった口元。ぴょこっと飛び出た小さなしっぽ。何より、透き通るような赤い瞳。ゲージの中で、白い小さなうさぎがナツカをじっと見上げている。

「雪うさぎさん、戻って来た!」

 ナツカは大はしゃぎでうさぎを抱き上げた。

 ナツカの腕の中で、うさぎはじっとしていた。

「ナツカ、しっかり面倒見るのよ。雪ウサギと違って、うさぎはご飯もやらなきゃいけないし、寒いのもダメなのよ」

「はあい!」

 うさぎに顔を近づけると、陽だまりを思わせる、草の匂いがした。 


 翌日ナツカが保育園で家にうさぎが来たことを話すと、「見てみたい!」とミナミちゃんとユアちゃんが手を挙げた。

 二人は、ナツカの家に遊びに来ることになった。

 ママは「引っ越してからナツカのお友達が来るなんて初めてね」と、上機嫌だった。

 

「うさぎってかわいいね。散歩もしなくていいし、ひっかいたり嚙んだりしないし」

 犬を飼っているミナミちゃんは、うさぎを撫でながら羨ましいと言った。

「うん。ユキはナツカの宝物だよ。ずっと欲しかったんだもん」

 ナツカはぎゅっとうさぎを抱きしめる。その小さな白うさぎにはユキと名付けた。


「いいなあナツカちゃん。ペット飼ってもらえて」

 ユアちゃんが浮かない顔で呟く。「ユア、ことりを飼ってみたいの。でもママもパパも、忙しいから無理だって」

 ナツカはユキを抱いたまま、ユアちゃんに囁いた。


「だったらユアちゃんも、雪で小鳥を作ればいいよ。それでね、こう言えばいいの……『雪のことりさんがしゃべった』って」

「ユア、本物のことりがいい。それに、雪で作ったことりがしゃべるわけないよ」

。でもね、こうすればに、小鳥も本物になるんだよ?」


 きょとんとするユアちゃんに、ナツカはウインクをした。




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